・東京高判平成13年9月18日  建築エスキース事件:控訴審。  控訴棄却。 (第一審:東京地判平成12年8月30日) ■判決文 第3 当裁判所の判断 1 はじめに  当裁判所も、控訴人に対する被控訴人らの本訴請求は、原判決の認容した限度で 理由があるものと判断する。その理由は、当審における控訴人の主張に対する判断を 2ないし10に付加するほか、原判決の「第三 争点に対する判断」のとおりであるか ら、これを引用する。 2 法人著作の成否について (1) Dが、早稲田大学理工学部建築学科に教授として在職している間に、本件記念 館及び桃華楽堂の各建築設計を行ったこと、本件エスキースが、上記各設計における 具体的な設計図面作成に着手する前に、出来上がる予定の建築物の構想を表現したも の(エスキース)の一部であることは、当事者間に争いがない。 (2) 控訴人は、本件エスキースについての著作権も著作者人格権も、いわゆる法人 著作として当初から早稲田大学に帰属するものであり、Dには帰属していなかったと 主張するが、採用できない。 (ア) まず、ある著作物につきいわゆる法人著作が成立するためには、当該著作物 が法人等の「発意に基づき」作成されたものでなければならないのに(著作権法15 条1項)、本件エスキース自体についてはおろか、本件記念館や桃華楽堂の設計図書 についても、早稲田大学の「発意に基づき」作成されたものであることに該当する事 実は、控訴人自身主張しておらず、また、本件全証拠によっても認めることができな い。なお、仮に、早稲田大学が、Dがこれらを作成することにつき、種々の形で協力 したり援助を与えたりしたことがあったとしても、これらが同大学の発意に基づき作 成されたことになるわけでないことは、いうまでもないところである。   控訴人主張の法人著作の主張が採用できないことは、この点からだけでも、 明らかというべきである。 (イ) 次に、いわゆる法人著作が成立するためには、当該著作物が「法人等が自己 の著作の名義の下に公表するもの」でなければならないのに(著作権法15条1項)、 本件エスキースが、早稲田大学の著作の名義の下に公表するものであったことに該当 する事実は、控訴人自身主張しておらず、また、本件全証拠によっても認めることが できない。   この点について、控訴人は、早稲田大学は、本件記念館及び桃華楽堂の設 計図書を「早稲田大学D研究室D」の名で公表した旨主張する。   しかし、仮にこれが事実であるとしても、社会通念に従えば、「早稲田大 学D研究室」の部分は、これに続く「D」の肩書きにすぎないものであり、この記載 をもって早稲田大学の著作の名義の下の公表であるということは、到底できない。し かも、本件エスキースは、具体的な設計図面を作成する前の段階で描かれたものの一 部であったのであり、設計図書とは別の作品であるのに、なにゆえに、設計図書を 「早稲田大学D研究室D」の名で公表したことで、本件エスキースまでその名で公表 したことになるのか明らかでない。   控訴人は、本件エスキースが、本件記念館及び桃華楽堂の設計図書という 巨大な作品の形成途上で生れたものであるとして、あたかも、本件エスキースが設計 図書に付随するものとして存在し、独立の著作物としての存在が認められないもので あるかのように主張しているが、本件エスキースは、上記のとおり、設計図面作成に 着手する前に、出来上がる予定の建築物の構想を表現したものの一部であって、設計 図面でないことは明らかであり、設計図書とは別の独立した著作物としての存在が否 定されなければならない理由はない。  法人著作についての控訴人の主張が採用できないことは、この点からも明ら かというべきである。 3 本件エスキースの著作権の譲渡取得について 控訴人は、Dは、昭和42年4月ころ、早稲田大学に対し、同大学の使者という べきEに対して、本件エスキースを含む本件資料を引き渡し、これをもって、本件エ スキースの著作権を、同大学に贈与した、あるいは、負担付きで贈与したと主張し、 これを裏付けるべき証拠として、Dから直接本件資料の引渡しを受け、同資料の処置 について指示を受けたEの陳述書(乙第1号証、第33号証)を提出している。  乙第1号証によれば、平成12年4月7日付けのEの陳述書には、上記引渡しの 際のDの言葉として、「これらは早稲田大学理工学部建築学科D研究室の研究活動の 成果である資料だから、君にすべて任せる。大切に預かって欲しい。いずれは建築学 科教室に資料館でもできたら、そこに収めて一般公開するように。」との記載がある ことが認められる。また、乙第33号証によれば、平成13年5月29日付けのEの 陳述書には、「昭和42年、先生の研究室を閉じられる当時、研究室は歩くことがで きないと表現したい様に物でつまっていました。先生と私、2人では整理作業は無理 でしたので、私の個人助手となる予定のH君と院生のI君らを呼び出し手伝いを頼み ました。前にも申した通り、先生はそれらを、ご自宅に待ち帰られるものと私の研究 室に運ぶものとを分けることをされました。そして私の研究室に運んだものを大切に 保管、管理するよう申されたのです。先生はいつも、大学の建築学科には建築博物館 のような資料館を持たなければいけないと言われ続けていました。将来、早稲田の建 築学科にもそのような資料館ができる時が来るよう願っておられました。それが実現 した時には、D先生の努力で手に入ったJ先生の貴重図書も、そして建築学科の先生 方の業績の成果もそこに収められ、多くの研究者、学生に公開されることが重要であ るといわれ続けていました。私が先生からお預かりしたものもそこに収められる時ま で大切にするようにとの願いを語られたのです。」、「先生から資料をお預かりした 当時は、漠然と建築学科の資料室がそのうちにできるようになるだろうと思っていま したが、年月が過ぎ、そのことの可能性を見ずに私も大学の定年退職を迎えてしまい ました。先生に言われた建築学科資料室という言葉にとらわれ、建築学科以外にとい う考えが及びませんでした。Aさんからの手紙の、大学の図書館に移管せよとの命令 に一瞬戸惑いましたが、そういう選択肢もあると気づいたのが本当のところです。そ れは先生が最もよろこばれることだと思い、直ちに先生のご意向を伝え早稲田大学図 書館に移管手続きを取ったことは既に述べたとおりです。」との記載があることが認め られる。  Eの陳述書の上記各記載によれば、Dから本件エスキースを含む資料を受け取っ たEは、将来、Dの夢であった早稲田大学建築学科の資料館が建設されるときまで、 上記資料を預かって欲しいと依頼され、この依頼に応じて、Dから、上記資料を受け 取り、自己の研究室に保管していたものの、資料館が建設されないまま、Dは死亡し、 Eも定年退職するに至ったものであることが認められる。   上記認定の事実の下では、反対の結論に導く特別の事情が認められない限り、 Dは、本件資料を、所有権にせよ著作権にせよ、その贈与の意思をもってEに対し引 き渡したのでなく、単に、Eに寄託したにすぎないものであると認めるのが相当であ る。そして、本件全証拠によっても、上記特別の事情に該当すべき事実を認めること はできない。   控訴人は、学問の研究の資料として役立たせるための寄贈は、単に物としての 資産を早稲田大学に寄贈しただけではなし得ないことが明白である、所有権を与えて も、著作権がなければ、早稲田大学は、Dの死後50年間、展示複製をするには被控 訴人らの個別の許可を得なければならなくなり、これでは学問の発展に寄与できる範 囲は極めて限られたものとならざるを得ない、これらDの行動等を総合的に判断すれ ば、同人は、昭和42年4月ころの時点で、著作権を早稲田大学に譲渡したというべ きであると主張する。   しかしながら、たとい、Dが、自己の研究成果が散逸することなく研究資料と して建築を志す者や後進の研究者の学問研究に広く役立つようにするために、これら を早稲田大学の資料館に収めて公開することを終生強く望んでいたとしても、また、 学問の発展のためには、本件エスキースの利用につき制約のできるだけ少ないことが 望ましいという面があるとしても、それらの前提の下で、最終的にどのような法的形 態が好ましいかについては、なお種々の考えと選択の余地があり得るのであり、この 点につき、Dがどのような考えを有していたのかは、結局、本件全証拠によっても明 らかでないのである。そうである以上、上記のことから、単純に、本件エスキースの 著作権の譲渡という結論を導き出すことはできないというべきである。   著作権の譲渡取得についての控訴人の主張は、採用できない。 4 本件エスキースの使用についての事前の包括的同意について  控訴人は、早稲田大学は、雇用関係にあるEを介し、昭和42年4月ころ、Dか ら本件エスキースの原画の引渡しを受けるとともに、教育研究の資料として使用する に必要な範囲で複製・展示その他著作権の行使につき著作権消滅時までの包括的同意 を得た旨主張する。しかし、上記のとおり、Dが、早稲田大学の資料館に収めて公開 することを終生強く望んでいたからといって、当然に、本件で問題とされている形で 利用することまで認めたことになるわけのものではないというべきであり、その他、 3で認定した事実の下で、上記包括的同意があったと認めさせる資料は、本件全証拠 を検討しても見いだすことができない。 5 本件エスキースの著作権の時効取得について  控訴人は、早稲田大学は、早稲田大学と雇用関係にあるEを介し、昭和42年4 月ころ、Dから本件エスキースを受け取り、それ以来、早稲田大学のために平穏かつ 公然に本件エスキースの所有権・著作権を含む一切の権利を表象する本件エスキース の原画を継続して占有し、他の者の権利行使を排除しつつ使用保管し、10年を経過 した昭和52年4月の時点でも、あるいは、占有の始めに善意・無過失が認められな いとしても、20年を経過した昭和62年4月の時点でも、上記のとおりの占有を継 続していたとし、早稲田大学が本件エスキースの著作権を時効取得したと主張する。   所有権以外の財産権について取得時効が成立するためには、「自己のためにす る意思をもって」、その権利の行使をしていたことが必要である(民法163条)。  しかしながら、Eが、自己のためにする意思あるいは早稲田大学のためにする意 思をもって本件エスキースについての権利行使をしていたことは、本件全証拠によっ ても認めることができない。むしろ、前記認定のとおり、Eは、Dから、本件エスキ ースを含む資料の寄託を受けていたものであるから、自己のためにする意思をもって いなかったことは、明らかというべきである。  したがって、控訴人の上記主張は、その余の点について検討するまでもなく、失当 なことが明らかである。 6 本件エスキースの著作権の時効消滅について  控訴人は、Dは、昭和42年4月、著作権を外形的に表象する本件エスキースの 原画の占有をEに移転させて以来、一度として著作権について権利行使することなく 20年を経過した昭和62年5月に死亡し、その後、相続人である被控訴人らも、権 利行使をしていないとし、時効消滅の主張をする。   著作権法17条は、財産権である著作権として21条ないし28条に規定する 権利を享有すると定め、同法21条ないし28条において、著作者がその著作物を複製 する権利を専有すること(複製権)、著作者がその著作物を翻訳し、編曲し、若しく は変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有すること(翻案権)な どを定めている。そして、同法51条2項は、著作権は、原則として、著作者の死後 50年を経過するまでの間存続すると定めている。そして、ここに「専有」とは、物 権的な排他的支配権を意味するものと解することができ、その内容としては、自らこ れを利用し他人には利用させないことも、自ら利用しつつ他人にも利用させることも、 自らはこれを利用しないで、他人に利用させることも、自らもこれを利用せず他人に も利用させないことも、すべて当然に含んでいるものというべきである。   そうすると、著作権は、その性質上、当該著作物を利用することもせず、他人 に対して権利行使をしていないとしても、それによって消滅時効が進行するというも のではなく、かつ、消滅時効とは関係なく、法定の保護期間の満了をもって権利が消 滅することになると解するのが相当である。  控訴人の上記主張も、失当である。 7 正当な範囲内の引用について  控訴人は、本件書籍の具体的な目的は、建築家のエスキースから造形を空間に生 み出す過程における建築家の模索する姿を読者に感得させ、先人たちの構想・着想方 法を学ばせることに置かれているのであるから、エスキースも、上記の目的を達成す るに足りる程度に掲載されている必要があるなどとし、本件書籍は、上記目的のため 著された著作物であって、控訴人は、上記目的に照らし、必要最小限という正当な範 囲内で、公正な慣行に従って、本件エスキースを引用したものであると主張する。  甲第3号証の1ないし7によれば、本件書籍は、「生まれ出づる空間への模索」と の表題の書籍であり、控訴人も認めるとおり、著名な建築家のエスキースを通じて、 造形を空間に生み出す過程における建築家の模索する樣子を表現しようとしているも のであること、本件エスキースを掲載しているのは26頁ないし29頁であり、その うちの26頁、28頁、29頁の各全面、27頁の上半分に、本件エスキースを掲載 し、27頁の下半分に、Fの「D先生のエスキースから」と題するF著作を掲載して いること、F著作は、Dの経歴を紹介した後、本件エスキースの作成の由来、内容等 を解説しているものであることが認められる。   上記認定の事実によれば、本件書籍の上記各頁においては、本件エスキースこ そが表現の中心なのであり、F著作は、本件エスキースを説明するものであって、本 件エスキースが主、F著作が従たるものであるから、F著作との関係において、本件 エスキースの掲載が引用に当たらないことは、明らかというべきである。   また、控訴人主張のとおり、本件書籍全体の具体的な目的が、建築家のエスキ ースから造形を空間に生み出す過程における建築家の模索する姿を読者に感得させ、 先人たちの構想・着想方法を学ばせることに置かれているものであったとしても、そ の目的に照らして必要最小限の範囲のものの利用なら当然に著作権法32条にいう引 用に当たる、ということになるわけではない。本件書籍の具体的目的が控訴人主張の ようなものであるならば、そこでの主体は、むしろ、掲載されているエスキースその ものというべきであり、これについて引用を論ずるなど不可能なことというべきであ る。 8 本件エスキースの改変について (1) 控訴人は、本件雑誌において、本件エスキースは、広告を通してすべてそのま まの状態で見ることができるから、エスキース自体に何らの変更をも加えていない旨 主張する。   甲第10号証の5、第11号証ないし第14号証の各3、第15号証の2、 第16号証ないし第19号証の各3によれば、控訴人が作成した本件雑誌の広告は、 本件エスキース1を下絵として使用し、その上に、本件書籍に関する広告(書籍の題 号、紹介文、構成、内容の要約、企画者、監修者、発行者の表示、作品が掲載されて いる建築家の氏名、定価、注文方法等)を下絵の全面にわたって重ねて印刷している ことが認められる。そして、これが改変に当たることは、いうまでもないところであ る。   控訴人の主張は、重ねて印刷した広告を度外視すれば、本件エスキースに何 の変更も加えていないというものであって、前提において既に失当であるというほか はない。 (2) 控訴人は、人格権は属人的権利であり財産権のように相続人が自由に行使でき るものではないのであるから、死亡した著作者の人格権に由来する権利の侵害を主張 するのであれば、誰もが一般的に人格を毀損すると感ずるような使用であるか、故人 が生前に同様な使用を拒否した事例があるか、本人の意思が文書等により明示されて いるかの場合に限られるべきであるとし、控訴人の行為は、著作権法60条ただし書 にいう「当該著作者の意を害しないと認められる場合」に該当すると主張する。   しかしながら、上記認定のとおりの、本件エスキース1の全面に広告を重ね て印刷して公表する行為は、これが著作者の承諾なくなされた場合、著作者にとって、 いわば自己の作品の全面に無断で落書きされたに等しいものであるから、著作者に著 しい不快感を与えることは明白であり、著作権法60条ただし書にいう「当該著作者 の意を害しないと認められる場合」に該当しないことが明らかである。 9 控訴人の故意・過失について  控訴人は、本件書籍及び本件雑誌の発行時、本件エスキースについては、@それ まで、原画がEの下で許諾を得て利用されてきた、ADは、建築は衆人の作物であり、 一個人の功名ではないという哲学の持主であり、広く研究資料として利用することを 望む人柄であった、B原画が早稲田大学にある、C原画の使用についての許可手続が とられ展示会への出展がなされた、D被控訴人らが本件エスキースの著作権者である と疑わせる外形的事実が全くない、などの事情があったのであり、これらの事情から すると、控訴人が本件エスキースの著作権が早稲田大学にあると判断したことには、 何らの過失もないというべきである、と主張する。   甲第5号証、乙第4号証によれば、早稲田大学理工学部建築科の卒業生が中心 となって設立された稲門建築会では、平成10年、「生まれ出づる空間への模索」と のテーマで展覧会を催すことにし、その資金調達の一環として、控訴人に依頼して、 本件書籍を出版することにしたこと、稲門建築会は、本件書籍に、Dの作品も掲載し ようと、Aに打診したものの、同人は、平成10年11月25日ころに、Dの作成し たエスキースやスケッチを出品・展示・掲載することを断る旨の書簡を送ったこと、 稲門建築会は、Eが預かっていた本件エスキースを含むD関係の資料が、早稲田大学 図書館に存在することを知り、その中から本件エスキースを借用することにし、所定 の手続を経て、早稲田大学から、資料特別使用許可書を得て、本件エスキースを借り 受け、平成11年1月29日、控訴人に対し、稲門建築会に集められた作品とともに、 上記書簡を含む関係書類を示し、著作権に係る手続が完了している旨説明したことが 認められる。   出版を業とする控訴人は、本件書籍にエスキースやスケッチを掲載することに よって著作権侵害、著作者人格権侵害が発生しないように細心の注意を払うべき義務 があったものというべきであり、上記認定の事実によれば、Aの書簡から、Dの相続 人の一人が、Dのエスキースの使用を拒否していることが明らかであったのであるか ら、被控訴人らが本件エスキースの著作権者であると疑わせる外形的事実があったの であり、それにもかかわらず、控訴人は、それ以上に何らの調査もせずに、本件エス キースを掲載した本件書籍を発行したのであるから、控訴人の同行為が上記義務に違 反することは明らかというべきである。   したがって、控訴人には、本件エスキースの無許諾複製・発行につき少なくと も過失があった、ということができる。   控訴人の上記無過失の主張は、採用できない。 10 権利の濫用について  控訴人は、Dは、生前、一度として本件エスキースの利用を拒否したことがない のであるから、その死後に、後進の建築家や後輩の学生の研究と勉学のため教科書に 準ずる書籍を出版するに当たって、相続人が個別具体的に複製・展示の許可を求める ことを容認するはずがない、本件エスキースは、本件書籍147頁のうちのわずか3 ぺージ半を占めるだけである、仮に何らかの損害を被るとしても、金銭的な補填によ る回復で足りる性質のものであるのに対し、本件書籍が販売禁止となると、今後この 種の書籍は刊行される見込みは極めて薄く、そのことによる後進の建築家の受ける損 害には計り知れないものがある、とし、被控訴人の本訴による権利行使は、著作者の 意に反し社会的相当性を逸脱したものであり、権利の濫用に当たるから、権利行使は 許されないと主張する。   しかしながら、Dが生存していたとして、本件エスキースについての本件で問 題とされている利用について、果たしてどのような態度をとったかは、簡単にはいえ ないことである。また、著作権を相続により取得した相続人が、被相続人と異なる見 解を有することは、当然に、予想されることであり、これが非難される筋合いのもの でないことは明らかである。本件についても、仮に、本件エスキースの著作権の処分 について被控訴人らの見解が、Dの見解と異なることになるとしても、被控訴人らが、 その見解によって行動したからといって、何ら非難されなければならないものではな い。   また、本件エスキースが本件書籍147頁のうちの3ぺージ半を占めるだけの ものであるとしても、著名な建築家であったDの作品であるということで高い掲載の 価値を有していたことは明らかである。   これらのことを考えると、仮に、本件書籍の発行ができなくなることにより後 進の建築家が損害を受けるなどのことがあるとしても、控訴人の違法な行為に対し、 被控訴人らが著作権及び著作者人格権に基づく訴訟を提起し得ることは、当然のこと であり、本訴が権利の濫用に当たるものではないことは、明らかというべきである。 11 結論  以上のとおり、控訴人に対する被控訴人らの本訴請求は、原判決の認容した限度 で理由があり、原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がない。よって、本 件控訴をいずれも棄却することとし、当審における訴訟費用の負担について、民事訴 訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第6民事部 裁判長裁判官 山下 和明    裁判官 宍戸 充    裁判官 阿部 正幸