・東京地判平成12年4月25日  「ちぎれ雲」事件。  X(原告映画監督・脚本家:山口巧)は、Y映画会社(株式会社あすなろ)の依頼に もとづいて映画「ちぎれ雲」の脚本を著作し、監督として映画を製作した。訴外(由井 りょう子)は、本件脚本をもとにして本件小説『ちぎれ雲〜いつか老人介護』を、訴外 (河出書房新社)から出版した。その際、本件小説の初校正ゲラ刷りの段階では、奥付 に著者である「由井りょう子」と原著作者である「山口巧(原案)」が二段に併記され ていたが、A(Yの従業員)からの申入れにより、現実に出版された単行本の奥付には 「著者 由井りょう子」とだけ表記して「山口巧(原案)」の部分を削除し、Xの氏名は、 奥付の前頁に「本書は、映画『ちぎれ雲』を小説化したものです。」、「映画『ちぎれ 雲 いつか老人介護』と二段で記載された下の、「出演」、「製作」、「スタッフ」、 「推薦・後援」の「スタッフ」の所に、「脚本・監督 山口巧」と表記されたのみであっ た。  判決は、本件小説はX脚本にもとづいて執筆されたものであり、本件小説は、X脚本 を原著作物とする二次的著作物であると認めたうえで、下記のように述べて、本件のよ うな氏名表示は原著作者としての表記とはいえず、AはXの氏名表示権を侵害したとし て、Yに対する慰謝料50万円の請求を認容した。  「右の現実に出版された単行本の奥付の記載では、Xの氏名は、映画のスタッフとし て表記されたのみであって、本件小説の原著作者として表記されたとは認められない。 これに対し、河出書房新社が作成した本件小説の単行本の初校正ゲラ刷りの段階では、 Xの氏名が、本件小説の原著作者として表記されていたものと認められる。  そうすると、Aは、河出書房新社に対して申入れをして、本件小説の原著作者として の原告の氏名の表記を削除させたということができるから、この行為は、本件小説に関 するXの氏名表示権を侵害する行為であるということができる。」 ■判決文 第四 当裁判所の判断 一 事実関係  《中 略》 二 争点一(原告が本件脚本の著作権を有するかどうか)について 1 右一3のとおり、本件脚本は、原告が執筆したものであるから、その著作権を有する のは原告であると認められる。  被告は、原告が本件脚本の著作権を有することを争い、@被告は右著作権を原始的に取 得した、A仮にそうでないとしても、本件契約により原告から右著作権の譲渡を受けたと 主張する(前記第三の一2)。  しかし、法人である被告が本件脚本のような言語の著作物の著作権を原始取得するのは、 著作権法一五条一項(職務著作)の規定が適用される場合だけであるところ、被告が前記 第三の一2で主張するような事情は右職務著作の規定の適用の要件たる事実には当たらな いから、被告の右@の主張は主張自体失当である。  次に、被告の右Aの主張について判断する。本件契約には、右一4認定のような趣旨の 条項があることが認められるが、これらの条項は、被告に本件映画の著作権が帰属するこ と(第四条)、被告が本件映画について利用権を有すること(第八条)及びフィルム・ク レッセントが本件映画の脚本等の著作者等との関係で被告の右利用権を保証すること(第 一二条)を定める条項であることはその文言上明らかである。本件脚本の著作権の帰属は、 右の映画に関する著作権の帰属やその利用関係とは別個に定まるものである上、原告が本 件脚本の著作権を有するとしても、原告が本件映画について本件脚本の利用を許諾してい れば、被告が右の各条項によって認められた権利を行使することの障害となることはない ものと解されるから、右の各条項が存するからといって、原告が本件脚本の著作権を被告 に譲渡したものと認めることはできない。また、右一1ないし3のとおり、本件映画は山 村が発案したものであり、その脚本は何人かの脚本家に依頼し、最後に原告に依頼して作 られたものであるが、そのような事情は、本件脚本の著作権の帰属を左右するものとは認 められない。さらに、証拠(乙七、一五)によると、本件契約の請負代金中には、原告の 脚本料が含まれていることが認められるが、脚本料の趣旨、内容について被告と原告又は フィルム・クレッセントとの間で話合いがされた事実を認めるに足りる証拠はないこと、 証拠(原告本人)によると、原告は、右脚本料について脚本を映画に使用することに対す る対価であると考えていたものと認められること、本件契約のような映画の請負契約にお いて脚本料は脚本の著作権の譲渡代金であると一般に理解されていたことを認めるに足り る証拠はないことを総合すると、右脚本料支払の事実があるからといって、原告が本件脚 本の著作権を被告に譲渡したとは認められない。そして、他に右譲渡の事実を認めるに足 りる証拠はない。したがって、被告の右Aの主張は採用できない。 三 争点二(被告が本件小説に関する原告の氏名表示権を侵害したかどうか)について 1 右一6の事実によると、本件小説は本件脚本に基づいて執筆されたものであると認め られるから、本件小説は、本件脚本を原著作物とする二次的著作物であると認められる。 したがって、原告は、本件小説の公衆への提供に際して原著作者として氏名表示権を有す る(著作権法一九条後段)。 2 右一7のとおり、河出書房新社は、本件小説の単行本の初校正ゲラ刷りの段階では、 奥付に著者である「由井りょう子」と原著作者である「山口巧(原案)」を二段に併記し ていたが、瀬沼からの申入れにより、現実に出版された単行本の奥付には「著者 由井り ょう子」とだけ表記して「山口巧(原案)」の部分を削除し、原告の氏名は、奥付の前頁 の映画の「スタッフ」の所に「脚本・監督 山口巧」と表記されたのみであったと認めら れる。  右の現実に出版された単行本の奥付の記載では、原告の氏名は、映画のスタッフとして 表記されたのみであって、本件小説の原著作者として表記されたとは認められない。これ に対し、河出書房新社が作成した本件小説の単行本の初校正ゲラ刷りの段階では、原告の 氏名が、本件小説の原著作者として表記されていたものと認められる。  そうすると、瀬沼は、河出書房新社に対して申入れをして、本件小説の原著作者として の原告の氏名の表記を削除させたということができるから、この行為は、本件小説に関す る原告の氏名表示権を侵害する行為であるということができる。 3 被告は、河出書房新社は原告の意見も聴いた上で、原告の氏名を奥付ではなく、その 前頁の映画のスタッフとして表示することにしたのであり、原告はそのような表示にする ことに同意していた旨主張する(前記第三の二2)。しかし、証人瀬沼の右の点に関する 証言はきわめてあいまいであって、同証言から右の事実を認めることはできず、原告は、 本人尋問において、右事実を明確に否定する供述をしているから、原告が右奥付及び前頁 のように原告の氏名を表示することに同意していたとは到底認められない。したがって、 被告の主張は採用できない。 4 右一認定の事実によると、右2の瀬沼の氏名表示権侵害行為は、被告の従業員が被告 の事業の執行に付き行ったものと認められるから、被告は、右侵害行為によって原告が被 った損害を賠償する責任があるというべきである。 四 争点三(原告の損害額)について  証拠(甲一二、原告本人)によると、原告は、本件小説の単行本に原告の氏名が原著作 者として表示されなかったことにより、精神的損害を被ったことが認められ、その損害の 内容、被告の侵害行為の態様その他本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、原告の被 った精神的損害に対する慰謝料の額は金五〇万円を相当と認める。 五 よって、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第四七部 裁判長裁判官 森  義之    裁判官 杜下 弘記