・東京高判平成12年3月29日  エスニシティ論文事件:控訴審。  原告(控訴人)は、桜美林大学国際学部の助教授として民族研究および比較政治学の研 究ならびに教育活動をしている者である。被告(被控訴人)は、一橋大学社会学部の教授 として国際社会学の研究および教育活動をしている者である。  原告は、「エスニシティと現代社会@政治社会学的アプローチの試み@」と題する論文 (原告論文)を執筆し、岩波書店発行の雑誌「思想」1985年4月号(昭和六〇年四月 五日発行)に発表した。また、原告は、平成六年九月二〇日、一橋大学社会学部主催の国 際シンポジウム「多文化主義時代における世界と日本」において、「西洋先進諸国における エスニック・マイノリティの政治的権利(Political Rights of Ethnic Minorities in Western Europe)」と題する研究報告(原告報告)を行った。  被告は、「離脱者・媒介者・民族的闘士@エスニック紛争の中の諸主体@」と題する論文 (被告第一論文)を執筆し、別紙書籍目録記載一の書籍の第T編第2章として収載した。 また、被告は、「外国人の地方参政権@西欧諸国の経験と日本への示唆@」と題する論文(被 告科研費論文)を執筆し、これを平成七年三月発行の平成五〜六年度文部省科学研究費補 助金(総合研究A)研究成果報告書「地域社会における外国人労働者@日・欧における受 入れの現状と課題@」において発表した。さらに、被告は、被告科研費論文の内容を敷衍 した「外国人の参政権@西欧諸国の対応@」と題する論文(被告第二論文)を執筆し、こ れを「国際政治110号@エスニシティとEU」(平成七年一〇月二一日発行)において発 表した。被告第二論文は、別紙書籍目録記載二の書籍の第七章として再録された。  本件は、原告が、@被告第一論文は原告論文を、被告第二論文及び被告科研費論文は原 告報告を、それぞれ翻案したものであるから、被告の右一3(一)(二)の行為は原告の著 作権(翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権)を侵害する、A被告の右一3(一)(二) の行為は、原告の研究成果を剽窃するものであるから、不法行為を構成する、と主張して、 著作権及び著作者人格権侵害を理由とする別紙書籍目録記載の各書籍の出版の差止め及び 謝罪広告の掲載を求めるとともに、不法行為(主位的に右@を、予備的に右Aを理由とす る。)に基づく損害賠償を求めた事案である。  本件控訴審判決は、原告の請求を棄却した原審判決を維持して控訴を棄却した。 (第一審:東京地判平成11年7月23日) ■判決文  理  由 一 原判決の引用  当裁判所も、控訴人の本訴請求はいずれも理由がないものと判断する。  その理由は、次に述べるとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の「第四  当裁判所の判断」と同じであるから、これを引用する。 二 当審における控訴人の主張について 1 不法行為について  控訴人は、他人の研究成果に依拠し、その研究成果をあたかも自己のもののごとく装っ て発表することは、その発表の仕方が著作権侵害行為になるか否かにかかわらず、不法行 為に該当するものであるのに、原判決は、著作権侵害の有無についてのみ判断し、不法行 為を審理判断していないと主張する。  しかし、原判決は、争点一及び二において、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第 二論文が、いずれも原告論文及び原告報告を翻案したものであるか否かを詳細に検討した 上、これを否定するに至り、このことを前提として、争点三において、これらの論文等の 一部に共通する部分があるとしても、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第二論文が 原告論文及び原告報告を剽窃したものではなく、これらを発表することに違法性があると は認められないと明確に判断している(原判決六三頁四行〜六四頁七行)。そして、この ように他人の論文等を翻案したものと認められない論文等の発表が不法行為を構成するこ とを認めるに足る証拠はないから、控訴人の主張を採用する余地はない。  また、控訴人は、学術論文においては個々の記載の文章上の工夫より、論文の構造、論 旨、論理展開が重要視され、先輩研究者といえども、自分がその分野の研究で先行したか らといって、後輩研究者の研究成果を横取りしたり、研究論文を剽窃したりすることは許 されないから、そのような行為は、研究者の学問的業績に対する権利、利益を奪うもので あって、不法行為を構成すると主張する。  このような一般的見解自体は正当なものと解されるが、本件の場合、被告第一論文並び に被告科研費論文及び第二論文が、原告論文及び原告報告を翻案したものでなく、これら を剽窃したものでもない上、被告第一論文と原告論文とは、マッケイ論文の紹介を通じて 「エスニシティ」を論ずるという基本的性格において共通する面があり、両者を全体とし て対比すると、その目的、構成、議論の展開、結論がいずれも異なるものと認められ(原 判決三六頁五〜七行)、被告科研費論文及び第二論文と原告報告とを全体として対比して も、その目的、構成、論理展開がいずれも異なるものと認められる(同五六頁二〜七行) 以上、その発表行為が不法行為に該当しないのは当然といわなければならない。 2 依拠について  控訴人は、著作権侵害の問題において、依拠(アクセス)がなければ侵害が生じないか ら、まず依拠の有無が問題となるにもかかわらず、原判決は、著作権侵害の判断において、 同一性(翻案)の有無のみを判断し、依拠の有無を判断していないと主張する。  しかし、同一性(翻案)の有無が、著作権侵害の要件であることに争いはなく、原判決 は、争点一及び二において、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第二論文が、いずれ も原告論文及び原告報告を翻案したものとはいえないと判断しているのであるから、その 余の点について判断するまでもなく、著作権侵害は否定されることになる。したがって、 原判決が、「被告第一論文が原告論文に依拠したかどうかについて判断するまでもなく」 (原判決四七頁一一行〜四八頁一行)、「被告科研費論文が原告報告(原告報告書)に依 拠したかどうかについて判断するまでもなく」(同六二頁七〜八行)と説示した上、著作 権侵害は否定したことに誤りはなく、控訴人の主張は、到底、採用することができない。  また、当審における、被告第一論文が原告論文に依拠した旨の控訴人の主張、被告科研 費論文及び第二論文が原告報告に依拠した旨の控訴人の主張は、いずれも原審における主 張の範囲を実質的に出るものではなく、それらがいずれも採用できないことは、原判決の 争点一に関する説示(原判決三〇頁一一行〜四八頁六行)及び争点二に関する説示(同四 八頁七行〜六三頁三行)に照らして明らかといわなければならない。 3 翻案について  控訴人は、本件において複製権の侵害ではなく翻案権の侵害を主張するものであるとし、 複製においては同一性が論じられるが、翻案においては「原著作物を感得し得るか」が論 じられるのであるから、その判断基準は類似をも含む実質的同一よりも更に広い範囲であ り、同一性の薄い場合も含むものであって、原著作物の内面的形式を維持しつつ、これに 創意に基づき新たな具体的表現(外部的形式)を与えた場合も翻案であるにもかかわらず、 原判決は、表現の相違を根拠として翻案を否定しており、外部的形式の変更にとらわれて 内面的形式が維持されていることへの配慮を怠ったものであると主張する。  仮に、控訴人の主張のように、翻案権の侵害を判断するにおいて、「原著作物を感得し 得るか否か」という基準を採用するとしても、本件においては、前示のとおり、被告第一 論文並びに被告科研費論文及び第二論文が、いずれも原告論文及び原告報告を翻案したも のでなく、すなわち、表現上の類似性を欠くものであり、しかも、両者を全体として対比 すると、その目的、構成、議論の展開等がいずれも異なるものと認められる以上、前者が 後者を感得させるものでないことは明らかである。  したがって、この点に関する原判決に誤りはなく、控訴人の主張は失当といわなければ ならない。 三 以上によれば、控訴人の本訴請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は正 当であり、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担 につき、民事訴訟法六一条、六七条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第一三民事部 裁判長裁判官 田中 康久    裁判官 石原 直樹    裁判官 清水 節