・最判平成13年6月28日民集55巻4号837頁、判時1754号144頁  「江差追分」事件:上告審。  原告・被控訴人・被上告人は、江差追分に関するノンフィクション「北の波濤に唄う」 と題する書籍の著作者である。被告・控訴人・上告人(日本放送協会ら)は、「ほっかい どうスペシャル・遥かなるユーラシアの歌声―江差追分のルーツを求めて―」と題するテ レビ番組を製作し、平成2年10月18日、放送した。  本件著作物の中の短編「九月の熱風」の冒頭(本件プロローグ)は、江差町の過去と現 在の様子を紹介し、江差追分全国大会を昔の栄華がよみがえったような1年の絶頂として とらえたものである。本件番組は、本件著作物を参考文献の一つとして製作され、江差追 分の起源に迫ろうとしたものであって、9月に開かれる江差追分全国大会の時に江差町は 一気に活気づくこと、同大会には海外からも参加者が訪れること等を内容とするものであ り、本件番組のナレーションには、本件プロローグに対応する部分としての語りがある (本件ナレーション)。  本件は、被上告人が、上告人らに対し、本件ナレーションは本件プロローグの翻案に当 たると主張して、本件番組の製作および放送により、本件著作物の著作権(翻案権および 放送権)が侵害されたことを理由として著作権使用料相当損害金100万円、著作者人格 権(氏名表示権)が侵害されたことを理由として慰謝料50万円およびこれらについての 弁護士費用50万円の、合計200万円の損害賠償を請求した事案である。  原審判決は、本件ナレーションは、本件プロローグを翻案したものといえるから、本件 番組の製作および放送は、被上告人の本件著作物についての翻案権、放送権および氏名表 示権を侵害するものであるとして、著作権使用料相当損害金20万円、慰謝料20万円お よび弁護士費用20万円の合計60万円を認容すべきものとした。  これに対して、本件上告審は、「既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、 感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作 性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当 たらないと解するのが相当である」としたうえで、「本件ナレーションが本件プロローグ と同一性を有する部分のうち、江差町がかつてニシン漁で栄え、そのにぎわいが「江戸に もない」といわれた豊かな町であったこと、現在ではニシンが去ってその面影はないこと は、一般的知見に属し、江差町の紹介としてありふれた事実であって、表現それ自体では ない部分において同一性が認められるにすぎない」などと述べて、「本件ナレーションは、 本件著作物に依拠して創作されたものであるが、本件プロローグと同一性を有する部分は、 表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって、本件ナレーションの 表現から本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないから、本 件プロローグを翻案したものとはいえない」として、原審判決を破棄して被上告人の請求 を棄却した。 (第一審:東京地判平成8年9月30日、控訴審:東京高判平成11年3月30日) ■判決文  主  文 1 原判決中上告人ら敗訴部分を破棄し、同部分につき第1審判決を取り消す。 2 前項の部分につき被上告人の請求をいずれも棄却する。 3 訴訟の総費用は被上告人の負担とする。  理  由  上告代理人山田善一、同毛受久の上告受理申立て理由について  1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。  (1) 被上告人は、江差追分に関するノンフィクション「北の波濤に唄う」と題する書 籍(以下「本件著作物」という。)の著作者である。上告人日本放送協会は、「ほっかい どうスペシャル・遥かなるユーラシアの歌声―江差追分のルーツを求めて―」と題するテ レビ番組(以下「本件番組」という。)を製作し、平成2年10月18日、放送した。上 告人Aは、本件番組放送当時、上告人日本放送協会の函館局放送部副部長であり、本件番 組製作の現場責任者として、本件番組の製作に関与した。  (2) 本件番組は、本件著作物を参考文献の一つとし、これに依拠して製作されたが、 本件番組においてその言及はない。  (3) 本件著作物の中の短編「九月の熱風」の冒頭には、別紙上段のとおり記述されて いる(以下「本件プロローグ」という。)。「九月の熱風」は、被上告人が初めて江差追 分全国大会を鑑賞に行った時の、同大会の参加者や観客の様子等を描き、同大会の独特の 熱狂と感動を描写した短編であるが、本件プロローグは、その冒頭において、江差町の過 去と現在の様子を紹介し、江差追分全国大会を昔の栄華がよみがえったような1年の絶頂 としてとらえたものである。  なお、江差町がかつてニシン漁で栄え、そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊 かな町であったこと、現在ではニシン漁が不振となりその面影がないことは、一般的な知 見である。他方、江差町においては、8月の姥神神社の夏祭りを、町全体が最もにぎわう 行事としてとらえるのが一般的な考え方であり、江差追分全国大会は、毎年開催される重 要な行事ではあるが、町全体がにぎわうというわけではない。  (4) 本件番組は、江差追分の起源に迫ろうとしたものであって、9月に開かれる江差 追分全国大会の時に江差町は一気に活気づくこと、同大会には海外からも参加者が訪れる こと等を内容とするものであり、本件番組のナレーションには、本件プロローグに対応す る部分として、別紙下段のとおりの語りがある(以下「本件ナレーション」という。)。  2 本件は、被上告人が、上告人らに対し、本件ナレーションは本件プロローグの翻案 に当たると主張して、本件番組の製作及び放送により、本件著作物の著作権(翻案権及び 放送権)が侵害されたことを理由として著作権使用料相当損害金100万円、著作者人格 権(氏名表示権)が侵害されたことを理由として慰謝料50万円及びこれらについての弁 護士費用50万円の、合計200万円の損害賠償を請求する事案である。  3 原審は、概要次のとおり判示して、著作権使用料相当損害金20万円、慰謝料20 万円及び弁護士費用20万円の合計60万円を認容すべきものとした。  (1) 本件プロローグと本件ナレーションとは、江差町がかつてニシン漁で栄え、その にぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと、現在ではニシンが去って その面影はないこと、江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ、年に1度、かつての にぎわいを取り戻し、町は一気に活気づくことを表現している点において共通している。 このうち、江差町がかつてニシン漁で栄え、そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた 豊かな町であったこと、現在ではニシンが去ってその面影はないことは、一般的知見に属 する。しかし、現在の江差町が最もにぎわうのは、8月の姥神神社の夏祭りであることが 江差町においては一般的な考え方であり、これが江差追分全国大会の時であるとするのは、 江差町民の一般的な考え方とは異なるもので、江差追分に対する特別の情熱を持つ被上告 人に特有の認識である。  (2) 本件ナレーションは、本件プロローグの骨子を同じ順序で記述し、表現内容が共 通しているだけでなく、1年で一番にぎわう行事についての表現が一般的な認識とは異な るにもかかわらず本件プロローグと共通するものであり、また、外面的な表現形式におい てもほぼ類似の表現となっているところが多いから、本件プロローグにおける表現形式上 の本質的な特徴を直接感得することができる。  (3) したがって、本件ナレーションは、本件プロローグを翻案したものといえるから、 本件番組の製作及び放送は、被上告人の本件著作物についての翻案権、放送権及び氏名表 示権を侵害するものである。  4 しかしながら、原審の上記判断は、是認することができない。その理由は、次のと おりである。  (1) 言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、そ の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加え て、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物 の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。 そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条 1項1号参照)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイ デア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分にお いて、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解する のが相当である。  (2) これを本件についてみると、本件プロローグと本件ナレーションとは、江差町が かつてニシン漁で栄え、そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこ と、現在ではニシンが去ってその面影はないこと、江差町では9月に江差追分全国大会が 開かれ、年に1度、かつてのにぎわいを取り戻し、町は一気に活気づくことを表現してい る点及びその表現の順序において共通し、同一性がある。しかし、本件ナレーションが本 件プロローグと同一性を有する部分のうち、江差町がかつてニシン漁で栄え、そのにぎわ いが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと、現在ではニシンが去ってその面 影はないことは、一般的知見に属し、江差町の紹介としてありふれた事実であって、表現 それ自体ではない部分において同一性が認められるにすぎない。また、現在の江差町が最 もにぎわうのが江差追分全国大会の時であるとすることが江差町民の一般的な考え方とは 異なるもので被上告人に特有の認識ないしアイデアであるとしても、その認識自体は著作 権法上保護されるべき表現とはいえず、これと同じ認識を表明することが著作権法上禁止 されるいわれはなく、本件ナレーションにおいて、上告人らが被上告人の認識と同じ認識 の上に立って、江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ、年に1度、かつてのにぎわ いを取り戻し、町は一気に活気づくと表現したことにより、本件プロローグと表現それ自 体でない部分において同一性が認められることになったにすぎず、具体的な表現において も両者は異なったものとなっている。さらに、本件ナレーションの運び方は、本件プロロ ーグの骨格を成す事項の記述順序と同一ではあるが、その記述順序自体は独創的なものと はいい難く、表現上の創作性が認められない部分において同一性を有するにすぎない。し かも、上記各部分から構成される本件ナレーション全体をみても、その量は本件プロロー グに比べて格段に短く、上告人らが創作した影像を背景として放送されたのであるから、 これに接する者が本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない というべきである。  したがって、本件ナレーションは、本件著作物に依拠して創作されたものであるが、本 件プロローグと同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性が ない部分であって、本件ナレーションの表現から本件プロローグの表現上の本質的な特徴 を直接感得することはできないから、本件プロローグを翻案したものとはいえない。  5 結論  以上説示したところによれば、本件番組の製作及び放送は、被上告人の本件著作物につ いての翻案権、放送権及び氏名表示権を侵害するものとはいえないから、被上告人の本件 損害賠償請求は、いずれも棄却するべきである。これと異なる見解に立って、被上告人の 本件請求の一部を認容すべきものとした原審及び第1審の判断には、判決に影響を及ぼす ことが明らかな法令の違反がある。論旨は、この趣旨をいうものとして理由がある。した がって、原判決中上告人ら敗訴部分を破棄し、同部分につき第1審判決を取り消し、被上 告人の請求をいずれも棄却することとする。  よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 裁判長裁判官 井嶋 一友    裁判官 藤井 正雄    裁判官 大出 峻郎    裁判官 町田 顯    裁判官 深澤 武久 (別 紙)  略