・広島地判平成11年2月24日判タ1023号212頁  ハードディスク消去損害賠償事件。  本件は、原告(個人)がパソコン機器等の設置、版美を業とする被告(株式会社デオデ オ)からパソコンのハードディスクの容量を増大させるため、新しいハードディスクユニ ットを購入し、被告にその導入据付作業を依頼したところ、被告は長年の得意先である原 告のため、右作業を無料サービスでおこなったが、新しいディスクの初期化の段階で、誤 って既存の旧ディスクを初期化してしまったため、旧ディスク内に保存されていた情報 (原告が海事保佐人としての専門的知識を駆使して構築してきた海難審判検索システム等) がすべて消去されてしまったため、原告が、被告に対して、民法715条にもとづき情報 復元費用相当額および慰謝料の損害賠償を求めた事案である。  判決は、被告従業員に誤操作の過失があるとして不法行為の成立を認めた。そのうえで、 損害額について、本件情報の財産的価値は、原告主張の復元費用の見積額ではあまりにも 高額にすぎるとしてこれを採用せず、海難審判検索システムに何らかの利用価値が認めら れるとしても、いまだ未完成であり、商品化の段階にもなかったので、財産的価値は皆無 ではないとしても算定困難であるから、原告が被った財産上の損害は慰藉料額算定の一事 情として斟酌するのが相当であるとしたうえで、原告が長年にわたり独自に開発し完成間 近な段階にあった海難審判検索システム等のデータが被告の過失により消失したことによ り被った精神的損害を考慮して、前示の財産的損害をも加味して慰謝料100万円を算定 しながら、原告がデータのバックアップを怠った点に過失があるとして5割の過失相殺に より50万円の支払いを命じた。また弁護士費用5万円の請求も認容した。 ■判決文 ・被告の責任  「2 そこで検討するに、パソコンのデータは、磁気により記録された情報にすぎず、 常に消去される危険性があることは否定できないとしても、それ自体法的保護に値する利 益であるというべきであるから、これを故意または過失により消去するなどして侵害した 場合には不法行為が成立する余地があるというべきである。」 ・損害額  「(一)原告は、旧ディスクに住所録、ユーザー(個人)辞書を入力していた他、海難 審判検索システムを構築しており、右システムの内容は、裁決録の検索、海上交通関係法 令の全文検索、海事関係省庁、海事関係法人の住所録の検索、海難発生地点を管轄する地 方海難審判庁の管轄区域の判別、日出没、月出没、月の姿形の表示、潮流、潮汐の計算、 衝突状況の再現シュミレーションプログラム、二点間距離をセンチメートルの制度で計算 できるプログラム等である。  海難審判補佐業務として海難事件の原因究明を行う際、裁決録を検索、閲覧することは 必要不可欠である。  現在、日本財団がインターネット上で海難審判検索システムを公開しているが、これは 二年分の審判が検索できるに過ぎない不十分なものであり、同様のシステムとして市販さ れているものはない。  (二)原告は、基本設計、詳細設計、仕様書は作らずに右システムを構築していた。  (三)原告は、右システムを主に自己の執務上の参考として利用する目的で作成してお り、完成した段階で商品化するつもりではいたものの、具体的な契約にはいたっておらず、 右システムが消失した時点では、基本的なシステム(データを入力する箱の部分)が八割 方完成していた段階であり、海上交通関係法令等は全て入力されていたが、裁決録は、平 成四年頃から現在までの分が入力されていた。 (四)原告は別のパソコンでMS−DOSを使って海難審判検索システムを構築しており、 プログラムは全てその中に残っている。旧ディスクに入力されていたデータを復元するに はMS−DOSで使っているn88ベーシックという言語をウィンドウズ95用に書換え、 灯火図を本からスキャナーで読み込み、裁決録を公刊書からOCRで取り入れる作業を行 うことになる。  2(一)以上の事実関係の下で、財産的損害の有無について判断する。  データの財産的価値は、そのデータが経済的利益を生み出すもの(企業における顧客リ スト等)でるか、作品の利用対価が支払われているかという経済的側面から判断されるが、 本件において消失した情報のうち、海難審判検索システムは、審判検索の他、現存するイ ンターネット上のものよりもシステムとして利用範囲が広いというのであるから、その利 用価値が認められないではないが、現段階では未完成であり、ソフトウェアとしての技術 水準に達しているとはいえず、出版社との商品化の交渉にも至っていないというのである から、その財産的価値(客観的価値)は皆無とはいえないとしても、これを具体的に算定 することは困難というほかはない。また、システム内に入力されていた採決や海事法令、 灯火図等は公刊書等に存在するものを選択、引用してきたにすぎず、住所録、ユーザー辞 書は、専ら個人的な利用に供するためのものであり、主観的価値はともかく、財産的価値 は認め難い。  (二)原告を被害を受ける前の経済状態に回復させるには、物理的にデータを復元させ ることが必要であるが、その復元には、前記認定事実にすれば、別のパソコンに残ってい る右システムのデータを書換えるという方法によっても復元がある程度可能であるとする 一方、本件ではシステムの八割方しか完成していなかったというのであるから、右データ を物理的に完全に復元することは不可能といわざるを得ない。  もっとも、原告本人は、プログラム開発業者に原告が作成していたシステムを再現する よう開発を依頼すれば、合計金九三二万六六五〇円(見積額)になる旨供述し、これを裏 付ける《証拠略》を提出するが、前記認定事実1(二)、(四)のとおり、原告は基本設 計等を作らずにシステムを構築し、実際の復元方法は、別のパソコンに存在するプログラ ムをもとに、自らの労力でシステム開発を続行するというのであるから、右事実に照らし て考えると右見積額は高額に過ぎ、その算定根拠や算定過程に合理性がなく、原告の右供 述及び前掲証拠をそのまま信用することができず、他に原告の見積額に関する主張を認め るに足りる証拠はない。  (三)以上認定、説示のとおり、本件データの財産的価値(客観的価値)が皆無とはい えないとしても、その喪失により原告が被った財産上の損害額を本件証拠上確定すること は、財産の性質に照らし極めて困難である。  しかしながら、そのことの故に右損害額を零と認定するのは民訴法248条の規定の趣 旨にてらし相当でないから、原告が被った財産上の損害は、慰謝料の補完事由として、こ の点も慰謝料算定において斟酌するのが相当である。  なお、本件のような同一の事故により生じた本件データの喪失を理由とする財産上の損 害と精神上の損害とは、原因事実及び被侵害利益を共通にするものであるから、その賠償 の請求権は一個であり、両者の賠償を訴訟上併せて請求する場合にも、訴訟物は一個であ ると解すべきである(最高裁判所昭和48年4月5日)。」 3 慰謝料  「(二)右認定の事実によれば、原告は、長年にわたり独自に開発し完成間近な段階に あったシステムほか住所録などのデータを齋藤の過失により瞬時に全てを消失し、精神的 打撃を受けたというのであるから、原告がこれにより精神的損害を被ったことは容易に推 認することができる。」  「右認定の諸事情を総合勘案すれば、原告の慰謝料は、本件データに認められる財産的 価値(客観的価値)を合わせ考慮しても金100万円を超えるものではないと認めるのが 相当である。」 4 過失相殺  「前記二1(八)で認定したとおり、原告はバックアップをとっていなかったころ、業 務上不可欠なデータが多量に存する場合、事故の際に備えてバックアップをとっておき、 損害を最小限のものにすることが必要であり、その懈怠によって発生又は拡大した損害に ついては、被告にその全部を賠償させるのは損害賠償法を支配する衡平の理念に照らし均 衡を失するというべきである。そこで、民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用し て、データの重要性、損害回避のためのバックアップの必要性、これを怠った原告の過失 の程度その他諸般の事情を斟酌し、原告に生じた右損害の50パーセントを減額するのが 相当であるから、右減額後における原告の損害額は金50万円となる。  もっとも、原告は、現在の慣習としてユーザー(原告)にはバックアップをとっておく べき義務はない旨主張する。  しかしながら、前示のとおり、原告は、十数年以上前からパソコンなどの電子機器を扱 い、自らデータベースの専用ソフトを使用して検索システムを構築する作業を行っており、 パソコンの利用方法について習熟し、相当詳しい知識を有していることが認められるので あるから、本件ディスクの本件パソコンへの導入据付作業に伴いハードディスク内のデー タ消失の危険があることは、右作業内容に関する専門知識の有無は別として、原告におい て十分予見できたものというべきであり、そのための対策として本件データのバックアッ プをとっておくべき義務があるというべきである。このことは、(1)前示のとおり、齋 藤は右作業を無償サービスとして行ったものであること、(2)原告は、齋藤に本件デー タの内容を告げず、また、同人に対し特段の注意喚起もしていないこと(原告本人)、 (3)原告自身、損害賠償の交渉の過程で被告に対し、バックアップを怠った責任(一部) のあることを認めていること(乙一)からも明らかである。  したがって、原告の右主張は理由がない。」 裁判長裁判官 松村 雅司    裁判官 金村 敏彦    裁判官 伊吹真理子