・東京高判平成14年9月6日判時1794号3頁  「どこまでも行こう」(小林亜星対服部克久)事件:控訴審  判決は、類似性を否定した原審判決を取り消して、「以上のとおり、乙曲は、その一 部に甲曲にはない新たな創作的な表現を含むものではあるが、旋律の相当部分は実質的 に同一といい得るものである上、旋律全体の組立てに係る構成においても酷似しており、 旋律の相違部分や和声その他の諸要素を総合的に検討しても、甲曲の表現上の本質的な 特徴の同一性を維持しているものであって、乙曲に接する者が甲曲の表現上の本質的な 特徴を直接感得することのできるものというべきである」としたうえで、控訴人の編曲 権、同一性保持権、氏名表示権を侵害するものであるとして、損害賠償請求を認容した。 (第一審:東京地判平成12年2月18日、上告審:最決平成15年3月11日) ■判決文  「そうすると、具体的な事案を離れて「表現上の本質的な特徴の同一性」を論ずるこ とは相当でないというべきであり、原曲とされる楽曲において表現上の本質的な特徴が いかなる側面に見いだし得るかをまず検討した上、その表現上の本質的な特徴を基礎付 ける主要な要素に重点を置きつつ、双方当事者の主張する要素に着目して判断するほか はない。」  「原曲とされる楽曲において表現上の本質的な特徴がいかなる側面に見いだし得るか をまず検討した上、その表現上の本質的な特徴を基礎付ける主要な要素に重点を置きつ つ、双方当事者の主張する要素に着目して判断するほかはない。」  「ドイツ著作権法24条2項が、旧ドイツ文学音楽著作権法(1901年)13条2 項の規定を踏襲して、旋律が原著作物に依拠してこれを感得させることができる新たな 音楽の著作物の利用については原著作物の著作者の同意を得ることを要する旨特に規定 し、旋律を厳格に保護する法理を明文で定めていることは(フロム=ノーデマン「著作 権法コンメンタール」〔第9版〕(1998)24条の注釈12〜15参照)、立法例 の相違を超えて顧慮すべきものを含む。」  「本件において、甲曲と乙曲の表現上の本質的な特徴の同一性を判断する前提として まず検討されるべきは、甲曲の表現上の本質的な特徴がいかなる側面に見いだされるか である。すなわち、甲曲が備える表現形式であっても、表現上の創作性がない部分にお いて乙曲と同一性を有するとしても、そのことから表現上の本質的な特徴の同一性を基 礎付けることはできないからである(前掲最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決 参照)。」  「したがって、甲曲と乙曲の表現上の本質的な特徴の同一性を検討する上で、まず考 慮されるべき甲曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴は、主として、その簡素で親し みやすい旋律にあるというべきであり、しかも、旋律を検討するに際しても、1フレー ズ程度の音型を部分的、断片的に取り上げるのではなく、フレーズA〜Dから成る起承 転結の組立てというその全体的な構成にこそ主眼が置かれるべきである。 (2) 本件における旋律以外の要素の位置付け   一般に、旋律を有する通常の楽曲において、編曲の成否の判断要素の主要な地位を 占めるのは旋律であると解されること、これを甲曲の楽曲としての本質的な特徴という 観点から具体的に見ても、その表現上の本質的な特徴が、主として旋律の全体的な構成 にあることは上記のとおりであるが、甲曲は和声等を含む総合的な要素から成り立つ楽 曲であるから、最終的には、これらの要素を含めた総合的な判断が必要となるというべ きである。     本件においては、控訴人らにおいて、甲曲と乙曲の表現上の本質的な特徴の同 一性を基礎付ける具体的な事実として、旋律に着目した主張立証をし、被控訴人におい て、その同一性を否定すべき事情として、旋律自体に着目した同一性を争うととともに、 和声、リズム、テンポ、形式等の要素に係る主張立証をしているので、以下、1−3で 控訴人らの主張に係る旋律の要素を独立してまず取り上げて検討した上、被控訴人の主 張する和声等の要素は、下記1−4、5でその減殺事由として考慮することとする。」 ●あてはめ ・旋律の対比  「(2) 数量的分析     まず、ごく形式的、機械的な対比手法として、別紙4に基づいて、甲曲と乙曲 の対応する音の高さの一致する程度を数量的に見ると、第1フレーズでは16音中11 音が、第2フレーズでは16音中12音が、第3フレーズでは16音中14音が、第4 フレーズでは、フレーズdで16音中6音が、フレーズhで16音中12音が、それぞ れ音の高さで一致する。そうすると、乙曲の全128音中92音(約72%)は、これ に対応する甲曲の旋律と同じ高さの音が使われていることが理解される。     なお、被控訴人の陳述書(乙6)中には、旋律が同じであるか、又は酷似して いながら、テンポ等が違うために異なる印象を与える曲として、「クマーナ」(アレッ クス・ロドリゲス作曲)と「いいじゃないの幸せならば」(いずみたく作曲)、「上を 向いて歩こう」(中村八大作曲)と「皇帝」(ベートーベン作曲)、「夏の思い出」 (中田喜直作曲)と「歓喜の歌」(ベートーベン作曲)等を挙げているが、Oの意見書 (甲9、19の1)、Pの意見書(甲122)及び検甲30によれば、被控訴人の指摘 に係る上記各曲の旋律を対比しても、甲曲と乙曲との旋律の音の高さの一致の度合いと は比較にならないほど低い数字(甲曲と乙曲の一致率約72%に対して、最も一致率の 高い「クマーナ」と「いいじゃないの幸せならば」で約40%)にしかならないこと、 他方、「ケアレスラブ」(米スタンダード曲)とその編曲に係るものとして公表されて いる前記「ミルク色だよ」との一致率は、甲曲と乙曲における数字と同じ約72%とな ることが認められる。     もとより、楽曲の表現上の本質的な特徴の同一性が、このような抽象化された 数値のみによって計り得るものではないことはいうまでもないが、上記のような形式的、 機械的な対比手法によって得られた数字が示す甲曲と乙曲との旋律の音の高さの一致の 程度は、旋律の類似例として本件の主張立証中に数多く現れている他のいかなるものと 比較しても、格段に高く、むしろ、原曲とその編曲に係るものとして公表されている楽 曲と同程度であるということは、看過することのできない一つの事情と解される。」  「次に、甲曲の表現上の本質的な特徴を基礎付ける主要な要素と解される起承転結の 構成に係る甲曲と乙曲との類似性について検討する。」  「ウ 上記のように各フレーズの最初の3音以上と末尾の音が全く同一であるという ことは、単に断片的な一部の音型が一致することを意味するにとどまらず、あるフレー ズから次のフレーズに移る楽曲としての組立て自体の看過し得ない類似性を基礎付ける ものといわなければならない。すなわち、甲曲と乙曲の旋律は、数量的に見て約72% が音の高さで一致しているにとどまらず、楽曲の旋律全体としての組立ての上で重要な 役割を担っている起承転結の連結部及び強拍部が、全フレーズにわたって、基本的に一 致しており、その結果、乙曲の[a−b−c−a′]−[a−b−c−a]の構成は、 甲曲のフレーズA〜Dから成るA−B−C−Aという起承転結の構成を2回繰り返し、 反復二部形式に変更したにとどまるといっても過言ではないほど、両者の構成は酷似し ているといわざるを得ない。そして、以上の諸要素が相まって、両曲の楽曲としての表 現上の本質的な特徴の同一性が強く基礎付けられるというべきである。」  「オ 以上検討したところを要約すると、両曲の旋律の相違部分として、最も重視さ れる点は、導音シの有無に係る上記アの相違部分であり、続いて、上行形か下行形かと いう旋律の流れの異なる上記イの相違部分が挙げられるが、その余の点は、甲曲が有し ない格別の創作的な表現を付け加えるものということができないか、新たな創作性の付 加があるとしても、その全体に与える影響は微弱なものにとどまると解される。」  「  (5) 旋律全体としての考察     以上に検討した両曲の旋律の類似点、相違点を踏まえて、ここでは、旋律とい う側面に限定しつつ、その全体的な考察を行う。    ア まず、上記(2)で述べたとおり、甲曲と乙曲は、異なる楽曲間の旋律の類似の 程度として、当初から編曲に係るものとして公表された例を除いて、他に類例を見ない ほど多くの一致する音を含む(約72%)にとどまらず、楽曲全体の旋律の構成におい て特に重要な役割を果たすと考えられる各フレーズの最初の3音以上と最後の音及び相 対的に強調され重要な役割を果たす強拍部の音が、基本的に全フレーズにわたって一致 しており、そのため、楽曲全体の起承転結の構成が酷似する結果となっている。特に、 起承転結の「転」に当たる第3フレーズから「結」の前半に当たる第4フレーズの6音 目にかけての部分を見ると、経過音レの有無とわずかな譜割りの相違という常とう的な 編曲手法に係る差異があるほか、ほとんど同一というべき旋律が22音にわたって連続 して存在し、ここだけを見ても、甲曲全体の3分の1以上(全16小節中の5.5小節) を占めている。他方で、両曲の旋律の相違部分として、導音シの有無(上記(4)ア)、上 行形か下行形かとの差異(同イ)等が認められ、このうち、特に導音シの有無の点は、 乙曲のみが有する新たな創作的な表現を含むものとして軽視することはできないものの、 量的にも、質的にも、上記の共通する旋律の組立てによってもたらされる支配的な印象 を上回るものではないというべきである。」  「ウ 以上の認定判断を総合すると、旋律に着目した全体的な検討としては、両曲は 表現上の本質的な特徴の同一性を有するものと解するのが相当である。」 ・和声について  「(3) そこで、乙曲が上記のような新たな和声表現を備えるものであることから、旋 律に着目した場合の両曲の表現上の本質的な特徴の共通性を減殺し、ひいてその同一性 を損なうこととなるかどうかという観点から更に検討するに、甲曲の楽曲としての表現 上の本質的な特徴は、主として、その簡素で親しみやすい旋律にあることは前示のとお りであり、他方、乙曲も、大衆的な唱歌に用いられる楽曲としての基本的な性格は甲曲 と同じであり、乙曲に接する一般人の受け止め方として、歌唱される旋律が主、伴奏さ れる和声は従という位置付けとなることは否定し難い。これらの点を踏まえると、和声 の相違が両曲の曲想に前述したような差異をもたらしているとはいえ、その差異も決定 的なものとはいい難く、旋律に着目した場合の両曲の表現上の本質的な特徴の共通性を 上回り、その同一性を損なうものということはできない。」 ・その他の要素 「  (1) まず、リズムに関して、甲曲が2分の2拍子、乙曲が4分の4拍子であるこ とは、別紙1、2記載の各楽譜から明らかであるが、2分の2拍子の原曲を4分の4拍 子に変更する程度のことは、演奏上のバリエーションの範囲内といえる程度の差異にす ぎないことは前述のとおりである。また、テンポについては、そもそも本件において甲 曲及び乙曲の基準となる別紙1、2記載の各楽譜に何らの指定もされていないから、こ れを判断材料とすることは相当でない。なお、実際の演奏上、甲曲が1分間に2分音符 116回、乙曲1分間に4分音符96回の速さ(I意見書、乙5)、あるいは、甲曲が 1分間に2分音符112回、乙曲が1分間に4分音符100回の速さ(P意見書、甲2 4の5)という程度の相違があるものも存在することは認められるが、他方、甲曲の楽 譜が掲載されている教科書等において、その速さを、1分間に2分音符104〜112 回(甲78、79)、同96回(甲74、75)、同88〜96回(甲76、77)な どとされているものもあることからすると、仮に、テンポの違いがあるとしても、基本 的には演奏上のバリエーションの範囲内というべき差異にすぎず、原曲の表現上の本質 的な特徴の同一性を損なうような違いであるとは到底認められない。   (2) 形式については、既に述べたとおり、甲曲が4フレーズ1コーラスをA−B− C−Aの起承転結で構成するものであるのに対し、乙曲が、おおむね[a−b−c−a′] −[a−b−c−a]という反復二部形式を採るものであるところ、両者は、むしろ4 フレーズの起承転結に係る構成の共通性にこそ顕著な類似性が認められるものであって、 これを繰り返して反復二部形式とすることは、編曲又は複製の範囲内にとどまる常とう 的な改変にすぎないというべきである。その他、両曲の楽曲としての表現上の本質的な 特徴の同一性を損なう要因は見当たらない。」 ・類似性:まとめ  「以上のとおり、乙曲は、その一部に甲曲にはない新たな創作的な表現を含むもので はあるが、旋律の相当部分は実質的に同一といい得るものである上、旋律全体の組立て に係る構成においても酷似しており、旋律の相違部分や和声その他の諸要素を総合的に 検討しても、甲曲の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものであって、乙曲 に接する者が甲曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものというべき である。」 ・まとめ  「乙曲は、既存の楽曲である甲曲に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一 性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創 作的に表現することにより創作されたものであり、これに接する者が甲曲の表現上の本 質的な特徴を直接感得することのできるものというべきである。そうすると、被控訴人 が乙曲を作曲した行為は、甲曲を原曲とする著作権法上の編曲にほかならず、その編曲 権を有する控訴人金井音楽出版の許諾のないことが明らかな本件においては、被控訴人 の上記行為は、同控訴人の編曲権を侵害するものである。    また、被控訴人が控訴人Aの意に反して甲曲を改変した乙曲を作曲した行為は、 同控訴人の同一性保持権を侵害するものであり、さらに、同控訴人が甲曲の公衆への提 供又は提示に際しその実名を著作者名として表示していることは前示のとおりであると ころ、被控訴人は、乙曲を甲曲の二次的著作物でない自らの創作に係る作品として公表 することにより、同控訴人の実名を原著作物の著作者名として表示することなく、これ を公衆に提供又は提示させているものであるから(乙曲について同控訴人の実名を原著 作物の著作者名として表示することなく公衆への提供又は提示がされていることは当事 者間に争いがない。)、この被控訴人の行為は、同控訴人の氏名表示権を侵害するもの である。」