・東京地判平成15年3月31日判時1817号84頁  錦糸眼科・ヤフー事件  原告は、E眼科という名称で全国各地において眼科を診療科目とする病院を運営する 医療法人である。被告は、インターネット上において、電子掲示板(ポータルサイト 「BJAPAN」上の「B掲示板」中の「近視治療について」と題するトピック)を、 管理・運営している者である。訴外F(以下「訴外人」という。)は、平成14年2月 16日、ハンドルネーム「ttttttyyyyyyy」を名乗り、本件電子掲示板に、 本件メッセージを書き込んだ。原告は、本件メッセージの流通により、原告の名誉、社 会的信用および営業利益が侵害されたとして、原告に対し、プロバイダー責任制限法に もとづき、発信者情報を開示するよう請求した事案。  判決は、「本件メッセージの流通により少なくとも原告の名誉が侵害されたことは明 らかというべきであり、権利侵害要件を充足するものと認めるのが相当である」、「原 告は、訴外人その他の本件メッセージの書込みに関与した者に対して損害賠償請求権を 行使するために、被告に対して本件発信者情報の開示を求めていることが認められるか ら、原告には、本件発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるものというべきで ある」として、原告の請求を認容した。 ■争 点 (1) 原告の権利侵害の明白性(争点1) (2) 開示を受けるべき正当な理由の有無(争点2) ■判決文 第2 争点に対する当裁判所の判断 1 認定事実 証拠(甲第8号証から第15号証まで)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認め られる(一部、前記争いがない事実等を含む。)。 (1) 訴外人は、平成14年2月16日、被告が管理・運営する本件電子掲示板に、本件 メッセージを書き込んだ。 (2) 被告は、訴外人の同意を得た上で、本件第2回弁論準備手続期日において、原告に 対し、訴外人の電子メールアドレスを開示した。 (3) 原告の理事長であるC(以下「C理事長」という。)は、平成14年10月26日、 訴外人に対し、本件メッセージを書き込んだ経過についての説明を求める内容の電子メ ール(甲第8号証)を送信したところ、訴外人は、同日、「あの掲示板への書き込みに とくに何らかの意志はございません。あえて挙げるならば、いたずら心です」、「しか しも悪意が無かったはいえ、矢作様をはじめとして、E眼科の皆様にご迷惑をおかけし たのは事実です。出来るうるかぎりの賠償と謝罪・訂正の文を当該掲示板に書き込むこ とをこちらでは考えております」との記載がある電子メール(甲第9号証)を返信した。 (4) 訴外人は、平成14年11月2日、原告が運営する病院を訪れ、C理事長に対し、 氏名、住所、職業(フリーター)、生年月日及び電話番号等を告げた上、「私 Fは 『B掲示板』において、E眼科を誹謗中傷する書き込みを行いました。その結果、医療 法人社団Aの理事長及び関係者の皆様方に多大なる御迷惑をお掛け致しました。ここに 深く反省し、謝罪申し上げます。又、今後一切、医療法人社団A及び関係者の皆様方に 御迷惑をお掛けすることがないことを約束致します」との記載があり、末尾に訴外人の 住所、氏名、携帯電話番号及び生年月日の記載がある謝罪文(甲第10号証)を提出し た。また、その際、訴外人は、C理事長に対し、本件メッセージを書き込んだのには、 特別な意図はなく、いたずら心からであると話した。 また、C理事長は、訴外人から、同人の両親の住所及び連絡先を聴取した。 (5) C理事長は、平成14年11月25日、訴外人の携帯電話番号に電話をかけたとこ ろ、訴外人と無関係な者がでたことから、訴外人に対する不信感を募らせ、同日、訴外 人に対して、携帯電話番号と現在の勤務先を明らかにすることを求める内容の電子メー ルを送信したところ、訴外人は、同月26日、携帯電話番号の訂正と訴外人のアルバイ ト先を記載した電子メール(甲第11号証)を返信した。 (6) 訴外人は、平成14年11月28日、C理事長に対して電話をかけ、勤務先には電 話しないよう依頼した。 (7) 矢作理事長は、訴外人に対する不信感を募らせたため、平成14年11月28日、 訴外人の両親と面会したところ、訴外人は、株式会社Gの社員であることが判明した。 株式会社Gは、原告が運営する病院と競業関係にあるHクリニックの広報を担当してお り、Hクリニックを運営する医療法人Kの理事長が代表取締役を務める株式会社である。 (8) 訴外人は、平成14年11月28日、自分が株式会社Gの社員であること、同社が Hクリニックの広報を担当していること、偵察と勉強をかねてE眼科が開催するセミナ ーに派遣されたこと、いたずら心で本件メッセージを書き込んだこと、本件メッセージ の書込みは、全く個人で行ったことであり、同社は一切関係ないこと、本件メッセージ により生じる責任はすべて自分が負うこと等を内容とする電子メール(甲第14号証) を送信し、さらに、同月29日、原告が運営する病院を訪れ、上記電子メールと同旨の 記載がある上申書(甲第15号証)をC理事長に対して提出した。 2 争点1(原告の権利侵害の明白性)について (1) 原告は、本件メッセージの流通により、原告の名誉、社会的信用及び営業利益が侵 害されたことは明らかであるから、プロバイダ責任制限法4条1項1号の要件を充足す ると主張する。  そこで、この点についてみるに、プロバイダ責任制限法4条1項1号は、同項所定の 発信者情報の開示請求の要件の一つとして、「侵害情報の流通によって当該開示の請求 をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき」と定めている(以下、この要件 を「権利侵害要件」という。)。この権利侵害要件は、発信者の有するプライバシー及 び表現の自由と被害者の権利回復の必要性との調和を図るため、その権利の侵害が「明 らか」である場合に限って発信者情報の開示請求を認めるものとしたのである。したが って、同項に基づく発信者情報開示請求訴訟においては、原告(被害者)は、この権利 侵害要件につき、当該侵害情報によりその社会的評価が低下した等の権利の侵害に係る 客観的事実はもとより、その侵害行為の違法性を阻却する事由が存在しないことについ ても主張、立証する必要があると解すべきである。  もっとも、同号の規定と不法行為の成立要件を定めた民法709条の規定とを比較す ると、同号の規定には「故意又は過失により」との不法行為の主観的要件が定められて いないことが明らかであり、また、このような主観的要件に係る阻却事由についてまで も、原告(被害者)に、その不存在についての主張、立証の負担を負わせることは相当 ではないので、原告(被害者)は、その不存在についての主張、立証をするまでの必要 性はないものと解するのが相当である。  すなわち、名誉毀損行為を理由とする不法行為については、その行為が@公共の利害 に関する事実に係り、A専ら公益を図る目的に出た場合には、B摘示された事実がその 重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為の違法性が阻却 され、不法行為は成立しないものと解されているが、発信者情報開示請求訴訟において は、権利侵害要件の充足のためには、当該侵害情報により原告(被害者)の社会的評価 が低下した等の権利の侵害に係る客観的事実のほか、当該侵害情報による侵害行為には、 上記の@からBまでの違法性阻却事由(名誉毀損行為を理由とする不法行為訴訟におい ては、上記の@からBまでの事実がすべて証明された場合に、違法性が阻却されるもの と解されている。)のうち、そのいずれかが欠けており、違法性阻却の主張が成り立た ないことについても主張、立証する必要があるものと解すべきである。しかしながら、 名誉毀損行為を理由とする不法行為訴訟においては、主観的要件に係る阻却事由として、 C摘示された事実が真実であることが証明されなくとも、その行為者においてその事実 を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、当該行為には、故意又は過失がな く、不法行為の成立が否定されると解されているが、このような主観的要件に係る阻却 事由については、発信者情報開示請求訴訟における原告(被害者)において、その不存 在についての主張、立証をするまでの必要性はないものと解すべきである。  以下、上記のような見地に立って、権利侵害要件の充足の有無について検討する。 (2) 社会的評価の低下について  前記争いがない事実等によれば、本件メッセージは、原告が運営する病院が行った治 療により平成13年に3名の患者が失明したとの事実(以下「本件事実」という。)を 摘示するものであり、これを読む者に対し、原告が運営する病院は、患者を失明させる ような危険な治療を行っているとの印象を与えるものであるから、本件メッセージは、 本件事実を摘示することにより、原告の社会的評価を低下させたものと認めるのが相当 である。 (3) 事実の公共性について  本件事実は、原告が運営する病院における治療結果に関する事実であるところ、国民 の病気治療等に重要な役割を果たしている病院における治療結果に係る事実は、公共性 の高いものであるということができるから、本件事実は、公共の利害に関する事実であ ると認められる。 (4) 目的の公益性  前記認定の本件メッセージの内容(とりわけ、「あのヤロー」との部分及び「お前の ところは、去年三人失明させてるだろうが!」との部分の表現方法)及び訴外人のC理 事長に対する電子メール等の内容(とりわけ、訴外人がいたずら心から本件メッセージ を書き込んだと述べていること)にかんがみれば、本件メッセージの書込みが専ら公益 を図る目的で行われたものではないことは明らかである。 (5) 本件メッセージの内容の真実性  甲第7号証の1、2によれば、原告が運営する病院においては、これまで1万800 0以上の症例について屈折治療を行ってきたが、失明等の問題となる合併症を起こした ことがないことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。  したがって、本件事実が真実ではないことが認められる。 (6) 以上のとおり、本件メッセージの内容は、原告の社会的評価を低下させるものであ り、かつ、本件においては、本件事実が真実ではないこと及び訴外人による本件メッセ ージの書込みが専ら公益目的を図る目的で行われたものではないこと(違法性阻却事由 が存在しないこと)が認められるから、本件メッセージの流通により少なくとも原告の 名誉が侵害されたことは明らかというべきであり、権利侵害要件を充足するものと認め るのが相当である。 3 争点2(開示を受けるべき正当な理由)について (1) 弁論の全趣旨によれば、原告は、訴外人その他の本件メッセージの書込みに関与し た者に対して損害賠償請求権を行使するために、被告に対して本件発信者情報の開示を 求めていることが認められるから、原告には、本件発信者情報の開示を受けるべき正当 な理由があるものというべきである。 (2) この点に関し、被告は、訴外人が原告に対して損害賠償及び謝罪・訂正文の掲載を 提案しているのであるから、原告には本件発信者情報の開示を受けるべき正当な理由は ないと主張する。  しかしながら、原告と訴外人との間で和解が成立して損害の賠償が行われ、原告の損 害賠償請求権が消滅した等の特段の事情が存する場合は格別、訴外人が原告に対して上 記の損害賠償等の提案を行ったとしても、今後、原告、訴外人間の交渉がまとまらず、 原告において訴訟等の法的手続をとらざるを得なくなることも十分あり得るのであるか ら、上記の訴外人の損害賠償等の提案の事実は、これをもって、原告について本件発信 者情報の開示を受けるべき正当な理由を否定するに足りるものとはいえないので、被告 の主張を採用することはできない。 (3) また、被告は、原告が既に被告から訴外人の電子メールアドレスの開示を受けてい る上、訴外人の氏名及び住所等の情報をも把握しているのであるから、原告には本件発 信者情報の開示を受けるべき正当な理由はないと主張する。  しかしながら、発信者情報開示請求訴訟において、原告(被害者)が既に発信者情報 のうちの一部の情報を把握している場合であっても、そのことによって、直ちにその余 の発信者情報についての開示を受けるべき正当な理由の存在が否定されるものではない と解すべきである。その理由は以下のとおりである。  すなわち、プロバイダ責任制限法は、同法4条1項所定の要件を充足する場合には、 特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者は、開示関係 役務提供者に対し、その保有する当該権利の侵害に係る発信者情報(氏名、住所その他 の侵害情報の発信者の特定に資する情報であって総務省令で定めるものをいう。)の開 示を請求することができる旨を定めている。ここにいう「発信者」とは、上記の開示関 係役務提供者の用いる特定電気通信設備の記録媒体に情報を記録し、又は当該特定電気 通信設備の送信装置に情報を入力した者をいうと定義されているのであるが(同法2条 4号)、具体的な事案において、「発信者」が誰であるかを特定する場合には、当該侵 害情報を流通過程に置く意思を有していた者が誰かという観点から判断すべきであり、 例えば、法人の従業員が業務上送信行為を行った場合には、当該法人が「発信者」に当 たるものと解すべきである(なお、法人の従業員(発信者)が自己の所属する法人の通 信端末を用いて業務外で侵害情報を発信した場合における当該法人の特定に資する情報 も上記の開示請求の対象となる発信者情報に該当するものと定められている。特定電気 通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律第4条第1項 の発信者情報を定める省令(平成14年総務省令第57号)1号、2号参照)。したが って、本件のように、発信者情報開示請求訴訟において、原告(被害者)が既に発信者 情報の一部を把握しており、送信行為自体を行った者が特定されているような場合であ っても、その余の発信者情報の開示を受けることにより、当該侵害情報を流通過程に置 く意思を有していた者、すなわち、当該送信行為自体を行った者以外の「発信者」の存 在が明らかになる可能性があるのであるから、原告(被害者)が当該侵害情報の「発信 者」を特定し、その者に対して損害賠償請求権を行使するためには、上記の総務省令が 定めるすべての発信者情報の開示を受けるべき必要性があるものというべきである。  以上の理由により、発信者情報開示請求訴訟においては、原告(被害者)が発信者情 報の一部を既に把握している場合であっても、そのことにより、その余の発信者情報の 開示を受けるべき正当な理由の存在が否定されるものと解することはできない。  したがって、本件において、原告が既に訴外人の氏名及び住所等の情報を把握してい るとしても、そのことにより、本件発信者情報の開示を受けるべき正当な理由の存在が 否定されるものではないから、被告の上記主張を採用することはできない。 4 以上のとおり、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき 民訴法61条を適用して、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第6部 裁判長裁判官 高橋 利文    裁判官 齊藤 顕    裁判官 世森 亮次 (別 紙) 発信者情報目録 1 別紙メッセージ目録記載のメッセージ(以下「本件メッセージ」という。)に係る IPアドレス(インターネットに接続された個々の電気通信設備を識別するために割り 当てられる番号) 2 前項のIPアドレスを割り当てられた電気通信設備から被告の用いる電気通信設備 に本件メッセージが送信された年月日及び時刻 (別 紙) 電子掲示板目録  ポータルサイト「BJAPAN」上の「B掲示板」中の「近視治療について」と題す るトピック (別 紙) メッセージ目録 E眼科のセミナーいってきた 投稿者 ttttttyyyyyyy 2002年2月16日 午後11時51分 あのヤロー他院の批判ばかりだよ。 Mが裁判かかえてるて お前のところは、去年三人失明させてるだろうが!