・東京高判平成13年10月30日判時1773号127頁  交通安全スローガン事件:控訴審。  本件は、交通安全のための交通標語(スローガン)を創作した控訴人が、被控訴人 らに対し、主位的に、被控訴人らが、控訴人の創作に係る交通標語と実質的に同一の 交通標語を作成し、交通事故防止キャンペーンのためにテレビ放映された広告におい てこれを使用し、控訴人が、これにより損害を被ったとして、控訴人の創作に係る交 通標語の著作権の侵害を理由に、損害の賠償を求め、予備的に、当審における新請求 として、被控訴人らは上記交通標語の上記使用により控訴人の損失において不当な利 益を得たとして、不当利得の返還を求めている事案である。  判決は、「交通標語には、著作物性(著作権法による保護に値する創作性)そのも のが認められない場合も多く、それが認められる場合にも、その同一性ないし類似性 の認められる範囲(著作権法による保護の及ぶ範囲)は、一般に狭いものとならざる を得ず、ときには、いわゆるデッドコピーの類の使用を禁止するだけにとどまること も少なくないものというべきである」、「被告スローガンを、原告スローガンを複製 ないし翻案したものということはでき」ないなどとして、原告(控訴人)の請求を棄 却した原審判決を維持し、控訴を棄却した。 (第一審:東京地判平成13年5月30日) ■判決文 第3 当裁判所の判断  当裁判所も、控訴人の請求には理由がないと判断する。その理由は、次のとおりで ある。 1 控訴人は、被告スローガンは、原告スローガンと比べた場合、多少の修正ないし 変更がなされているとはいえ、原告スローガンとの間に同一性があると解すべきであ る、と主張する。  原告スローガンは、「ボク安心 ママの膝(ひざ)より チャイルドシート」とい う交通標語であり、チャイルドシートの使用を一般に広めようとする趣旨で作成され たものである(甲8)。これに対し、被告スローガンは、「ママの胸より チャイル ドシート」という交通標語であり、原告スローガンと同趣旨で作成されたものである (乙2)。両スローガンを対比すると、両者は、「ママの・・・よりチャイルドシー ト」の部分において共通するものの、原告スローガンは、3句構成であるのに、被告 スローガンは2句構成である、被告スローガンには、原告スローガン中の「ボク安心」 に対応する語句が存在しない、原告スローガンでは「ママの膝(ひざ)より」となっ ているのに対し、被告スローガンでは「ママの胸より」となっているという各点で相 違することが認められる。  原告スローガンや被告スローガンのような交通標語の著作物性の有無あるいはその 同一性ないし類似性の範囲を判断するに当たっては、@表現一般について、ごく短い ものであったり、ありふれた平凡なものであったりして、著作権法上の保護に値する 思想ないし感情の創作的表現がみられないものは、そもそも著作物として保護され得 ないものであること、A交通標語は、交通安全に関する主題(テーマ)を盛り込む必 要性があり、かつ、交通標語としての簡明さ、分りやすさも求められることから、こ れを作成するに当たっては、その長さ及び内容において内在的に大きな制約があるこ と、B交通標語は、もともと、なるべく多くの公衆に知られることをその本来の目的 として作成されるものであること(原告スローガンは、財団法人全日本交通安全協会 による募集に応募した作品である。)を、十分考慮に入れて検討することが必要とな るというべきである。  そして、このような立場に立った場合には、交通標語には、著作物性(著作権法に よる保護に値する創作性)そのものが認められない場合も多く、それが認められる場 合にも、その同一性ないし類似性の認められる範囲(著作権法による保護の及ぶ範囲) は、一般に狭いものとならざるを得ず、ときには、いわゆるデッドコピーの類の使用 を禁止するだけにとどまることも少なくないものというべきである。  これを本件についてみると、まず、原告は、母親が幼児を膝の上に乗せて抱いたり するよりもチャイルドシートを着用させた方が安全であるという考え方を広めたいと の趣旨から、「ママの膝(ひざ)より チャイルドシート」との対句的表現を用いた ものであり(甲8)、この表現の前に更に、「ボク安心」との表現を配置して、両者 を対句的に用いることにより、家庭的なほのぼのとした車内の情景を効果的に的確に 表現し、これらを全体として5・7・5調で表現している。他方、「チャイルドシー ト」は、もともと、保護者が車内に同乗する幼児の安全を守るために着用させるもの であり、また、幼児を同乗させる車内の光景としては、父親が車を運転し、母親が幼 児を保護するのがその典型的なものとして連想されるため、幼児とその母親とチャイ ルドシートは密接に関連する題材であるということができ、このことから、「ボク」、 「ママ」及び「チャイルドシート」という三つの語句は、チャイルドシートに関する 交通標語において、使用される頻度が極めて高い語句であると推認することができる。 また、チャイルドシートの使用を勧めるに当たり、チャイルドシートを使用しない従 前の状態との対比を明らかにすることにより、その効果を高めようとして、「・・・ よりチャイルドシート」とすることは、ごくありふれた手法に属する。このようにみ てくると、原告スローガンに著作権法によって保護される創作性が認められるとすれ ば、それは、「ボク安心」との表現部分と「ママの膝(ひざ)より チャイルドシー ト」との表現部分とを組み合わせた、全体としてのまとまりをもった5・7・5調の 表現のみにおいてであって、それ以外には認められないというべきである。  これに対し、被告スローガンにおいては、「ボク安心」に対応する表現はなく、単 に「ママの胸より チャイルドシート」との表現があるだけである。そうすると、原 告スローガンに創作性が認められるとしても、それは、前記のとおり、その全体とし てのまとまりをもった5・7・5調の表現のみにあることからすれば、被告スローガ ンを原告スローガンの創作性の範囲内のものとすることはできないという以外にない。 2 上述したところによれば、被告スローガンを、原告スローガンを複製ないし翻案 したものということはできず、控訴人の著作権侵害に基づく損害賠償の請求も、不当 利得返還の請求も、いずれも理由がないことは、その余の点について判断するまでも なく、明らかである。 3 以上のとおりであるから、控訴人の本訴請求中当審において追加した新請求を除 く部分を棄却した原判決は相当であり、上記新請求も棄却を免れない。そこで、本件 控訴及び上記新請求のいずれも棄却することとして、当審における訴訟費用の負担に つき民事訴訟法67条1項、61条を適用して、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第6民事部 裁判長裁判官 山下 和明    裁判官 設樂 隆一    裁判官 阿部 正幸