・東京高判平成12年2月24日判時1719号122頁  ギブソン・ギター事件:控訴審。  被告(被控訴人・株式会社フェルナンデス)に対する、原告(控訴人・ギブソン・ギタ ー・コーポレーション)の不正競争防止法にもとづく差止めおよび損害賠償請求事件で、 原審において、原告製品は、発売当初の商品形態に特別顕著性があっても、多数の楽器メ ーカーからこれと同形態のエレクトリックギターが、多種類にわたって販売されるという 状況が十数年間継続したのに、原告がこれを放置し、同形態の商品表示機能の獲得、維持 の努力を怠ったために、原告製品の形態はダイリューション(希釈化)を起こし、需要者 の間において、特定の商品の出所を表示するものとしてではなく、エレクトリックギター の形態における一つの標準型として定着するにいたったとされ、原告製品の形態は商品表 示性を有しないとして、不正競争防止法2条1項1号にもとづく請求が棄却された。また、 被告の行為が取引界における公正かつ自由な競争として許される範囲を逸脱し、原告の法 的保護に値する営業上の利益を侵害するとして、不法行為に基づいてなされた請求も棄却 された。  本件控訴審判決は、「控訴人製品は、遅くとも昭和四八年(一九七三年)ころには、我 が国のロック音楽のファンの間で、エレクトリックギターにおける著名な名器としての地 位を確立し、それとともに、控訴人製品一の形態も、控訴人の商品であることを示す表示 として周知となったものと認められる」ものの、「このようにしていったん獲得された控 訴人製品一の形態の出所表示性は、遅くとも平成五年より前までには、事実経過により既 に消滅したものというほかない。すなわち、控訴人製品一の形態が出所表示性を獲得した 前後のころから、現在に至るまで二〇年以上にわたって、数にして多い時には一〇数社の 国内楽器製造業者から三〇以上ものブランドで、類似形態の商品が市場に出回り続けてき たという事実がある以上…、需要者にとって、商品形態を見ただけで当該商品の出所を識 別することは不可能な状況にあり、したがって、需要者が商品形態により特定の出所を想 起することもあり得ないものといわざるを得ないからである」として、控訴を棄却した。 (第一審:東京地判平成10年2月27日) ■判決文  理  由 第一 原判決の引用  当裁判所も、控訴人の本訴請求は理由がないものと判断する。  原判決の理由の、第一(不正競争防止法に基づく請求についての部分)中、一及び二の 部分(当事者及び控訴人製品の認定の部分)、並びに、三(控訴人製品の形態の周知商品表 示性についての部分)の別紙控訴人製品目録二及び三記載の正面輪郭形状を有するエレク トリックギターのシリーズ(以下「控訴人製品二」、「控訴人製品三」という。)についての 認定判断の部分は、当裁判所も同じ認定判断であるから、これを引用する。 第二 控訴人製品一について 一 控訴人製品の形態の周知商品表示性について 1 証拠(各項目ごとに括弧内に摘示する。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認め られる。 《中 略》 2 右認定の事実によれば、控訴人製品一は、アメリカ合衆国やイギリスにおいて、ロッ ク音楽の演奏家やファンの間で、著名なロック音楽の演奏家も愛用するエレクトリックギ ターの著名な名器として周知となっていたこと、このことは各種音楽情報等を通じて、我 が国にも伝わり、我が国においても、ロック音楽のファンの間で、控訴人製品一は、著名 なロック音楽の演奏家が愛用するエレクトリックギターの著名な名器であると認識されて いたものの、高額で、輸入される数量も少なかったため、容易に入手することができない いわば高嶺の花であったこと、ところが、昭和四三年(一九六八年)ないし昭和四四年(一 九六九年)ころから、控訴人製品一の名器としての著名性に便乗して利益を挙げようとし て、控訴人製品一を模倣した国産のエレクトリックギターが多数市場に出回るようになっ たことで、いわば控訴人製品一の代用品として、需要者に一応の満足を与えることになっ たこと、しかし、プロのロック音楽の演奏家やこれを目指している者など一部の者は、こ れに飽きたらず、控訴人製品一の入手に尽力していたことが認められ、そうすると、控訴 人製品一は、遅くとも昭和四八年(一九七三年)ころには、我が国のロック音楽のファン の間で、エレクトリックギターにおける著名な名器としての地位を確立し、それとともに、 控訴人製品一の形態も、控訴人の商品であることを示す表示として周知となったものと認 めることができる。 3 被控訴人は、被控訴人その他の楽器製造業者は、特に控訴人製品一を選んで参考にし たわけではなく、我が国での知名度いかんに関わらず、アメリカ合衆国及びイギリスにお けるありとあらゆる有名楽器製造業者の製品を参考にしたとか、控訴人製品一が多く参考 にされたのは、第一に、楽器そのものの造りや音質が優れていたこと、第二に、神田商会 や荒井貿易の模倣品が大当たりし、そのために同タイプの部品の価格が安価となり、これ に目をつけた国内製造会社が低コストでの生産を目指して同じ形態の製造に参入したこと などのためであるとの理由で、被控訴人らの模倣の事実を控訴人製品一の我が国における 周知著名と結び付けることはできない旨主張する。  しかしながら、被控訴人の右主張は、これを裏付けるに足りる証拠がない。かえって、 前記1(九)に認定した事実によれば、被控訴人を含めた我が国の楽器製造業者において、 控訴人製品一がアメリカ合衆国及びイギリスのみならず我が国でも周知となっていたため に、これに便乗しようとしたことは明らかである(神田商会や荒井貿易の模倣品が大当た りしたとの、被控訴人がその主張の根拠とする事実自体、このことを示す一つの有力な資 料である。)。被控訴人の右主張は、採用することができない。  被控訴人は、商品形態が商品表示性を獲得するためには、ある程度の形態上の特徴が必 要であるのに、控訴人製品一の正面輪郭形状自体、そのような特徴を具えていたとはいい 難い旨主張し、これを裏付けるものとして、控訴人製品一が製造販売された当時、既に、 控訴人製品一の正面輪郭形状と同種のギターとして、「APP」というブランドのエレクト リックギターが一九四二年に他の業者により製作、発表されていたこと、一九四八年には、 ビグズビー社が控訴人製品一の正面輪郭形状と同じシングルカッタウェイのギターを製造 販売していたことを挙げている。  「APP」というブランドのエレクトリックギターが一九四二年に他の業者により製作、 発表されていたこと、一九四八年には、ビグズビー社が控訴人製品一の正面輪郭形状と同 じシングルカッタウェイのギターを製造販売していたことは、乙第二号証から明らかであ る。しかし、同号証によれば、これらは、控訴人商品と比べた場合、外形にある程度共通 するところはあるが、相違しているところも多く、類似しているとはいい難い。被控訴人 の右主張は、採用することができない。  被控訴人のその余の主張も、前記認定判断に照らし、採用することができない。 二 ダイリューション(希釈化)について  控訴人製品一は、遅くとも昭和四八年(一九七三年)ころには、我が国のロック音楽の ファンの間で、エレクトリックギターにおける著名な名器としての地位を確立し、それと ともに、控訴人製品一の形態も、控訴人の商品であることを示す表示として周知となった ものと認められることは前述したとおりである。  しかしながら、前記一の1(九)で認定した事実の下では、このようにしていったん獲得 された控訴人製品一の形態の出所表示性は、遅くとも平成五年より前までには、事実経過 により既に消滅したものというほかない。すなわち、控訴人製品一の形態が出所表示性を 獲得した前後のころから、現在に至るまで二〇年以上にわたって、数にして多い時には一 〇数社の国内楽器製造業者から三〇以上ものブランドで、類似形態の商品が市場に出回り 続けてきたという事実がある以上(しかも、この事実に対し、平成五年(一九九三年)ま での間は、控訴人によって何らの対抗措置を執られていないことは、控訴人自身認めると ころである。)、需要者にとって、商品形態を見ただけで当該商品の出所を識別することは 不可能な状況にあり、したがって、需要者が商品形態により特定の出所を想起することも あり得ないものといわざるを得ないからである。  この点につき、控訴人は、我が国で製造販売されていた控訴人製品一の模倣品は、模倣 品であることが明示されて流通に置かれていたのであり、模倣品を製造販売する業者は、 自らが、その形態は控訴人の商品のものであって、自社の商品表示ではないことを明らか にしているのであるから、これら模倣品が出回っていたことによって控訴人製品一の形態 の有する出所表示機能が希釈され、控訴人製品一の形態が出所表示機能を失うことはあり 得ない旨主張する。  しかしながら、需要者が、控訴人製品一の形態の商品の中には、控訴人製品一を模倣し たものも多数あることを認識しているということは、需要者が、控訴人製品一の形態の商 品の形態を見て控訴人を含む複数の出所を想定することを意味するものであって、これは、 とりもなおさず、控訴人製品一の形態自体は特定の出所を表示するものとして機能してい ないことを物語るものである。  控訴人の右主張は、控訴人製品一の形態に接した需要者の中に生ずる、商品の出所につ いての認識と、形態の出所についての認識とを混同するものであって、誤りという以外に ない。右形態に接した需要者は、それが控訴人に由来する形態であると考え、控訴人を同 形態の商品のいわば本家であるとは考えても、直ちに同形態の商品を控訴人の商品と考え ることはないからである。 三 不法行為(予備的請求原因)について 1 商品形態の模倣行為は、不正競争防止法による不正競争に該当しない場合でも、取引 界における公正かつ自由な競争として許される範囲を著しく逸脱し、それによって被控訴 人の法的利益を侵害する場合には、不法行為を構成するものというべきである。 2 前記認定のとおり、被控訴人は、エレクトリックギターの著名な名器である控訴人製 品一の顧客吸引力に便乗して利益を挙げようとして、これに似せた精巧な模倣品であるこ とを売り物として被控訴人製品一の製造、販売をしたものであり、このような種類の模倣 行為が、被模倣者の意思に反しないものと考えさせる状況があるときなど例外的な場合を 除き、取引界における公正かつ自由な競争として許される範囲を著しく逸脱するものであ ることは明らかというべきである。そして、このような種類の模倣行為は、原則としては、 被模倣者の意思に反するものとみるべきであることも明らかであるから、被控訴人が行っ てきた模倣行為は、その当初の段階においては、不法行為の要件としての違法性を有する ものとして開始され、継続されていたものというべきである。 3 しかしながら、同様の模倣行為が続いた場合、それが公正かつ自由な競争として許さ れる範囲から逸脱する度合いは、時の経過とともに生ずる状況の変化に応じて変化するこ とがあり得るのも当然というべきである。右度合いは、行為に関連するあらゆる事柄を総 合して判定すべきものであるからである。 4 この点につき本件において極めて重要な意味を有するのは、被控訴人を含む多数の楽 器製造業者による右認定の態様の模倣行為が長年にわたって継続されてきており、その結 果、控訴人製品一の形態は、控訴人創作の名器に由来することが知られつつ、控訴人を含 むどの楽器製造業者のものとしても出所表示性を有さないものとなって、その意味で、原 判決にいうエレクトリックギターの形態における一つの標準型を示すものとして需要者の 間に認識されるに至っているとの事実、及び、控訴人が、平成五年(一九九三年)までの 二〇年以上にわたってこれを放置し続けてきたという事実である。  前者の事実が、前記態様の模倣行為に対する公正かつ自由な競争からの逸脱の度合いを 軽くするものであることは、例えば、このような状況の下で右行為によらないでエレクト リックギターの製造、販売を行おうとすれば、従前からの業者にせよ、新たに参入しよう とする業者にせよ大きな制約を受けざるを得ないことを考えただけでも明らかというべき である。  後者の事実は、模倣行為についての控訴人の知不知や主観的意図のいかんにかかわらず、 客観的には、控訴人が右状態を黙認、さらには容認しているとの評価を許す要素を有する ものであり、このことは、前記態様の模倣行為には、控訴人にとっての利害という観点か らみるとき、一方では、控訴人製品一の形態の希釈化(ダイリューション)を引き起こす などの好ましくない面があるとともに、他方では、これにより、控訴人製品一の名器とし ての名声をいやがうえにも高めることにより、同形態のものの本家としてのその価値をま すます高めるという営業上の好ましい面もあることを考えると、より強くいい得るところ である。この点に関しては、前記認定のとおり、神田商会や日本楽器製造株式会社が、控 訴人製品一の模倣品を販売していたのみならず、これらの業者が、控訴人の我が国におけ る代理店として控訴人製品一の販売をも営んでいたという事実も見逃すことはできない (乙第一三号証〜第一五号証)。 5 このようにみてくると、本件で控訴人が不法行為としてとらえ損害算定の根拠として いる期間(平成五年九月三日から平成八年九月二日まで)の被控訴人による模倣行為につ いては、たといそれが控訴人から対抗措置を執られた後のものであったとしても、もはや 不法行為の要件としての違法性を帯びないものというべきである。 6 なお、右には、控訴人製品一について述べてきたが、同様のことは、控訴人製品二、 三についても当てはまるところである。 第三 以上によれば、その余につき検討するまでもなく、控訴人の請求は理由がないこと が明らかであるから、これを棄却すべきであり、これと結論において同旨の原判決は相当 であって、本件控訴は理由がない。よって、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負 担、上告及び上告受理の申立てのための付加期間について、民事訴訟法六一条、九六条二 項を適用して、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第六民事部 裁判長裁判官 山下 和明    裁判官 山田 知司    裁判官 宍戸 充