・東京地判平成12年2月18日判時1709号92頁  「どこまでも行こう」(小林亜星対服部克久)事件:第一審。  本件は、「どこまでも行こう」の作曲者である原告(小林亜星)および同曲の著作権者 である原告(金井音楽出版)が、番組エンディングテーマ曲「記念樹」を作曲した被告 (服部克久)に対して、「記念樹」は原告小林が作曲したCMソング「どこまでも行こう」 を複製したものであると主張して、原告小林において氏名表示権および同一性保持権侵害 による1億円の損害賠償を求め(甲事件)、原告金井音楽出版において複製権侵害による 損害賠償を求め(乙事件)、他方、被告は、原告小林に対し、「記念樹」は「どこまでも 行こう」とは別個の楽曲であると主張して、「記念樹」について著作者人格権を有するこ との確認を求めている(反訴事件)事案である。  判決は、両者が類似しないと判断して原告小林の請求を棄却し、被告による反訴請求を 認容して被告が楽曲「記念樹」について著作者人格権を有することを確認した。また、乙 事件における原告(金井音楽出版)の被告に対する損害賠償請求も棄却された。  その際、判決は、CMソングやポピュラーソングについて「両曲の同一性を判断するに 当たっては、メロディーの同一性を第一に考慮すべきであるが、他の要素についても、必 要に応じて考慮すべきであるということができる」としたうえで、具体的にフレーズごと に対比をすすめ、「両曲は、対比する上で最も重要な要素であるメロディーにおいて、同 一性が認められるものではなく、和声については、基本的な枠組みを同じくするとはいえ るものの、具体的な個々の和声は異なっており、拍子についても異なっている」とした。 (控訴審:東京高判平成14年9月6日、上告審:最決平成15年3月11日) ■争 点 1 甲曲と乙曲に同一性があるかどうか 2 乙曲は甲曲に依拠して作成されたものかどうか 3 甲曲は、慣用句的音型の連続でできあがっているから、複製権又は著作者人格権の侵 害が生じる余地がないかどうか 4 原告小林の損害 5 原告金井音楽出版の損害 ■判決文 第三 争点に対する判断 一 両曲の特徴・性質と両曲の同一性を判断するに当たって考慮すべき要素  前記第二の一(争いのない事実等)1、2に弁論の全趣旨を総合すると、甲曲はいわゆ るコマーシャルソングであり、乙曲は唱歌的なポピュラーソングであって、両曲とも、比 較的短くかつ分かり易いメロディーによって構成されているものと認められるから、両曲 の対比において、第一に考慮すべきものは、メロディーであると認められる。  しかしながら、証拠(乙五、六、一六)と弁論の全趣旨によると、音楽は、メロディー のみで構成されているものではなく、和声、拍子、リズム、テンポといった他の要素によ っても構成されているものと認められ、前記第二の一(争いのない事実等)1、2に弁論 の全趣旨を総合すると、両曲とも、これらの他の要素を備えているものと認められる。  そうすると、両曲の同一性を判断するに当たっては、メロディーの同一性を第一に考慮 すべきであるが、他の要素についても、必要に応じて考慮すべきであるということができ る。 二 甲曲・乙曲の各要素の対比  別紙楽譜一及び同二に基づいて、両曲の各要素を対比する。 1 メロディーについて (一) メロディーの同一性の判断方法  本件のように、ある楽曲全体が別の楽曲全体の複製であるかどうかを判断するに当たっ て、メロディーの同一性は、一定のまとまりを持った音列(フレーズ)を単位として対比 した上で、それらの対比を総合して判断すべきである。 (二) 両曲を構成するフレーズ  右(一)のような音列(フレーズ)を甲曲についてみると、甲曲のメロディーは、@アウ フタクト部の二音を含む八音(歌詞の「どこまでもゆこう」に相当する部分。以下「フレ ーズA」という。)、A@に続く九音(歌詞の「みちはきびしくとも」に相当する部分。 以下「フレーズB」という。)、BAに続く一〇音(歌詞の「くちぶえをふきながら」に 相当する部分。以下「フレーズC」という。)及びCBに続く八音(歌詞の「あるいてゆ こう」に相当する部分。以下「フレーズD」という。)の四つの部分によって構成されて いると考えられる。  他方、乙曲は、@アウフタクト部の二音を含む八音(歌詞の「こうていのすみに」に相 当する部分。以下「フレーズa」という。)、A@に続く一一音(歌詞の「みんなでうえ たきねんじゅ」に相当する部分。以下「フレーズb」という。)、BAに続く一三音(歌 詞の「いつのひにかとおいところで」に相当する部分。以下「フレーズc」という。)、 CBに続く七音(歌詞の「おもいだすだろ」に相当する部分。以下「フレーズd」とい う。)、DCに続く六音(歌詞の「それはたぶん」に相当する部分。以下「フレーズe」 という。)、EDに続く一一音(歌詞の「つらいときなきたいとき」に相当する部分。以 下「フレーズf」という。)、FEに続く一二音(歌詞の「みどりいろのはっぱかぜに」 に相当する部分。以下「フレーズg」という。)及びGFに続く七音(歌詞の「ゆれるき ねんじゅ」に相当する部分。以下「フレーズh」という。)の八つの部分によって構成さ れていると考えられる。 (三) 両曲の各フレーズの対比  一文字分を八分音符の長さとし、「ー」の部分は、四分音符、二分音符及び付点音符に よって、直前の音符が同一音階で伸ばされていることを示す。また、各「 」の後の( ) 内には対応する歌詞を示した。 (1) フレーズAとフレーズa ・フレーズA「ドレミーードシードレドーーー」       (どこまーーでもーゆこうーーー) ・フレーズa「ドレミーーミレーレドドーーー」       (こうてーーいのーすみにーーー)  右のように、フレーズAとフレーズaは、フレーズに使用される各音符の長さ並びに冒 頭の「ドレミーー」及び末尾の「ドーーー」において相対的な音階が共通するが、右各フ レーズを全体として比較すると、異なる音階の変化によって構成されているというほかな く、これらが同一性のあるフレーズであるとは認められない。 (2) フレーズBとフレーズb ・フレーズB「ドドファーーファファファソラソーーー」       (みちはーーきびしくともーーー) ・フレーズb「ドドファファファファララソ#ファソーーー」       (みんなでうえたきねんじゅーー)  右のように、フレーズBとフレーズbは、冒頭の「ドドファ」とそれに続く八分音符三 個分、その後の八分音符二個分を経た後の八分音符「ソ」及び末尾の「ソーーー」におい て相対的な音階が共通するが、フレーズ同士を全体として比較すると、前半部分の音階の 変化を共通にするに過ぎず、前半部分においても、音符の数及び長さは異なっている上、 後半部分は、音階も明らかに異なるから、これらのフレーズに同一性があるということは できない。 (3) フレーズCとフレーズc ・フレーズC「ソソラーーソファーソラソーーミド」       (くちぶーーえをーふきなーーがら) ・フレーズc「ソソラーラソファーソラソソミレド」       (いつのーひにかーとおいところで)  右のように、フレーズCとフレーズcは、末尾の二音「ミド」(フレーズC)と三音 「ミレド」(フレーズc)を除いて、その音階の変化が同じであり、この点で相当程度類 似しているということができるが、同一の音階の中にあっても、音符の数及び長さは異な っている上、右のとおり末尾の音階も異なっているから、これらのフレーズに同一性があ るとまでいうことはできない。 (4) フレーズDとフレーズd ・フレーズD「ドレミーードシードレドーーー」       (あるいーーてゆーこーうーーー) ・フレーズd「ドレミーードラーミーレーーー」       (おもいーーだすーだーろーーー)  フレーズDとフレーズdは、前半部分において音階(ドレミーード)を共通にするのみ であり、後半部分は全く異なるから、両フレーズに同一性があるということはできない。 (5) フレーズeないしh  フレーズeないしhは、フレーズaないしdと類似性があるということができるが、単 純な繰り返しでないことは明らかであり、フレーズaないしdを繰り返し記号を用いて反 復したり旋律を転記したからといって直ちにフレーズeないしhになることはない。その 意味では、乙曲のフレーズeないしhについては、これに対応する甲曲のフレーズが存在 しないというほかない。  もっとも、右の類似性に鑑み、以下では、フレーズAないしDとフレーズeないしhに ついて対比する。 (6) フレーズAとフレーズe ・フレーズA「ドレミーードシードレドーーー」       (どこまーーでもーゆこうーーー) ・フレーズe「ドレミーーーレーードドーーー」       (それはーーーたーーぶんーーー)  右のように、フレーズAとフレーズeは、冒頭の「ドレミーー」及び末尾の「ドーーー」 において相対的な音階が共通するが、右各フレーズを全体として比較すると、異なる音階 の変化によって構成されているというほかなく、フレーズに使用される各音符の長さも同 じではないから、これらが同一性のあるフレーズであるとは認められない。 (7) フレーズBとフレーズf ・フレーズB「ドドファーーファファファソラソーーー」       (みちはーーきびしくともーーー) ・フレーズf「ドドファファファファララソ#ファソーーー」       (つらいときなきたいときーーー)  右のように、フレーズBとフレーズfは、冒頭の「ドドファ」とそれに続く八分音符三 個分、その後の八分音符二個分を経た後の八分音符「ソ」及び末尾の「ソーーー」におい て相対的な音階が共通するが、フレーズ同士を全体として比較すると、前半部分の音階の 変化を共通にするに過ぎず、前半部分においても、音符の数及び長さは異なっている上、 後半部分は、音階も明らかに異なるから、これらのフレーズに同一性があるということは できない。 (8) フレーズCとフレーズg ・フレーズC「ソソラーーソファーソラソーーミド」       (くちぶーーえをーふきなーーがら) ・フレーズg「ソソラーラソファーソラソーミレド」       (みどりーいろのーはっぱーかぜに)  右のように、フレーズCとフレーズgは、末尾の二音「ミド」(フレーズC)と三音 「ミレド」(フレーズg)を除いて、その音階の変化は同じであり、この点で相当程度類 似しているということができるが、同一の音階の中にあっても、音符の数及び長さは異な っている上、右のとおり末尾の音階も異なっているから、これらのフレーズに同一性があ るとまでいうことはできない。 (9) フレーズDとフレーズh ・フレーズD「ドレミーードシードレドーーー」       (あるいーーてゆーこーうーーー) ・フレーズh「ドレミーードレーードドーーーーー」       (ゆれるーーきねーーんじゅーーーー)  フレーズDとフレーズhは、前半部分において音階(ドレミーード)を共通にするのみ であり、後半部分は全く異なるから、両フレーズに同一性があるということはできない。 (四) 両曲のメロディーの同一性  以上のとおり、甲曲と乙曲をフレーズごとに対比してみると、一部に相当程度類似する フレーズが存在することは認められるが、右のフレーズを含めて各フレーズごとの同一性 が認められるとはいえないから、それらのフレーズによって構成されている乙曲のメロデ ィーと甲曲のメロディーの間に全体としての同一性を認めることはできない。 2 和声について  甲曲は、三種類の和声によって構成される楽曲である。  証拠(甲二〇、三〇)と弁論の全趣旨によると、乙曲の和声も、基本的には甲曲と同様 の三種類の和声によって基礎づけられるものであり、両曲は、和声において、基本的な枠 組みを同じくする楽曲であると認められる。  もっとも、具体的には、甲曲の和声が三種類のみからなっており、和声自体の変化を抑 えた比較的単純な構成となっている(別紙楽譜一参照)のに対して、乙曲の和声は、多様 な短和音を多数配している点に特徴があり、同一和声に調和するメロディーの中でも敢え て細かく和声を変化させて流れを作り出している(別紙楽譜二参照)ということができる。 3 拍子について  甲曲は二分の二拍子であるのに対して、乙曲は四分の四拍子である。  証拠(乙五)によると、二拍子と四拍子では、アクセントが異なるので、聴き手が曲か ら受ける感じが異なるものと認められる。 三 両曲の同一性  右二のとおり、両曲は、対比する上で最も重要な要素であるメロディーにおいて、同一 性が認められるものではなく、和声については、基本的な枠組みを同じくするとはいえる ものの、具体的な個々の和声は異なっており、拍子についても異なっている。  そうすると、その余の点について判断するまでもなく、乙曲が甲曲と同一性があるとは 認められないから、乙曲が甲曲を複製したものということはできない。   証拠(乙六ないし八)によると、被告は、乙曲を作曲したものと認められる。 四 以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はい ずれも理由がない。  他方、被告の請求は理由がある。  よって、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第四七部 裁判長裁判官 森  義之    裁判官 榎戸 道也    裁判官 杜下 弘記