・大阪地判平成12年10月26日判タ1060号252頁  浮世絵「歌川派」事件:第一審。  本件は、(1)被告が「歌川正国」という雅号を使用することは、@浮世絵流派である歌 川派の主宰者として需要者の間に広く認識されている原告(歌川豊國)の営業表示と類似 する雅号を使用し原告の営業と混同を生じさせる行為であるから、不正競争防止法2条1 項1号所定の不正競争に該当する、またはA原告、被告間の支援協力契約に付随する義務 に違反する行為であるとして、原告が、被告に対し、その使用の差止め等および損害賠償 を求めるとともに、(2)原告が、被告に対し、売買代金の残額の支払を求めている事案で ある。歌川派は、歌川豊春を祖とし、幕末には、実力と人気において、役者絵、美人画、 武者絵、風景画などの浮世絵の代表的な分野を独占した浮世絵の一流派として周知である。  判決は、「歌川姓の雅号及び歌川派の名称が、同号で保護される営業表示に該当すると いえるためには、需要者の間で、需要者と同時代に活動する流派の名称として歌川派とい う表示があり、歌川姓の雅号は当該流派に属する者の表示であると広く認識されていなけ ればならない」としたうえで、「原告が、江戸時代に隆盛した浮世絵の一流派である歌川 派に縁があり、『六代歌川豊国』を名乗る画家であることは、ある程度浮世絵の愛好家等 の間で知られているとはいえるが、それ以上に、需要者の間において、需要者と同時代に 活動する流派の名称として歌川派という表示があり、歌川姓の雅号は当該流派に属する者 の表示であると、広く認識されているとは認められない」として、原告の請求を棄却した。 (控訴審:大阪高判平成14年7月5日) ■争 点 一1 「歌川」姓の雅号及び「歌川派」の名称は原告の主宰する浮世絵の流派を表示する ものとして周知か(周知性)。 2 原告の不正競争防止法に基づく請求は、同法の目的に反するか(権利濫用)。 二 原告は、被告に対し、契約上の権利に基き、歌川姓の使用差止め及び損害賠償を求め ることができるか。 三 損害額。 四 原告は、被告に対し、絵画「金閣寺」の売買契約に基づく売買代金請求権を有するか。 ■判決文 第四 争点に対する判断 一 争点一1(周知性)について 1 原告は、「歌川」姓の雅号及び「歌川派」の名称は原告の主宰する浮世絵の流派を表 示するものとして周知であると主張し、被告に対し、不正競争防止法三条一項、二条一項 一号に基づき、「歌川正国」又は「歌川」姓の雅号を使用することの差止め等を求めてい るのであるから、原告の請求が認められるためには、原告自身の雅号である「(六代)歌 川豊国」が需要者の間に広く認識されているというだけではなく、「歌川派」の名称が現 存する浮世絵の特定の流派の名称として周知であり、「歌川」姓の雅号が当該流派に属す る者の表示として周知でなければならないものというべきである。  ところで、前記第二、二、2記載のとおり、歌川派は、歌川豊春を祖とし、幕末には、 実力と人気において、役者絵、美人画、武者絵、風景画などの浮世絵の代表的な分野を独 占した浮世絵の一流派として周知であるが、そのことは、現代において、歌川派という名 称が、美術史上、周知であるということを意味するにすぎず、そのことから直ちに、歌川 姓の雅号及び歌川派の名称が、不正競争防止法二条一項一号によって保護を受ける営業表 示に該当すると見ることはできない。なぜなら、同号は、需要者の間に広く認識されてい る営業表示等を一定の行為から保護することによって、事業者間の公正な競争を確保しよ うとしているのであるが、右事実のみを前提とすれば、現代において歌川姓の雅号に接し た需要者は、そこから江戸時代における浮世絵の一流派を連想するにすぎず、それによっ て、現代において活動する事業者間の公正な競争が害されることにはならないからである。  したがって、歌川姓の雅号及び歌川派の名称が、同号で保護される営業表示に該当する といえるためには、需要者の間で、需要者と同時代に活動する流派の名称として歌川派と いう表示があり、歌川姓の雅号は当該流派に属する者の表示であると広く認識されていな ければならない。 2 証拠(甲五、七、七四、七五、乙三、一一、一二、八二及び後掲各証拠)と弁論の全 趣旨によれば、以下の事実が認められる。  《中 略》 5 右認定の事実によれば、原告は、歌川派の系譜に連なる血筋の者であり、歌川派の由 緒ある雅号である「歌川豊国」を承継して自ら称する正統性があるかどうかはともかくと して、昭和四七年ころから、「歌川豊国」又は「六代歌川豊国」の雅号で絵画を描き、画 家として生計を立てるようになり、「六代歌川豊国」の名称で浮世絵関係の雑誌等に歌川 派や浮世絵に関する文章を発表したり、書籍を出版したり、百貨店等で個展を開いたり、 原告のことが歌川派を継承する現代の浮世絵師として新聞記事で紹介されたりしてきたも のであるから、原告が江戸時代に隆盛であった浮世絵の歌川派の流れを汲む画家であって、 「六代歌川豊国」を称して活動しているということは、浮世絵や日本画に関心を有する者 の間ではそれなりに知られた存在になっているものと見ることができる。  しかし、右事実を超えて、需要者の間で、「歌川派」の名称が現存する特定の浮世絵の 流派の名称として周知であり、 「歌川」姓の雅号が当該流派に属する者の表示として周 知であるに至ったとは認められない。その理由として、前記認定事実から次のよう点を指 摘することができる。 (一) 原告が(六代)歌川豊国の雅号で作画活動を開始したのは、歌川派という表示が過 去の浮世絵の流派の表示と認識されるようになってから、既に約半世紀が経過した後であ る昭和四七年ころからであり、その当時、歌川派なる組織ないし集団があったわけではな く、原告が右雅号を名乗るについて社会的承認があったわけではない。 (二) 原告が画家として活動を開始した後に発行された書籍においても、原告を六代歌川 豊国として紹介したものはわずかであり、多くの文献(甲九九、乙三、六、七、八、九、 一一、一二、二三)は、前記2(三)記載のとおり、歌川派に属し歌川姓を雅号とする者又 はその者の作品として、江戸時代、明治年間に活動した者又はその作品のみを紹介してお り、原告をその歌川派の流れを汲む者としてすら紹介していない。 また、原告の画家と しての活動という観点から前記4(二)記載の事実を検討すると、原告は有名な展覧会に入 選したこともなく、昭和五〇年代の後半を中心に五種類の個展を何回か開催している程度 である。これらの事実からすれば、原告が、自称だけではなく、その系譜、実績、実力等 の上で、浮世絵の流派として江戸時代に隆盛であった歌川派を現代に継承し、これを主宰 する者として需要者の認知を受けてきたとはいい難い。 (三) 原告は、歌川派門人会の会員に許や命名書を与えることにより、一時的には原告を 中心とする流派を形成しようとしていたように考えられるが、同事実は、歌川派門人会に よっても、対外的に明らかにされていなかったから、同事実が需要者に広く認識されてい たとも認められない。 (四) 原告は、美術家名鑑等の名簿に比較的長期にわたり掲載されているが、証拠(甲一 一ないし一三)によれば、そこに原告が歌川派という浮世絵の流派の主宰者であるとの記 載はない上、それらは、いずれも非常に多くの美術家の名前が網羅的に記載されている出 版物であると認められるのであるから、そのことから、「歌川派」の名称が現存する特定 の浮世絵の流派の名称として周知であり、「歌川」姓の雅号が当該流派に属する者の表示 として周知であるに至ったとは認めることはできない。 (五) 原告が現在主宰する流派の門弟数その他の実態が不明であり、いわゆる家元制度の ような実態を備えた組織として成立しているとは考えられず、個人としての活動以上に、 流派として営業というに値する活動を行っているか否かも明らかでない。  なお、証拠(甲五、一五、三七ないし三九、四七、一三五、一三六)によれば、一部の 浮世絵研究者が、歌川の名称は原告の主宰するものと認識しているとの意見書を提出して いるが、その人数は少数である上、日本画の需要者とは、日本画を取引する者(画商)や その最終需要者(愛好家)を意味するのであるから、右意見書の提出をもって、昭和以降 の需要者の間で、需要者と同時代に活動する流派の名称として歌川派という表示があり、 当該流派に属する者は歌川姓の雅号を使用していると広く認識されるようになったと認め ることはできない。また、証拠(甲四〇ないし四六)によれば、一部の画商等が、歌川の 名称は原告の主宰するものと認識しているとの意見書を提出しているが、その人数はごく 少数である上、証拠(甲四三、一〇七の一、乙八六、証人太田一斎の証言)によれば、右 意見書を提出している者の中には、原告と個人的に親しい者も含まれていると認められる から、このことをもって、昭和以降の需要者の間で、需要者と同時代に活動する流派の名 称として歌川派という表示があり、当該流派に属する者は歌川姓の雅号を使用していると 広く認識されるようになったと認めることはできない。 6 以上の事実によれば、原告が、江戸時代に隆盛した浮世絵の一流派である歌川派に縁 があり、「六代歌川豊国」を名乗る画家であることは、ある程度浮世絵の愛好家等の間で 知られているとはいえるが、それ以上に、需要者の間において、需要者と同時代に活動す る流派の名称として歌川派という表示があり、歌川姓の雅号は当該流派に属する者の表示 であると、広く認識されているとは認められない。即ち、たとえ「歌川」姓を冠した名称 を名乗って絵画に関係する活動をする者があるとしても、これに接する需要者は、江戸時 代の浮世絵の流派である歌川派を想起することはあっても、原告が主宰する現代の特定の 流派を想起し、混同する者が多くいるとは認め難い。したがって、仮に、原告が、美術史 上周知な歌川派の浮世絵師である「歌川豊国」に系譜的につながる者であり、「六代歌川 豊国」を名乗ることに正統的な根拠を有するとしても、歌川姓の雅号や歌川派の名称が、 不正競争防止法二条一項一号によって保護される原告の営業表示と見ることはできない。  したがって、その余の争点について検討するまでもなく、原告の被告に対する請求のう ち不正競争防止法に基づく請求は、理由がない。  《以下略》