・東京地判平成12年9月28日判時1732号130頁  「角川mini文庫」事件。  本件は、グラフィックデザイナーである原告(平野敬子こと工藤敬子)が、被告出版 社(株式会社角川書店)に対して、原告の創作に係る図画について、被告が無断でその 一部を切り離して複製し、新たに発行する文庫シリーズ「角川mini文庫」のシンボ ルマークとして、文庫の表紙や新聞雑誌広告、電車中吊り広告等に使用したと主張して、 著作権(複製権)侵害を理由とする損害賠償等を求めた事案である。判決は、複製権お よび同一性保持権の侵害を認めて損害賠償請求を認容した。 ■争 点 1 被告による本件著作物の著作権(複製権)及び著作者人格権(同一性保持権)侵害 の成否 2 原告の被った損害 ■判決文 第三 当裁判所の判断 一 著作権(複製権)及び著作者人格権(同一性保持権)侵害の成否(争点1)につい て  前記事実関係(第二、一参照)によれば、本件著作物は、やわらかな羽毛が空中に舞 う様子を数枚の羽根相互の間隔とトーンによって表現したものであり、その各羽根を極 めて繊細なタッチの線と微妙なトーンによって表現したという点に特徴があるというこ とができる。被告マークは、本件著作物の一部である本件著作物羽根部分をスキャニン グするという制作過程を経て作成されたものであるが、被告マークにおいて表示されて いる羽根は、いずれも、やわらかな羽毛が空中に舞う様子を極めて繊細なタッチの線と 微妙なトーンによって表現しているものであって、本件著作物の表現上の特徴を備え、 これを見る者をして本件著作物を覚知させるに足りるものというべきである。  被告マークにおいては、羽根がモノトーンのシルエットとして表されていることから、 それが線描画であることがややわかりにくくなっている点はあるが、被告マークにおい ても、繊細なタッチの線と微妙なトーンにより、一枚の羽根が空中に舞う様子や、一枚 の羽根が柔らかな羽毛の固まっている根元部分と長い羽毛の伸びている先端部分から成 り立っている形状を描いている本件著作物の特徴は再現されているものであって、本件 著作物とその特徴を共通にし、見る者をして本件著作物を想起させるものである。右の 点を争う被告の主張は、採用できない。  したがって、被告は、本件著作物の一部を取り出してこれを文字等と組み合わせて被 告マークを作成し、これを使用したことにより、本件著作物の著作権(複製権)を侵害 するとともに、これを一部改変したものとして、原告の著作者人格権(同一性保持権) を侵害したものというべきである。  また、被告は、書籍「ブラック・ティー」の装丁作成のために原告から受領していた 本件著作物ないしその複製物を無断でスキャニングして被告マークを作成し、これを使 用したものであるから、右行為による本件著作物の著作権(複製権)侵害ないし著作者 人格権(同一性保持権)侵害につき、少なくとも過失があったことは明らかである。 二 原告の損害(争点2)について 1 著作権(複製権)侵害による財産上の損害  (一) 前記の事実関係(第二、一参照)及び証拠(甲一四、二二の一、二、二三、二 四)によれば、原告は、日本グラフィック展年間作家賞新人賞、毎日広告デザイン賞第 三部最高賞、デザインフォーラム九三銀賞、東京ADC賞受賞三回、ニューヨークAD C賞金賞等の受賞歴があり、東京アートディレクタークラブというトップレベルのデザ イナー約八〇名からなる団体の会員であるなど、実績ある若手美術家であること、平成 一○年八月に、原告の主宰する有限会社ヒラノステュディオと姫路市は、同市主催のイ ベント「ひめじウエルカム21」のシンボルマーク及びロゴタイプの制作を原告に委託す る旨の委託契約を締結し、その対価(委託料)として、姫路市から同会社に五二五万円 (消費税及び地方消費税を含む)が支払われていることが認められる。ちなみに、右契 約に基づいて制作されたシンボルマーク及びロゴタイプについては、ロゴタイプが通常 の太ゴシック体の活字に若干の特色を加味したものにすぎないのに対して、シンボルマ ークは創作性の高いデザインであり、右イベントの広報宣伝物や販売グッズにおいても、 シンボルマークを主とする取扱いがされている。     他方、証拠(甲一の一ないし三、乙一二の一ないし三、一三の一及び二、一四 の一ないし一〇、一五の一ないし一〇、一六の一及び二、一七の一ないし三)によれば、 被告が、平成七年三月二○日初版発行の書籍「ブラック・ティー」(山本文緒著)の装 丁イラストデザインの作成を原告に依頼した際の対価が一〇万〇三〇〇円(消費税込み) であったこと、同年三月三一日初版発行の単行本「捨て色」(玉岡かおる著)の装丁デ ザイン及び装画の作成を原告に依頼した際の原告被告間で合意されたデザイン料は一五 万四五○○円(消費税込み)であったこと、平成九年一二月二五日初版発行の文庫版 「捨て色」(玉岡かおる著)のカバーデザインの作成を原告に依頼した際に原告被告間 で合意されたデザイン料は一○万円(消費税込み、一○パーセントの源泉徴収後の実振 込金額)であったこと、被告は被告が発行する雑誌「本の旅人」の平成一○年四月号か ら平成一一年一月号までの各号について、同雑誌に掲載された連載小説のイラストの作 成を原告に依頼したが、その際に原告に支払われたデザイン料はイラスト一点につき一 万円(消費税別、源泉徴収前金額)であり、各号のイラスト数が二点ないし三点であっ たため、月によって支払金額が二万円ないし三万円であったこと、被告がその刊行して いた雑誌「野性時代」の平成七年四月号に掲載された小説のイラストの作成を原告に依 頼した際に支払われたデザイン料はイラスト一点につき一万五○○○円(消費税別、源 泉徴収前の金額)であり、イラスト数が三点であったため四万五○○○円(消費税別、 源泉徴収前の金額)が原告に支払われたこと、が認められる。   (二) 著作権法一一四条二項は、著作権者は、故意又は過失によりその著作権を侵 害した者に対し、当該著作権の行使につき通常受けるべき金銭の額に相当する額を自己 が受けた損害の額として、賠償を請求することができる旨を規定する。一般に、著作物 は著作者の個性がその内容に反映することから、特許権等の工業所有権と異なり、一般 的な許諾料の水準を定めることは困難であるが、本件のような商業デザインの場合には、 許諾料の額は、デザイナー個人の技量のみならず、当該デザイナーの過去の実績や社会 的評価等により大きく異なる。同条項にいう「著作権‥‥‥の行使により通常受けるべ き金銭の額」は、基本的には、当該著作者の過去における同種の著作物の使用料の額を 参酌して算定するのが相当である。  本件においては、シンボルマークの制作とその使用の対価という点では、原告が平成 一○年八月に姫路市主催のイベント「ひめじウエルカム21」のシンボルマーク等の制作 及び使用などの対価として五二五万円の支払を受けたことを考慮すべきである(イベン トである「ひめじウエルカム21」と文庫シリーズである本件とでは、たしかに性格の異 なる点もあるが、前記のとおり、「ひめじウエルカム21」の委託契約は原告によるシン ボルマークの制作とその使用許諾を主要な内容にするものであり、また、右イベントが 地域的な催しで限られた期間で終了するのに対して、本件における文庫シリーズは、日 本全国を対象地域として長期間にわたって販売が継続されるという点では、シンボルマ ークの制作・使用により依頼者が受ける利益は大きいから、右イベントの対価の額が本 件における使用料相当額に比べて過大であるということはできない)。もっとも、原告 と被告との間では、昭和六三年から平成一一年までに、被告の発行する書籍の装丁、ブ ックカバーのデザイン、月刊誌に掲載された小説のイラストの作成に関して前記のとお りの報酬が支払われているところ、その最高額が一五万四〇〇〇円であり(もっとも、 これらは単行本ないし文庫一点のデザインや月刊誌の小説イラストであり、その性質上、 本件における使用料相当額に比べるとはるかに低額というべきである)、これらの点を も併せ考慮すれば、本件における被告の侵害行為に対応する本件著作物の使用料相当額 は、三〇〇万円をもって相当というべきである。   (三) この点に関して、被告は、被告がミニ文庫シリーズと同程度以上の規模の他 の文庫シリーズのマークの制作及び使用に他のデザイナーに支払ったデザイン料が最高 でも五○万円であることなどを挙げて、本件における使用料相当額が一五〇万円を超え ることはないと主張する。なるほど、証拠(乙四、五、九)によれば、昭和六三年から 平成一一年にかけて被告において新たに発行を開始した文庫シリーズについていえば、 平成二年二月から発行が開始された「角川ルビー文庫」(平成九、一〇年度の製作数約 三八〇万部)は三〇万円、同五年四月から発行が開始された「角川ホラー文庫」(同じ く七七〇万部)は五〇万円、同一一年四月から発行が開始された「スニーカー文庫」 (同じく八五〇万部)は一〇万円が、マークの制作及び使用の対価として支払われてい ることなどが認められ、最高額でも右のホラー文庫の五〇万円である。しかし、右各文 庫シリーズのマークは、本件における被告マークとは異なる印象を与えるデザインであ って(例えば、ホラー文庫のマークはアルファベットの「h」の文字を図案化したもの である)、創作性の点で同列に論ずることができないばかりでなく、本件のミニ文庫シ リーズにおけるのと同様の規模での宣伝広告がこれらの文庫についてもされたのかどう かも明らかでない。そして何よりも、これらの文庫シリーズのマークの制作を担当した デザイナーの氏名、業績、社会的評価等については何ら明らかにされていないのである から、これらの文庫シリーズのマークの制作の対価として支払われた額を根拠として、 本件著作物の使用料相当額についての前記認定を、過大ということはできない。 2 著作権・著作者人格権の侵害等による精神的損害  前記の事実関係(第二、一参照)によれば、被告は、本件著作物の一部を切り離して、 複製縮小し、これを文字等と組合わせて被告マークを作成した上で、これをミニ文庫シ リーズに属する書籍の表紙に付し、また、ミニ文庫シリーズの広告等に付して使用した ものであって、被告の右行為により、原告は、本件著作物を一部改変された上で、その 意に反する形でこれを使用されたものと認められる。右のとおり、原告は、本件著作物 につき、意に反して改変された上で、大規模な宣伝広告において使用されたものであり、 加えて、証拠(甲七の二の一、一六の一、二、二四)によれば、ミニ文庫シリーズは書 店の買取りとされていることから、原告による抗議がされた後も、既に店頭に並んでい た書籍については回収されず、また、書店に配付された書店備付陳列用ケースのなかに は現在も店頭で使用されているものがある。  この点に関して、原告は、下品な不倫体験談や射幸心をあおる内容の書籍を含む本件 ミニ文庫シリーズに被告マークが使用されたことにより、原告のデザイナーとしての社 会的名誉が害されたと主張するが、証拠(甲二、三、四の一ないし三、七の二の一ない し五、七の三の一ないし三、八の二ないし一三、一〇の一、二)によれば、ミニ文庫シ リーズは、特定の分野に限定することなく、小説、随筆、ドキュメンタリー、実用等の 広い範囲の書籍を含むものであって、たしかに書籍のなかには不倫体験やギャンブル必 勝法の類を内容とするものもあるが、他方では、宮沢賢治、芥川龍之介、坂口安吾、横 溝正史、寺山修司、五木寛之、森瑤子、森村誠一、赤川次郎等の作家の作品もあり、ミ ニ文庫シリーズがこのように広範なジャンルの作品を含んでいることに照らせば、本件 著作物がミニ文庫シリーズに使用されたという事実から直ちに原告のデザイナーとして の社会的名誉が害されたということはできない。  以上の点に加えて、本件全証拠により認められるその余の諸般の事情を併せて総合考 慮すれば、被告の行為により原告が被った精神的損害を慰謝するに足りる額としては、 五〇万円をもって相当と認める。 3 弁護士費用    本件における原告の請求の内容、本件事案の性質、本件訴訟の審理経過その他の 事情を総合考慮すれば、被告の不法行為と相当因果関係あるものとして被告に負担させ るべき弁護士費用としては、七〇万円をもって相当と認める。 4 名誉回復措置  右に認定した被告による不法行為の態様、原告の被った精神的損害の内容その他、本 件における一切の事情を総合考慮すると、本件においては、前記の損害賠償に加えて被 告に謝罪広告を命ずるまでの必要性は存しないものと認められる。 三 以上によれば、原告の請求は、四二〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求 める限度で理由がある。   よって、主文のとおり判決する。 (口頭弁論終結の日 平成一二年七月一三日) 東京地方裁判所民事第四六部 裁判長裁判官 三村量一    裁判官 村越啓悦    裁判官 中吉徹郎