・東京高判平成14年4月11日  「絶対音感」事件:控訴審  控訴棄却。 (第一審:東京地判平成13年6月13日) ■判決文 (2) 控訴人らは、原告翻訳部分の本件書籍への採録は、著作権法32条1項の適法な 引用に当たるから、著作権者の許諾を得ていなくとも、複製権侵害に当たらない、と主 張する。  ア 著作権法32条1項は、「公表された著作物は、引用して利用することができる。 この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、 研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」と規定 している。著作権法32条1項がこのように規定している以上、これを根拠に、公表さ れた著作物の全部又は一部を著作権者の許諾を得ることなく自己の著作物に含ませて利 用するためには、当該利用が、@引用に当たること、A公正な慣行に合致するものであ ること、B報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものである こと、の3要件を満たすことが必要であると解するのが相当である。  イ 「引用」に当たるというためには、引用して利用する側の著作物(以下「引用著 作物」という。)と引用して利用される側の著作物(以下「被引用著作物」という。) とが、明瞭に区別されていなければならないことは、事柄の性質上、当然である。被引 用著作物が引用著作物と明瞭に区別されておらず、著作物に接した一般人において、引 用著作物中にその著作者以外の者の著作に係る部分があることが判明しないような採録 方法が採られている場合には、そもそも、同条にいう「引用」の要件を満たさないとい うべきである。  前に認定したところによれば、本件書籍中において、原告翻訳部分は、括弧で区分さ れ、本件書籍の他の部分と明瞭に区別されているから、「引用」の要件を満たしている ことは、明らかである。  ウ 被控訴人Aによる原告翻訳部分の引用が、公正な慣行に合致するものと認められ るか否か、についてみる。  引用に際しては、上記のとおり、引用部分を、括弧でくくるなどして、引用著作物と 明瞭に区別することに加え、引用部分が被引用著作物に由来することを明示するため、 引用著作物中に、引用部分の出所を明示するという慣行があることは、当裁判所に顕著 な事実である。そして、このような慣行が、著作権法32条1項にいう「公正な」とい う評価に値するものであることは、著作権法の目的に照らして、明らかというべきであ る。  ここにいう、出所を明示したというためには、少なくとも、出典を記載することが必 要であり、特に、被引用著作物が翻訳の著作物である場合、これに加えて、著作者名を 合わせて表示することが必要な場合が多いということができるであろう(著作権法48 条1項、2項参照)。  前記認定によれば、本件書籍中には、原告翻訳部分を掲載する直前の本文で、「Cは、 バーンスタインの言葉を日本語に置き換えた台本を制作し、日本の子どもたちに音楽の 素晴らしさを伝えるコンサートを企画している。ここでは、Cの許可を得て、その第一 回「音楽って何?」と題するコンサートでバーンスタインが語った言葉の一部を紹介し たい。」との記述があり、また、参考文献欄には、「レナード・バーンスタイン『音楽 って何?』Young People’s Concert第一巻台本・NHK、CB S(1960)」が掲げられているものの、いずれも、被引用著作物が本件翻訳台本で あることを示すには足りず、かつ、いずれの個所にも、翻訳者が被控訴人であることは 記載されていない(原告翻訳部分を掲載する直前の上記本文の文言によれば、Cこそが 出典の翻訳者であるような印象を与えるものとなっているということも、可能である。) から、これらの記述のみでは、出所を明示したということはできないというべきである。  このように、控訴人Aは、本件書籍に原告翻訳部分を掲載するに当たり、原告翻訳部 分を括弧で区分することによって、他の部分と明瞭に区別して引用であることを明らか にはしたものの、原告翻訳部分を本件翻訳台本から複製したものであることも、翻訳者 が被控訴人であることも明示しなかったのであるから、このような採録方法は、前認定 の公正な慣行に合致するものということはできないというべきである。  この点につき、控訴人らは、罰則上、著作権侵害の罪とは別に出所明示義務違反の罪 が設けられていることを根拠として、著作権法48条1項の出所明示義務は、同法32 条1項により適法な引用と認められる場合に課される法律上の義務ではあるものの、こ の義務に反し出所明示を怠った場合であっても、著作権侵害が成立するわけではない、 と主張する。  しかしながら、控訴人らの上記主張は、出所を明示しない引用が適法な引用と認めら れる場合(出所を明示することが著作権法32条1項にいう公正な慣行に当たると認め られるには至っていないことを、当然の前提とする。)には当てはまっても、出所を明 示することが公正な慣行と認められるに至っている場合には、当てはまらないというべ きである。出所を明示しないで引用することは、それ自体では、著作権(複製権)侵害 を構成するものではない。この限りでは、控訴人らの主張は正当である。しかし、その ことは、出所を明示することが公正な慣行と認められるに至ったとき、公正な慣行に反 する、という媒介項を通じて、著作権(複製権)侵害を構成することを否定すべき根拠 になるものではない。出所を明示しないという同じ行為であっても、単に法がそれを義 務付けているにすぎない段階と、社会において、現に公正な慣行と認められるに至って いる段階とで、法的評価を異にすることになっても、何ら差し支えないはずである。そ して、出所を明示する慣行が現に存在するに至っているとき、出所明示を励行させよう として設けられた著作権法48条1項の存在のゆえに、これを公正な慣行とすることが 妨げられるとすれば、それは一種の背理というべきである。  控訴人らの上記主張は、採用することができない。  エ 原判決は、本件書籍への原告翻訳部分の引用は、引用の目的上正当な範囲内で行 われたものということはできない、として、上記アBの要件該当性を否定する。  しかしながら、前記で認定したところによれば、控訴人Aは、音楽とは何か、人間と は何か、という最終的なテーマと密接に関連し、同テーマについての控訴人Aの記述の 説得力を増すための資料として、著名な指揮者・作曲家の見解を引用、紹介したもので あるということができ、かつ引用した範囲、分量も、本件書籍全体と比較して殊更に多 いとはいえないから、原告翻訳部分の本件書籍への引用は、引用の目的上正当な範囲内 で行われたものと評価することができる。この点において、当裁判所は、原判決とは見 解を異にする。  オ 以上述べたところによれば、本件書籍への原告翻訳部分の採録は、出所の明示を 怠った点において公正な慣行に合致せず、著作権法32条1項の適法な引用には当たら ないというべきであるから、複製権を侵害するものというべきである。  控訴人らは、本件書籍はノンフィクション作品であり、収集事実の記述について過度 の制約を加えられれば、ノンフィクションの使命ともいえる歴史的事実の発掘・紹介や 過去の事実に関する批評・問題提起などが著しく困難となり、作品自体が成立しなくな るとして、このことを引用の適法性の判断に当たり考慮すべきであると主張する。しか しながら、本件において、出所の明示を要求することが、収集事実の記述について過度 の制約を加えることになるとは到底考えられない。  控訴人らの主張は、採用することができない。 2 氏名表示権侵害について  前記1で認定説示したところによれば、本件書籍への原告翻訳部分の引用は、被控訴 人の著作者人格権である氏名表示権をも侵害することは明らかである。 3 過失の有無について  (1) 控訴人らは、Cないしクリスタル・アーツ社が本件翻訳台本を作成していると考 えてもやむを得ない事情があるから、あえてそれ以上に翻訳者を調査する注意義務はな く、出所を明示しなかったことについて控訴人らに過失はない、と主張する。しかしな がら、控訴人らは、バーンスタインによる原著作物を翻訳して本件翻訳台本を作成した 者がいることに思いを至し、この点について調査をすれば、通常なら、容易に本件翻訳 台本の翻訳者が原告であることを知り得たというべきである。そして、本件全証拠によ っても、控訴人らが上記調査をすることを困難とするような事情があったと認めること はできないから、控訴人らは過失責任を免れないというべきである。  控訴人らの主張は採用することができない。  (2) 以上述べたところによれば、控訴人らは、過失により、被控訴人が本件翻訳台本 について有する複製権を侵害するとともに、被控訴人の著作者人格権である氏名表示権 を侵害したものというべきであり、控訴人らの行為は、被控訴人に対し、共同不法行為 を構成する。 4 損害について  (1) 損害額については、基本的に、原判決9頁7行ないし10頁14行に記載されて いるところを、当裁判所の判断として、引用する。  控訴人ら及び被控訴人は、原判決の認容額についてそれぞれ不服を申し立てているが、 前記1で認定説示したところに照らすと、いずれも採用することができない(前記1(2) エのとおり、当裁判所は、引用の適法性の要件該当性の判断において、原判決と一部理 由を異にするが、この点は、認容額に影響を及ぼすものではないことは、原判決の説示 に照らし明らかであるというべきである。)。  (2) 原判決は、弁護士費用10万円に対しても、不法行為後の日である平成10年3 月10日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金を認容した。本件記録によれ ば、被控訴人は、原審において、弁護士費用に対する遅延損害金の支払を請求していな かったことが明らかであるから、原判決は、当事者の申し立てていない請求を認容した ことになる。しかしながら、被控訴人が本件控訴全部の棄却を求めていることを前提に、 被控訴人の提出に係る附帯控訴状の記載内容をみると、被控訴人は、当審において、請 求を拡張して弁護士費用全額に対する遅延損害金請求を追加したものと理解することが できるから、原判決の認容額は、結論において、正当であるというべきである。 第4 結論  以上によれば、本件控訴及び本件附帯控訴はいずれも理由がないから棄却することと し、当審における訴訟費用の負担につき、民事訴訟法67条、61条、65条を適用し て、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第6民事部 裁判長裁判官 山下 和明    裁判官 阿部 正幸 裁判官宍戸充は、転補のため、署名押印することができない。  裁判長裁判官 山下 和明