・東京高判平成12年9月19日判時1745号128頁  劇団SCOT事件:控訴審 ○一般論  「……著作権法によって著作権者に専有権の与えられている複製あるいは翻案(以下、 これらをまとめて「複製・翻案」という。)とはどういうものであるかを具体的にいう と、既存の著作物に依拠してこれと同一のものあるいは類似性のあるものを作製するこ とであり、ここに類似性のあるものとは、「既存の著作物の、著作者の思想又は感情を 創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分」についての表現が共通 し、その結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したもの であるということになる(最高裁判所昭和五五年三月二八日第三小法廷判決・民集三四 巻三号二四四頁参照)」。  「なお、ここで注意すべきことは、複製・翻案の判断基準の一つとしての類似性の要 件として取り上げる『当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に』との要件 (直接感得性)は、類似性を認めるために必要ではあり得ても、それがあれば類似性を 認めるに十分なものというわけではないことである。すなわち、ある作品に接した者が 当該作品から既存の著作物を直接感得できるか否かは、表現されたもの同士を比較した 場合の共通性以外の要素によっても大きく左右され得るものであり……、必ずしも常に、 類似性の判断基準として有効に機能することにはならないからである。」  「(特許法等と比べると)……著作権法による保護の範囲が、見方によれば狭いもの となることがあることは事実であろう。しかしながら、それは、著作権法の趣旨から当 然のことというべきである。すなわち、……(著作権法は無方式主義にもかかわらず長 期間の排他的権利を容易に取得することができるのであるから)……不可避となる公益 あるいは第三者の利益との調整の観点から、おのずと著作権の保護範囲は限定されたも のとならざるを得ないからである。換言すれば、著作権という権利が右のようなもので ある以上、これによる保護は、それにふさわしいものに対してそれにふさわしい範囲に おいてのみ認められるべきことになるのである。それゆえにこそ、著作権法は、『表現 したもの』のみを保護することにしたものと解すべきであり、前述のとおり、著作者の 思想又は感情を創作的に表現したものと同一のものを作製すること、あるいは、これと 類似性のあるもの、すなわち、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての 独自の創作性の認められる部分についての表現が共通し、その結果として、当該作品か ら既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものを作製することのみが複製・翻案 となり得るのである。」 ○あてはめ  「(七)その他、本件第一著作物及び戸村作品のその余の組合せで対比しても、戸村 作品のうちのいずれにもせよ、本件第一著作物のうちのいずれかと類似しているものと することはできない。 (八)本件第一著作物と戸村作品とを対比した場合、一見、後者から前者が直接感得で きるように感じられるのは事実である。しかし、これは、本件第一著作物における、頂 部が偏平、等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、 「内側に∩状先端を有する円柱様形態」の円柱様の造形物を描き、その彩色を濃い藍色 と金色とするという表現手法あるいはアイデアについて、戸村作品も共通しており、し かも、右表現手法あるいはアイデアが本件第一著作物において目新しいものであったこ とによるものと考えられる。しかし、たとい右表現手法あるいはアイデアに創作性が認 められるとしても、それ自体としては著作権法上の保護の対象となり得ないことは、前 述のとおりである。 (九)一般論としては、著作物の保護範囲を決する際に行われる類似性の判断に当たっ て、表現手法あるいはアイデアにおける創作性が何らかの影響を与える可能性があるこ とは、当然に予想されるところである。しかし、本件において、この点を検討してみて も、右表現手法あるいはアイデアにおける創作性が、前記(一)ないし(七)の類似性 の判断を左右するような事情は、見出すことができない。 (一〇)仮に、前記表現手法やアイデアについて、著作権法上の保護を与えるならば、 以後極めて長い期間にわたって、著作権者以外の何人も、頂部が偏平、等辺又は不等辺 の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、「内側に∩状先端を有する円 柱様形態」の円柱様の造形物を描き、その彩色を濃い藍色と金色とするという表現手法 やアイデアと同一あるいはこれと類似の表現手法やアイデアを含む創作活動を行うこと ができないこととなる。これが著作権という権利としてふさわしい範囲の保護といえな いことは自明であり、著作権法一条にいう文化的所産の公正な利用に反し、文化の発展 に寄与することを目指す著作権法の目的にも反するものというべきである。」 (第一審:東京地判平成11年3月29日) ■判決文 第三 当裁判所の判断  当裁判所は、本件第一事件についての被控訴人スコット及び同戸村の請求は、控訴人 金、同新崎及び同武田が、それぞれ、控訴人スコット及び同戸村に対して、連帯して、 慰藉料一〇〇万円と弁護士費用四〇万円の合計一四〇万円及びこれに対する平成七年一 一月二一日(不法行為の日)から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害 金を支払い、その主張の謝罪広告を一回するよう求める限度で理由があり、その余は理 由がなく、本件第二事件についての控訴人金の請求は、当審における新請求も含め、い ずれも理由がないと判断する。その理由は、次のとおりである。 一 著作権侵害について 1 著作権法は、その二一条で「著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。」 と規定し、その二七条で「著作者は、その著作物を・・・若しくは変形し、・・・その 他翻案する権利を専有する。」と規定して、著作者に「著作物」を「複製する権利」 (複製権)や変形などの方法で「翻案する権利」(翻案権)を与えている。  著作権者にこれらの権利が与えられる「著作物」とは何かについて、著作権法二条一 項一号が、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音 楽の範囲に属するものをいう。」と規定していることからすれば、著作権法によって保 護されるのは、直接には、「表現したもの」(「表現されたもの」といっても同じであ る。)自体であり、思想又は感情自体に保護が及ぶことがあり得ないのはもちろん、思 想又は感情を創作的に表現するに当たって採用された手法や表現を生み出す本(もと) になったアイデア(着想)も、それ自体としては保護の対象とはなり得ないものという べきである。  このような立場を採った場合、思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生 み出す本になったアイデア自体に創作性がなくても、表現されたものに創作性があれば、 著作権法上の保護を受け得ることの反面として、思想又は感情あるいはそれを表現する 手法や表現を生み出す本になったアイデアに創作性があって、その結果、外観上、表現 されたものに創作性があるようにみえても、表現されたもの自体に、右アイデア等の創 作性とは区別されるものとしての創作性がなければ、著作権法上の保護を受けることが できないことになる。そうでなければ、表現されたものの保護の名の下に思想又は感情 あるいはこれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体を保護すること にならざるを得ないからである。  右に述べたところを前提に、著作権法によって著作権者に専有権の与えられている複 製あるいは翻案(以下、これらをまとめて「複製・翻案」という。)とはどういうもの であるかを具体的にいうと、既存の著作物に依拠してこれと同一のものあるいは類似性 のあるものを作製することであり、ここに類似性のあるものとは、「既存の著作物の、 著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分」 についての表現が共通し、その結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得でき る程度に類似したものであるということになる(最高裁判所昭和五五年三月二八日第三 小法廷判決・民集三四巻三号二四四頁参照)。  なお、ここで注意すべきことは、複製・翻案の判断基準の一つとしての類似性の要件 として取り上げる「当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に」との要件(直 接感得性)は、類似性を認めるために必要ではあり得ても、それがあれば類似性を認め るに十分なものというわけではないことである。すなわち、ある作品に接した者が当該 作品から既存の著作物を直接感得できるか否かは、表現されたもの同士を比較した場合 の共通性以外の要素によっても大きく左右され得るものであり(例えば、表現された思 想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体が目 新しいものであり、それを表現した者あるいはそれを採用した者が一人である状態が生 まれると、表現されたものよりも、目新しい思想又は感情あるいは手法やアイデアの方 が往々にして注目され易いから、後に同じ思想又は感情を表現し、あるいは同じ手法や アイデアを採用した他の者の作品は、既存の作品を直接感得させ易くなるであろうし、 逆に、表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になっ たアイデア自体がありふれたものであり、それを表現した者あるいはそれを採用した者 が多数いる状態の下では、思想又は感情あるいはアイデアが注目されることはないから、 後に同じ思想又は感情を表現し、あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品 が現われても、そのことだけから直ちに既存の作品を直接感得させることは少ないであ ろう。)、必ずしも常に、類似性の判断基準として有効に機能することにはならないか らである。  著作権法による保護を、このようなものとして把握する場合、特許法、実用新案法が 思想(技術的思想)までを保護する(特許法二条、実用新案法二条参照)のとは異なり、 思想や感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出すアイデアが保護されることは なく、その結果、著作権法による保護の範囲が、見方によれば狭いものとなることがあ ることは事実であろう。しかしながら、それは、著作権法の趣旨から当然のことという べきである。すなわち、著作権法においては、手続的要件としても、特許法、実用新案 法におけるような権利取得のための厳密な手続も権利範囲を公示する制度もなく、実体 的な権利取得の要件についても、新規性、進歩性といったものは要求されておらず、さ らには、第三者が異議を申し立てる手続も保障されておらず、表現されたものに創作性 がありさえすれば、極めてと表現することの許されるほどに長い期間にわたって存続す る権利を、容易に取得することができるのであり、しかもこの権利には、対世的効果が 与えられるのであるから、不可避となる公益あるいは第三者の利益との調整の観点から、 おのずと著作権の保護範囲は限定されたものとならざるを得ないからである。換言すれ ば、著作権という権利が右のようなものである以上、これによる保護は、それにふさわ しいものに対してそれにふさわしい範囲においてのみ認められるべきことになるのであ る。それゆえにこそ、著作権法は、「表現したもの」のみを保護することにしたものと 解すべきであり、前述のとおり、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものと同一 のものを作製すること、あるいは、これと類似性のあるもの、すなわち、著作者の思想 又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分についての表 現が共通し、その結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似 したものを作製することのみが複製・翻案となり得るのである。 2 本件第一著作物について 《省 略》 3 戸村作品と本件第一著作物との対比 《省 略》 (七)その他、本件第一著作物及び戸村作品のその余の組合せで対比しても、戸村作品 のうちのいずれにもせよ、本件第一著作物のうちのいずれかと類似しているものとする ことはできない。 (八)本件第一著作物と戸村作品とを対比した場合、一見、後者から前者が直接感得で きるように感じられるのは事実である。しかし、これは、本件第一著作物における、頂 部が偏平、等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、 「内側に∩状先端を有する円柱様形態」の円柱様の造形物を描き、その彩色を濃い藍色 と金色とするという表現手法あるいはアイデアについて、戸村作品も共通しており、し かも、右表現手法あるいはアイデアが本件第一著作物において目新しいものであったこ とによるものと考えられる。しかし、たとい右表現手法あるいはアイデアに創作性が認 められるとしても、それ自体としては著作権法上の保護の対象となり得ないことは、前 述のとおりである。 (九)一般論としては、著作物の保護範囲を決する際に行われる類似性の判断に当たっ て、表現手法あるいはアイデアにおける創作性が何らかの影響を与える可能性があるこ とは、当然に予想されるところである。しかし、本件において、この点を検討してみて も、右表現手法あるいはアイデアにおける創作性が、前記(一)ないし(七)の類似性 の判断を左右するような事情は、見出すことができない。 (一〇)仮に、前記表現手法やアイデアについて、著作権法上の保護を与えるならば、 以後極めて長い期間にわたって、著作権者以外の何人も、頂部が偏平、等辺又は不等辺 の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、「内側に∩状先端を有する円 柱様形態」の円柱様の造形物を描き、その彩色を濃い藍色と金色とするという表現手法 やアイデアと同一あるいはこれと類似の表現手法やアイデアを含む創作活動を行うこと ができないこととなる。これが著作権という権利としてふさわしい範囲の保護といえな いことは自明であり、著作権法一条にいう文化的所産の公正な利用に反し、文化の発展 に寄与することを目指す著作権法の目的にも反するものというべきである。 4 依拠性について  右認定のとおり、戸村作品は、表現手法あるいはアイデアにおいて本件第一著作物と 共通している部分があり、そのために、原審以来、右共通点の生じたいきさつをめぐっ て、依拠性が激しく争われてきたものである。しかし、前述のとおり、表現手法あるい はアイデアは著作権法上の保護の対象となり得ず、両者の「表現したもの」を対比する と、いずれも類似しているとはいえないのであるから、依拠の点は論ずるまでもなく、 本件第一著作物を複製・翻案したものとはいえないことが明らかである。 二 名誉毀損について 《省 略》 三 附帯控訴について 1 損害額  被控訴人スコット及び同戸村が、戸村作品及びこれを組み込んだ本件舞台装置が、控 訴人金の作品を「盗作」をしたのではないかとの疑いの目、好奇の目にさらされること になり、名誉、声望を著しく毀損されたことは、前記認定のとおりである。  証拠(甲第一一号証、甲第三一号証)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人スコット の代表者である鈴木忠志は、世界的にも高い評価を受けている演出家であり、同被控訴 人の主宰する劇団スコットは、昭和四一年に創設されて以来、我が国のみならず海外で も数多く公演を行ってきた我が国でも屈指の現代劇団であること、被控訴人戸村は、昭 和五七年以来、数多くの絵画作品を手がけて毎年のように個展を開き、平成二年からは、 「マクベス」、「イワーノフ」などの演劇の衣装や舞台美術をも担当し、美術家として 活動してきていたことが認められる。このような被控訴人スコット、同戸村の社会的地 位に、前記認定のとおりの控訴人らの不法行為の態様、結果の重大さ、後述のとおり謝 罪広告の請求が認容されること、表現手法やアイデアが共通していたため著作権法上の 複製・翻案に当たると誤解しやすい状況があったこと、その他諸般の事情を総合して、 被控訴人らが、控訴人らの不法行為により被った精神的損害の金銭的評価は、戸村につ いて一〇〇万円、スコットについて一〇〇万円とするのが相当であると認める。 2 弁護士費用  本件事案の内容、請求額、認容された額、訴訟遂行の難易さなど一切の事情を総合し て、右不法行為と相当因果関係のある弁護士費用に係る損害は、戸村及びスコットそれ ぞれにつき、四〇万円とするのが相当であると認める。  被控訴人らは、本件のような事案において、一律に認容額から割合的に弁護士費用額 を考えることは実態に即しておらず、不法行為の被害者に対して実損害を賠償するとい う面からみて妥当ではない旨主張する。しかし、右主張は、民事訴訟費用の負担に関す る現行制度(民事訴訟法一五五条二項、人事訴訟手続法三条二項ないし四項、民事訴訟 費用等に関する法律二条一一号、最高裁判所昭和四四年二月二七日第一小法廷判決民集 二三巻二号四四一頁参照)と相容れないものであることが明らかであり、法解釈論とし ては採用できない。 3 謝罪広告  民法は、他人の名誉を毀損した者に対して、裁判所が被害者の請求により損害賠償に 代え又は損害賠償とともに名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができると規定 している(七二三条)。本件の場合、被控訴人スコットは、我が国でも屈指の劇団であ り、被控訴人戸村も、美術家としての活動を続けてきていたものである。ところが、控 訴人らは、前示のとおり、被控訴人らの名誉、声望を毀損することによって故意に被控 訴人らの人格権を侵害したのである。また、本件紛争は、前記のとおり、多数の全国紙 に取り上げられ、被控訴人らは、舞台装置に、本件第一著作物を複製・翻案した戸村作 品を使用したとの疑いをもたれたままの状態になっている。これらの点を考慮して、被 控訴人らが本件第一著作物を盗作したものではないとの事実を確保し、その名誉を回復 するための適当な措置として、控訴人らが、被控訴人スコット及び同戸村のために、別 紙謝罪広告目録一記載の謝罪広告を、見出し及び記名宛名は各一四ポイント活字をもっ て、本文その他の部分は八ポイント活字をもって、朝日新聞社発行の朝日新聞、産業経 済新聞社発行の産経新聞、及び讀賣新聞社発行の讀賣新聞の各全国版朝刊社会面、中日 新聞社発行の東京新聞の朝刊社会面、並びに統一日報社発行の統一日報にそれぞれ一回 掲載することを認めるのが相当であると認める。 四 新請求について  本件第一著作物及び戸村作品を「表現されたもの」について対比すれば類似するもの とはいえない、表現手法やアイデアは著作権法上の保護の対象となり得ない、とする前 記認定判断を前提とするとき、控訴人らの新請求は、これを理由あらしめるに足りる主 張も立証もないものといわざるを得ない。 五 以上によれば、本件第一事件についての被控訴人らの請求は、被控訴人スコット及 び同戸村が、それぞれ、控訴人らに対して、慰謝料として、連帯して一〇〇万円と弁護 士費用四〇万円の合計一四〇万円及びこれに対する平成七年一一月二一日(不法行為の 日)から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をするよう求め、 あわせて、その主張の謝罪広告を一回するよう求める限度で理由があるからこれを認容 し、その余は理由がないから棄却すべきものであり、本件第二事件についての控訴人金 の請求は、当審における新請求も含め、いずれも理由がないから棄却すべきものである と判断する。そこで、これと異なる原判決を右のとおりに変更することとし、訴訟費用 の負担について、民事訴訟法六七条二項、六一条、六四条、六五条一項を、仮執行の宣 言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第六民事部 裁判長裁判官 山下 和明    裁判官 宍戸 充    裁判官 阿部 正幸