・東京地判平成13年3月26日判時1743号3頁  「大地の子」事件。  本件は、小説作家である被告(T.Y.ことT.S.)が執筆した小説「大地の子」 の出版、頒布行為が、原告(H.E.:筑波大学留学生センター教授)の著作した著作物 「不条理のかなた」「知られざる●子」について原告が有する著作権(複製権、翻案権) 及び著作者人格権(氏名表示権)並びに人格権を侵害するなどと主張して、原告が被告に 対して、出版等の差止め、損害賠償の支払及び謝罪広告を求めた事案である。  判決は、翻案権侵害を認めず、請求を棄却した。 ■評釈等 柳沢眞実子・コピライト482号42頁(2001年) ■判決文 《中 略》  著作者は、著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他 翻案する権利を専有する(著作権法二七条)。右翻案とは、ある作品に接したときに、先 行著作物における創作性を有する本質的な特徴部分が共通であることにより、先行著作物 の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得させるような作品を制作(創作)する行為 をいう。したがって、ある作品が先行著作物に関する翻案権の範囲内に含まれる否かは、 @先行著作物における主題の設定、具体的な表現上の特徴、作品の性格、A当該作品にお ける主題の設定、具体的な表現上の特徴、作品の性格、B両者間における、ストーリー展 開、背景及び場面の設定、人物設定、描写方法の同一性ないし類似性の程度、類似性を有 する部分の分量等を総合勘案して判断するのが相当である。  各対照表において、原告が指摘する部分の翻案権侵害の有無については、以下二ないし 五において個別具体的に検討するが、総論的な点を簡潔に述べておく。  第一に、原告各著作物は、概要、昭和二三年(一九四八年)、国民党軍の支配下にあ った長春は、中国共産党軍(八路軍)が包囲して兵糧攻めにしたため、市民の多くが飢餓 状態に陥ったこと、原告は、当時七歳であったが、長春を脱出する際に国民党軍と八路軍 の間に設けられた「●子」(チャーズ)において脱出を許されるまでの数日間凄惨な状況 の中に置かれたこと、家族らは、かろうじて脱出を果たしたが、原告は、その後、栄養失 調の上、結核菌に冒されたことなど戦争下での苛酷な体験を基礎に、歴史的な事実として (フィクションを交えないドキュメンタリーとして)、著作されたものである(詳細は後 記認定のとおりである。なお、原告各著作物については、原告の父親に対する鎮魂、敬愛 追慕の情などが執筆の動機の一つである等の特別の事情も存在する。)。このようなノン フィクションの性格を有する著作物において、歴史的な事実に関する記述部分について、 文章、文体、用字用語等の上で工夫された創作的な表現形式をそのまま利用することはさ ておき、記述された歴史的な事実を、創作的な表現形式を変えた上、素材として利用する ことについてまで、著作者が独占できる(他者の利用を排除することができる。)と解す るのは妥当とはいえない。  第二に、被告小説は、日中の歴史を背景に、戦争によって捨てられた子どもである戦争 孤児(いわゆる中国残留孤児)を主人公として、孤児と中国養父母との心の交流を軸とし て、戦火の中でも失われなかった人類愛を描こうとした大河小説である。一般に、作家は、 小説を執筆するに当たって、読者に対し、最も効果的に、テーマを伝え、感動を与えるこ とができるよう、ドラマチックなストーリー展開を案出し、各種の登場人物を創出し、人 物の性格、思想、行動、人間関係等を設定するなど、知識、経験及び創造力を尽くし、創 作的な工夫を凝らして、作品を完成させるものであるといえる。このように創造力を駆使 して執筆される小説の性格に照らすならば、例えば、歴史的事実、日常的な事実等を描く ような場合に、他者の先行著作物で記述された事実と内容において共通する事実を取り上 げたとしても、その事実を、いわば基礎的な素材として、換骨奪胎して利用することは、 ある程度広く許容されるものと解するのが妥当である。  そこで、このような観点を踏まえた上で、両者間における、ストーリー展開、背景及び 場面の設定、人物設定、描写方法等の類似性の有無、程度を総合勘案して判断することに する。  なお、以下に、翻案権侵害等の有無について判断するが、両作品の全体的な検討から進 める方が、より分かりやすいので、対照表二、三、四及び一の順で行う。 《中 略》 (三) 小括  以上のとおり、「●子 出口なき大地」と被告小説とは、原告及び主人公が、脱出行の 過程で●子に入り、●子内の惨状に直面し過酷な体験をするが、ようやく●子から脱出す るという大まかな筋において、共通又は類似するが、当時長春に残った者が長春包囲の下 での惨状に直面し、脱出行の過程で●子に入り、過酷な体験をするということは、体験者 に共通したいわば一つの歴史的事実ともいうべきもので、その歴史的事実に沿った範囲内 で基本的あらすじが類似しているからといって、そのことだけで、「●子 出口なき大地」 の創作性を有する本質的特徴部分を感得するほどに共通していると解することはできない。 かえって、「●子 出口なき大地」と被告小説とは、前記(一)及び(二)に記載したとおり の、ストーリー展開、背景及び場面の設定、人物設定、描写方法等の相違点があることを 総合勘案すると、被告小説中の該当部分は、「●子 出口なき大地」中の該当部分を翻案 したものということはできない。  これに対して、原告は、対照表二記載のとおり、両者のストーリー展開に関して類似、 共通する要素があることを指摘する。しかし、右対照表は、@個々のエピソードの順序が 異なるにもかかわらず同一順序であると指摘している点(1項のとおり)、A順序を入れ 替えた上で、同一順序であると指摘している点(上段25項と下段1項、上段1項qと下段 6〜7項など)、B途中を省略した上で共通であると指摘している点(下段7項、10項、 14項)などもみられること、前記のとおり、ストーリー展開に関しては相違する要素が存 在すること、後記五のとおり、個別表現において類似性に乏しいことなどに照らすならば、 右対照表二の指摘をもってしても、なお、前記の認定を左右することはできない。 4 以上によれば、依拠性の点を検討するまでもなく、対照表二に関する翻案権侵害は成 立しない。