模擬裁判風ディベート・ゼミ

 上野達弘(法学部)


「被告が制作したテレビドラマは、原告のマンガに類似しており、著作権の侵害に当たり
ます。そこで原告は、被告に対して損害賠償を請求します。具体的な理由は以下の通りで
す――」

 原告側の立論が朗々と読み上げられていく。懸命にメモをとる被告側。

 続いて尋問の時間がやってくると、双方一歩も譲らない議論の応酬に傍聴人も固唾を飲
んでいる。勝敗の行方はどうやら最終弁論に持ち越されたようだ……。

 われわれのゼミは今このような模擬裁判風のディベートをしている。

 テーマは実際に裁判になった知的財産法関連事件である。裁判や知的財産法というとな
じみにくいもののように思われるかも知れないが、「恋愛シミュレーションゲーム『とき
めきメモリアル』のストーリーを改変してプレイすることは違法か?」とか、「競走馬の
名前を無断でゲーム『ギャロップレーサー』に使うことは違法か?」など、学生にとって
も親しみやすいものが少なくない。このように最初のきっかけが身近だというのは一つの
ポイントであろう(ポイント①きっかけの身近さ)。

 このように身近なテーマではあるが、それは学問的にも重要な事件である。実際この2
件はいずれも最高裁まで争われた重要判例なのである(最高裁平成13年2月13日判決
〔ときめきメモリアル事件〕、最高裁平成16年2月13日判決〔ギャロップレーサー事
件〕)。

 ゼミの1年は、1チーム3名×14チームを編成することにはじまる。各チームは、指
定されたスケジュール通り、原告または被告の弁護士役となって準備を進める。

 ディベート当日は、教室に設置されたスクリーンに、訴訟で問題になった証拠物品の画
像や当事者の関係図が映し出されるとともに、タイマーが時を告げていく。こうしたゲー
ム感覚も、学生の関心をかき立てる重要な要素である(ポイント②ゲーム感覚)。

 さて、ディベートが進み、立論・尋問・最終弁論というプロセスが終わると、傍聴人全
員が判定を行う。具体的には、ジャッジペーパーに判定とコメントを記入するとともに、
全員がコメントと判定を口頭で発表する。ジャッジはこうした作業を強いられているから
こそ、否応なく全員がディベートを注視することになるのである(ポイント③強制的全員
参加)。

 われわれ学者でも、たとえば学会で、他人の研究報告を聞いてどうもよく分からないと
感じることがあるが、その後、質疑応答の時間になって論争がはじまると急に興味深く聞
けたりするものである。単なる一方的な発表ではなく、複数人による論争を見るというこ
とは、楽しいだけでなく、常にバランスよく多面的に物事を考える癖をつけることになる
ように思う。ディベートによってあえて強制的に論争させることで、それまで疑問に感じ
ていなかった論点を再認識させることにつながる(ポイント④強制的な議論喚起)。

 また、われわれのゼミはオープンゼミを標榜している。したがって、誰でも傍聴できる。
実際のところ、正規メンバー外のオブザーバやゼミ生の友人、あるいはゲスト(他大教員
や弁護士など)が、毎回さまざまに参加して下さっている。これにより、ディベータにと
っては、見られているという感覚がより高まるし、また、常に聞き手を意識することにも
なる(ポイント⑤オープンゼミ)。

 こうして1年間、各チームは同じメンバーでディベートのリーグ戦を行う。勝っても負
けても3回はディベートがまわってくる。そして、全勝チーム同士は決勝戦を行って優勝
チームを決する。一度負けると優勝の望みは絶たれるが、だからといってモチベーション
が下がるということはないようである。人間、やはり負けず嫌いなものであるから、相手
方がいると一生懸命になるのであろう(ポイント⑥学生同士の競争)。夏休みの合宿では
オールスター戦、またゼミ代表を選出して他大学(上智大学、北海道大学など)との親善
試合も行っている。

 ディベート・ゼミを続けているとしばしば驚くことがある。それは、学生に明らかな変
化が現れることである。

 まず、ディベータは、ディベートで論陣を張るために相当の準備が必要になる。たしか
に、テーマとなる裁判例は現実にどちらかの当事者が勝訴しているのである。しかし、だ
からといってそのことがディベートにおいてどちらか一方の側にとって有利に働くことは
ない。たとえ実際の訴訟では敗訴していても、意外に判決の論理に問題があることも少な
くない。そのような中、ディベータは何とか活路を見出そうと努力するものである。逆に、
現実には勝訴している側を担当するディベータも、相手方の作戦をさまざまに想定する必
要があり、安心はできない。そのような中で、わたし自身が唸るような新規のロジックに
接することも少なくない。こうして、ディベータは、柔軟な思考力、説得的な論理性、そ
してプレゼンテーション技術が自然に磨かれていくように思われる。ここでは、いわば弁
護士役になりきるというロールプレイ的要素も重要である。そうした要素が、学生をその
気にさせることにもなるのである(ポイント⑦ロールプレイ的要素)。

 また、ジャッジとして判定を行う者も知識と判断力が自然と身に付いていく。学生同士
がお互いに評価するのであるから、評価する方もされる方も手を抜けないのである(ポイ
ント⑧学生による相互評価)。

 こうしたことを通じて養われる客観的な論理的思考力、プレゼンテーション能力は、法
的思考に資することはもちろん、将来どのような社会に出ても役に立つ重要なスキルだと
信じている。実際、ゼミ生の多くは知的財産法の専門家にはならない。しかし、ゼミで鍛
えた能力が就職活動や企業等において役立ったという声は、あながちお世辞でもないとわ
たしは考えている(ポイント⑨汎用スキルとしての論理的思考力&プレゼンテーション能
力)。

 以上、やや自己満足的にわれわれのゼミのポイントを述べてきたが、もちろん、ゼミに
はほかにもいろいろな形式がある。むしろ、ディベート・ゼミという形式では学習できな
い点(たとえばレジュメの作成等)があることは承知している。したがって、わたし自身、
このやり方がベストだと思っているわけでもないし、これに固執するつもりもない。

 ただ、誤解を恐れず正直に言うならば、ディベート・ゼミは「教員にとって楽」なシス
テムでもある。もちろん1年の最初に適切なケース・ブックを用意するのは大変な作業で
あるが、そのあとは手取り足取り指導する必要がないからである。しかし、このように教
員が楽だというのは、それだけ学生が自主的に積極的な準備・議論を展開し、いい勉強を
していることの証にほかならないのではなかろうか。

 また、ディベート・ゼミを通じてゼミの盛り上がりが得られるという点も、人間関係を
重視するわたしにとっては過小評価することのできないメリットである。

 したがって、どうやらわれわれのゼミで、ディベート・ゼミに代わるシステムが採用さ
れる日は近くなさそうである。