・東京地判平成12年3月27日判時1711号137頁  アレルギー治療薬事件。  原告(キッセイ薬品工業株式会社)は、新規物質トラニラストの生産方法の発明につい て特許権を有していたところ、トラニラストを製造、販売した被告製薬会社9社の行為が 右特許権の侵害に当たると主張して、被告らに対し、特許法104条の推定規定の適用を 前提として損害賠償を求めた。これに対し、被告らは、その製造、販売したトラニラスト は、右特許発明に属さない方法により生産されたと主張して争っている。  判決は、原告の請求を棄却したが、その際、「被告らの訴訟活動は、以下のとおり、証 拠提出の順序、時期及び方法のいずれの点においても、公正さを欠き、信義誠実に著しく 反する」として、被告ら(後に提訴された被告2社を除く)に原告に生じた訴訟費用のう ち5分の4の負担を命じた。 ■争 点 1 各製剤メーカーが製造、販売したトラニラスト製剤は、被告白鳥の製造に係るトラニ ラスト原末を使用したものであるか。 2 被告白鳥は被告主張方法を用いてトラニラスト原末を製造したか。 3 被告主張方法は本件発明の技術的範囲に属するか。 4 損害額 ■判決文 第三 争点に対する判断 一 争点1について 《中 略》 2 右認定した事実によれば、トラニラスト原末についての被告白鳥の販売量、その他の 被告らの各購入量が概ね整合していることが裏付けられ、そうすると、被告製剤メーカー らが、製造、販売したトラニラスト製剤は、被告白鳥の製造したトラニラスト原末を使用 したものであると認定することができる。 二 争点2について 1 証拠(各箇所で摘示する。)及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおりの事実が認めら れ、これを覆すに足りる証拠はない。  認定事実、すなわち、@製造過程、原料の購入量、製品の製造量及び販売量を裏付ける 証拠資料に矛盾がなく、整合していると解されること、AHPLC不純物分析の結果によ れば、被告主張方法の生成物と市販製剤のHPLC不純物分析チャートのパターンが一致 する一方、本件発明方法の生成物と市販製剤とは、HPLC不純物チャートのパターンが 異なると認められること、B三恵特許方法や被告白鳥の医薬品製造承認書における製造方 法と被告主張方法とを対比すると、それぞれがほぼ一致していると解されること、C本件 発明方法と三恵特許方法や被告主張方法との経済性を比較すると、本件発明方法は、収率 等の点において利点が少なく、本件発明方法を選択する合理的な理由が存在しないこと、 D工場検分の結果によれば、被告主張方法によって、医薬品としてのトラニラストを工場 的規模で製造することは可能であると認められること等諸般の事実を総合的に考慮すると、 被告白鳥は、被告主張方法を用いて、トラニラスト原末を製造したことを認定することが できる。 《中 略》 三 争点3について 1 本件発明方法は、出発物質として、芳香族カルボン酸(桂皮酸を含む。)の反応的官能 的誘導体とアミノ安息香酸(アントラニル酸を含む。)を用いるものである。他方、被告主 張方法は、出発物質として、桂皮酸と無水イサト酸を用いるものである。したがって、両 者を比較すると、二つの出発物質のいずれも異なるから、被告主張方法は本件発明の技術 的範囲に属さないことが明らかである。 《中 略》 (二) 均等論について  原告は、被告主張方法は本件発明方法と均等である旨主張する。  しかし、前記のとおり、本件発明方法と被告主張方法は、それぞれの二つの出発物質が 両方とも異なるものであり、しかも、原告の主張する反応経路(本件発明方法を含む。)が 被告主張方法における主たる反応経路であることは認めるに足りないというのであるから、 このような場合に、被告主張方法と本件発明方法との相違が非本質的部分であるとはいう ことはできない。  原告は、本件発明は、目的物質とその有用性の提供のみが本質的部分である旨主張する が、本件発明は、方法の発明であることに照らせば、右主張は採用できない。  したがって、原告の均等論の主張も認められない。 四 被告らの主張、立証活動について 1 本件は、被告らの主張、立証が極めて長くかかった事件である。近時、数多くの事件 において、迅速審理を実践し、早期に審理を終了しているが、それらの事件と比べると、 本件は例外に属する。  前記のとおり、本件は、新規物質トラニラストの製造方法の発明について特許権を有し ていた原告が被告らに対し、トラニラストを製造、販売した被告らの行為が右特許権の侵 害に当たると主張して、被告らに対し、特許法一〇四条の推定規定の適用を前提として差 止め(後に損害賠償に変更)を求め、被告らは、その製造、販売したトラニラストは、右 特許発明の技術的範囲に属さない方法により生産されたと主張して争った事案である。  被告らは、右推定を覆すために、被告白鳥がトラニラスト原末を製造した方法を具体的 に主張し、主張に係る事実を立証するための証拠資料を提出しようとした。  被告らの主張、立証活動の概要は、以下のとおりである。 (一) 審理当初、被告らは、被告白鳥が現実に実施したトラニラストの製造方法のうち、 粗結晶の反応工程のみを開示し、精製工程については一切開示することはなかった。そし て、反応工程の証拠資料として、「医薬品製造承認関係書類」、僅かに三ロット分の「製造 指図(記録書)」、「製造工程検査記録書」等を提出した。  原告は、@精製工程が開示されないので、医薬品としての製造の立証として不十分であ る、A右記録書等は、追試実験の結果等と一致しないので信憑性がない等と反論した。 (二) 被告らは、原告からの反論に対し、被告白鳥が現実に実施した方法は原告の追試実 験における再結晶精製工程とも異なること、現実に実施した方法は、再結晶母液からもト ラニラストを回収すること等を述べて、その主張を変更した。その後も、被告らは、被告 白鳥が現実に実施した方法について、主張を変更している。 (三) その後、被告らは、「製造工程検査記録書」記載の工程が現実に再現可能であるか等 を確認(追試)するため、被告白鳥の工場内での工場検分を提案し、平成四年一〇月から 一一月にかけて実施した。しかし、被告白鳥が工場検分において実施した方法は、結果的 には、PH調整・晶析工程における方法などの点において、被告らが事前に確認した工場 検分案のとおりではなかった。  なお、被告らは、平成四年一〇月一五日に、ようやく、工場検分方法との対比の必要上、 粗結晶までの製造記録(ただし、三ロットのみ)を提出した。 (四) 被告らは、当初、無水イサト酸の純度は九〇パーセントのものを使用したと主張し ていたが、原告から、製造量との矛盾を指摘されると、純度に関する主張を撤回して、九 九パーセントであると変更した。 (五) ところが、被告らは、訴訟開始から五年以上経過した後の平成七年七月一七日に、 トラニラストの製造工程の全製造記録であるとして、大量の書証を提出し、それ以外の立 証の必要はないとした。  しかし、その後も、当裁判所が損害額の審理を開始し、損害額に関する文書提出命令を 発してからも、被告らは、平成九年七月二二日に、既に提出した書証は製造記録のすべて ではない、新たに提出した書証が全工程に関する全製造記録であるとして、大量の書証を 提出した。 (六) なお、前記の被告らの訴訟活動は、辞任する(ただし被告三恵、被告進化を除く。) 前の訴訟代理人によって行われた。その後、新たに受任した被告ら訴訟代理人から、証拠 評価も含めた丁寧な補足説明がされている。 2 以上の訴訟経緯を前提として、当裁判所の見解を述べる。  挙証者は、相手方のための反証の機会を保証し、迅速な審理を実現する観点から、証拠 価値が高く、重要な証拠を、先に提出すべきであることはいうまでもなく、逆に、証拠価 値の低い証拠を提出しておいて、審理状況を見た上で、後日重要な証拠を提出するような 訴訟活動は許されるべきではない。ところで、本件では、「工場内において現実に実施した 医薬品たるトラニラストの製造方法がいかなる方法であったか」が主要な立証対象である ことに照らすならば、製造記録こそが重要な証拠の一つであることは疑いの余地はない。 製造記録は、自社内で作成されるものであるから、その信憑性の吟味が不可欠となる。例 えば、@製造記録相互間で矛盾がないか、前後の流れが合理的であるか、A製造量、販売 量に関する資料等との調和が採れているか、B第三者との取引資料等と整合しているかな ど様々な観点から証拠価値を検討するために、他の証拠資料が必要であるのみならず、製 造記録自体についても、精製工程をも含む連続した一連の記録全体が必要であるのは当然 である。また、挙証者は、自己が提出した証拠の作成経緯、記載内容等について、明らか でない点があれば補足説明をすべきであるし、相手方からの釈明に対しては誠実に応答し、 さらに、場合によって、他の客観的な証拠を補充した上で、合理的な説明をして、相手方 が、証拠の信憑力に関して、速やかに検討できるよう協力することが必要である。  ところで、被告らの訴訟活動は、以下のとおり、証拠提出の順序、時期及び方法のいず れの点においても、公正さを欠き、信義誠実に著しく反する。  まず、提出の順序についてみると、被告らは、当初、どの程度の信憑性があるか検討す ることすらできないような、証明力の著しく劣る僅かな証拠を提出し、その立証が失敗す ると、主張を変更した上で、より証明力の高いと考えられる証拠を、逐次、小出しに提出 するという訴訟活動を繰り返した。特に、被告らは、精製工程を含む製造記録の提出を頑 なに拒否していたにもかかわらず(被告白鳥の工場実施が終了して、数年が経過した後で あり、格別、秘密を確保しなければならないような理由はない。)、後に態度を翻して、全 記録を提出するに至った。このような提出方法は、相手方が証拠を検討し、反証活動を行 うことを困難にさせ、迅速かつ充実した審理の実現を阻害する、不当な訴訟活動であると いえる。  次に、提出の時期についてみると、被告らが、トラニラスト製造に係る全工程の製造記 録を提出したのは、訴訟提起から七年以上経過した後である。前記のとおり、製造記録は、 自社内で作成されるために、その性質上、常に改竄が疑われる資料である。作成から時が 経過すればするほど、信憑性の有無を吟味することが困難となる。そのような疑義を避け るためにも、速やかに提出すべきであるといえるが、本件において、被告らは、提出時期 が遷延したことについて、何ら合理的な説明をしていない。この点も、迅速審理及び審理 充実に対する配慮が欠けているといわざるを得ない。  最後に、証拠の提出方法についてみると、被告らは、更なる証拠提出の予定はないと述 べながら、前言を撤回して、突然大量の証拠を提出したり、相手方から、疑問点を指摘さ れたり、釈明を求められたりすると、容易に説明が可能であるにもかかわらず、何ら適切 な応答をしないという訴訟活動を行った。このような訴訟態度も、公正さを欠くものとい わざるを得ない。 3 そこで、進んで、当初わずかな証拠しか提出せず、長期間が経過した後になって大量 の証拠を提出した等の被告らの訴訟態度に照らし、遅れて提出された証拠を、判断の基礎 から排除することが相当であるか否かを検討する。  確かに、被告らの訴訟活動が著しく公正さを欠くものと解されることは上記のとおりで あり、そのことを理由に、審理当初の段階に提出された証拠のみを基礎として判断すべき であるという考えも成り立ち得ないではない。しかし、被告らの訴訟活動は、随時提出主 義を採用した改正前の民事訴訟法(旧民事訴訟法)の下で行われたこと、裁判所が被告ら からの証拠提出に対して、時機に遅れた防御方法であることを理由に却下する措置を講じ なかったこと等に照らすと、本件においては、訴訟手続における公正の要請を、実体的な 真実解明の要請に優先させて、遅れて提出された訴訟資料を一律的に排除して、被告らの 立証は尽くされていないと判断することは、相当でないと考えられる。  なお、迅速審理を主眼とし、適時提出主義を採用した現行民事訴訟法の下で、本件にお いて被告らが行ったのと同様の訴訟活動がされた場合には、時機に遅れた攻撃又は防御の 方法に当たることを理由に、直ちに証拠提出を却下した上で、手続的な公正さ及び迅速審 理の要請を優先させる審理がされることになるので、今後は、本件のような訴訟活動は生 じないであろう(当裁判所は、前記1の訴訟経緯に照らして、平成一〇年七月二七日以降 に提出された証拠方法の一部については、時機に遅れた防御の方法に当たるとして、却下 した。)。 4 前記のとおり、被告らは、当初はトラニラストの粗結晶までの工程の主張、立証で足 りるとして、精製工程の開示、立証を拒み続けていたこと、被告らが、口頭弁論終結時に 主張している精製工程の内容、ソルミックスの使用や母結処理工程の存在は、訴訟の早期 の段階において主張しなかったこと、被告らは、製造記録の大半について、合理的な理由 もないのに、極めて遅れた段階まで提出しなかったことは、不適当な訴訟活動であり、そ のため本件訴訟の円滑な審理が妨げられたものといわざるを得ず、そのような経緯に鑑み、 民事訴訟法六三条に基づき、訴訟費用については、原告に生じた費用の五分の四を被告ら (後に提訴された被告ニッショー、同菱山製薬販売を除く。)に負担させることとした。 五 結論  以上の次第で、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担に ついては、前記のとおり、被告ら(後に提訴された被告ニッショー、同菱山製薬販売を除 く。)との間においては、原告に生じた費用の五分の四を右被告らの負担とし、その余は各 自の負担とすることとして、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第二九部 裁判長裁判官 飯村 敏明    裁判官 沖中 康人    裁判官 石村 智