・東京地判平成16年1月30日  日亜化学職務発明事件:終局判決  原告Nは、被告会社(日亜化学工業株式会社)の元従業員であり(現在、米国カリフォ ルニア大学サンタバーバラ校教授)、被告会社在職中に窒化物半導体結晶膜の成長方法の 発明をした。この発明は、平成2年10月25日、被告会社により特許出願され、平成9 年4月18日、発明者を原告、権利者を被告会社として設定登録された(「窒素化合物半 導体結晶膜の成長方法」(特許第2628404号))。  原告は、本件特許発明についての特許を受ける権利は、同発明の完成と同時に発明者で ある原告に原始的に帰属し、現在に至るまで被告に承継されていないと主張して、被告に 対し、主位的に、一部請求として本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるとと もに、被告が本件特許権を過去に使用して得た利益を不当利得であるとして、その一部で ある1億円の返還及び遅延損害金の支払を求めている。  原告は、予備的に、仮に本件特許を受ける権利が職務発明として被告に承継されている 場合には、特許法35条3項に基づき、発明の相当対価の一部請求として、本件特許権の 一部(共有持分)の移転登録並びに1億円及び遅延損害金の支払を求めると主張している。  また、仮に、特許法35条3項に基づく対価請求として、特許権の一部(共有持分)の 移転登録を求めることが許されない場合には、同項に基づき、発明の相当対価の一部請求 として、200億円及び遅延損害金の支払を求めると主張している。  中間判決は、主位的請求につき、本件特許を受ける権利が被告会社に承継された旨の被 告の主張は理由があるとした。  原告は、予備的請求(その2)の請求額を、平成15年6月17日に50億円に、同月 19日に100億円に拡張し、さらに同年9月19日に200億円に拡張した。  判決は、「使用者が当該発明に関する権利を承継することによって受けるべき利益(同 法35条4項)とは、当該発明を実施して得られる利益ではなく、特許権の取得により当 該発明を実施する権利を独占することによって得られる利益(独占の利益)と解するのが 相当である。ここでいう独占の利益とは、@ 使用者が当該特許発明の実施を他社に許諾 している場合には、それによって得られる実施料収入がこれに該当するが、A 他社に実 施許諾していない場合には、特許権の効力として他社に当該特許発明の実施を禁止したこ とに基づいて使用者があげた利益がこれに該当するというべきである」としたうえで、 「本件特許を受ける権利の譲渡に対する相当対価の額(特許法35条4項)は、被告会社 の独占の利益1208億6012万円(前記5において算定した実施料合計額)に発明者 の貢献度50%を乗じた604億3006万円(ただし、1万円未満切り捨て)となる」 と述べて、一部請求された200億円の支払請求を認容した。 (中間判決:東京地判平成14年9月19日) ■判決文 第四 当裁判所の判断 一 主位的請求についての判断  第一、一の主位的請求に対する当裁判所の判断は、中間判決「事実及び理由」欄の第4 記載のとおりである。  すなわち、本件特許発明は職務発明に該当すると認められるところ、同発明がされた当 時、被告社規が特許法35条にいう「勤務規則その他の定」に該当するものとして存在し たほか、遅くとも同発明がされる前までには、従業者と被告会社との間で、職務発明につ いては被告会社が特許を受ける権利を承継する旨の黙示の合意が成立していたと認められ る。また、本件特許発明の特許を受ける権利については、原告と被告会社の間で、これを 被告会社に譲渡する旨の個別の譲渡契約も成立していたと認められる。したがって、本件 特許発明の特許を受ける権利は、特許法35条に基づき、発明者である原告から被告会社 に承継されたものであるから、上記権利が原告に原始的に帰属したまま、被告会社に承継 されていないことを前提とする原告の主位的請求には理由がない。 二 予備的請求についての判断  1 はじめに  (1) 相当対価の算定方法について  従業者によって職務発明がされた場合、使用者は無償の通常実施権(特許法35条1項) を取得する。したがって、使用者が当該発明に関する権利を承継することによって受ける べき利益(同法35条4項)とは、当該発明を実施して得られる利益ではなく、特許権の 取得により当該発明を実施する権利を独占することによって得られる利益(独占の利益) と解するのが相当である。ここでいう独占の利益とは、@ 使用者が当該特許発明の実施 を他社に許諾している場合には、それによって得られる実施料収入がこれに該当するが、 A 他社に実施許諾していない場合には、特許権の効力として他社に当該特許発明の実施 を禁止したことに基づいて使用者があげた利益がこれに該当するというべきである。後者 (上記A)においては、例えば、使用者が当該発明を実施した製品を製造販売している場 合には、他社に対する禁止の効果として、他社に実施許諾していた場合に予想される売上 高と比較して、これを上回る売上高(以下「超過売上高」という。)を得ているとすれば、 超過売上高に基づく収益がこれに当たるものというべきである。また、使用者が当該発明 自体を実施していないとしても、他社に対して当該発明の実施を禁止した効果として、当 該発明の代替技術を実施した製品の販売について使用者が市場において優位な立場を獲得 しているなら、それによる超過売上高に基づく利益は、上記独占の利益に該当するものと いうことができる。B 他社に実施許諾していない場合については、このほか、仮に他社 に実施許諾した場合を想定して、その場合に得られる実施料収入として、独占の利益を算 定することも考えられる。  このようにして、使用者が特許権の取得により当該発明を実施する権利を独占すること によって得られる利益(独占の利益)を認定した場合、次に、当該発明がされる経緯にお いて発明者が果たした役割を、使用者との関係での貢献度として数値化して認定し、これ を独占の利益に乗じて、職務発明の相当対価の額を算定することとなる。  特許権は、その存続期間を通じて特許発明の実施を独占することのできる権利であるか ら、上記の独占の利益も、また、特許権の存続期間満了までの間に使用者があげる超過売 上高に基づく利益を指すものである。当該利益の認定に当たって、事実審口頭弁論終結時 までに生じた一切の事情を斟酌することができるのは、当然である。  そして、勤務規則等に職務発明の対価の支払時期が定められている場合には、特段の事 情のない限り、相当対価は当該支払時期を基準として算定された額であることが予定され ているものと解されるから、特許権の存続期間を通じて算定される上記の独占の利益は、 中間利息を控除して当該支払時期の時点における金額として算定するのが相当である。  (2) 本件における検討  本件特許発明については、当事者間において、被告会社が他社に実施許諾していないと いう点につき争いがないので、当裁判所としても、これを前提として判断する。  被告会社は、本件特許発明がされた後、本件特許発明に不活性ガスの所定の圧力に関す るノウハウを付加した被告当初方法により青色LEDの製品化を行ったが、その後、被告 当初方法から被告現方法への切り替えを進め、平成9年4月15日以後は、被告現方法を 実施して、高輝度青色LED及びLDを製造している(このことは、当事者間に争いがな い。)。  そこで、本件特許権により競業他社に対して本件特許発明の実施を禁止していることに より、被告会社が、高輝度青色LED及びLDの製造販売において、市場において優位な 立場を獲得し、これによる超過売上高を得ているかどうかが問題となる。  この点を判断するためには、本件特許発明と被告現方法との関係、高輝度青色LED及 びLDの製造に当たって本件特許発明が果たす役割等を、検討する必要がある。  そこで、まず、本件特許発明と被告現方法との関係を検討し、次に、本件特許発明の内 容と高輝度青色LED及びLDの製造に当たって本件特許発明が果たす役割等について検 討する。  2 本件特許発明と被告現方法  (1) 被告は、被告当初方法については本件特許発明に不活性ガスの所定の圧力に関する ノウハウを付加したものであって、本件特許発明の改良発明に属するとして、本件特許発 明の技術的範囲に属することを争わないが、被告現方法については、本件特許発明とは別 個の技術思想に基づく発明であるとして、本件特許発明の技術的範囲に属することを争っ ている。  しかしながら、当裁判所は、被告現方法は本件特許発明の構成要件をすべて充足し、そ の技術的範囲に属するものと判断する。その理由は、別紙「被告現方法についての当裁判 所の判断」記載のとおりである。被告の主張するところは、要するに、ノウハウに係る部 分の構成が付加されているから、被告現方法は、本件特許発明とは技術思想を異にする全 く別個の発明であるということに尽きるものであるが、被告現方法は、本件特許発明の技 術的原理を前提として、その作用効果を高めるために実施態様を工夫したか、せいぜい改 良発明としての意味を持つものでしかない。被告の主張は、採用できない。  (2) なお、上記のとおり、当裁判所は、被告現方法は本件特許発明の技術的範囲に属す ると判断するものであるが、特許権侵害訴訟と異なり、本件のような職務発明の相当対価 請求訴訟においては、上記の点は、必ずしも相当対価の算定に当たり結論に影響を与える ものではない。すなわち、仮に、本件特許発明の各構成要件の文言を狭義に解釈して、被 告現方法は文言上本件特許発明の技術的範囲に属しないとし、また、被告現方法と本件特 許発明の相違部分につき当業者が容易に想到することができないとして均等の成立も否定 する立場をとるとしても、別紙「被告現方法についての当裁判所の判断」記載の理由によ れば、被告現方法が本件特許発明を基本的原理として利用した技術であることは明らかで ある。そして、後記のとおり(後記3、4参照)、本件特許発明が、高輝度青色LED及 びLDの製造のためのGaN系半導体結晶膜を成長させるに当たって決定的な役割を果た す技術であることに照らせば、競業他社に対して本件特許発明の実施を禁止することによ り、被告会社が高輝度青色LED及びLDの市場において競業他社に対して優位な立場を 獲得していることは、優に認められるところである。そうすると、仮に被告現方法が厳密 には本件特許発明の技術的範囲に属しないとしても、被告会社が高輝度青色LED及びL Dの市場における優位な立場を通じて得ている超過売上高は、いずれにせよ、本件特許権 の取得により本件特許発明を実施する権利を独占することによって得られる利益(独占の 利益)と認定すべきものだからである。  3 本件特許発明の内容等について 《中 略》  4 高輝度青色LED及びLDの製造における本件特許発明の位置付け 《中 略》 5 独占の利益の算定 《中 略》 6 発明者の貢献度  そこで、次に本件特許発明における発明者(原告)の貢献度を検討する。  (1) 前記の前提となる事実(第二、三)記載の事実に証拠(原告本人、甲4、21〜2 3、51〜57、92〜96、104〜105、121)及び弁論の全趣旨を総合すれば、 次の各事実が認められる。  @ 昭和54年の原告の就職当時、被告会社は蛍光体等の製造販売を主たる業務とする 会社であり、原告は、就職間もないころから約10年間、赤色LED等の原料となるGa メタルの精製、GaP及びGaAsの製造開発、さらには液相エピタキシャルによるGa AlAs結晶膜の成長に取り組み、半導体に関する基礎工業技術を身に付けた。これらの 技術は、既に製品化され、市場が形成されていた赤外ないし赤色LEDの原材料を供給す る事業に関するものであった。  A 被告会社においては、当時、赤色LEDの原材料精製等に関する技術の蓄積が多少 あったものの、青色LED開発に必要な技術の蓄積は全くなかった。したがって、被告会 社としては、既に実用化されていた赤色LEDはともかくとして、青色LEDの開発を手 がけることは、到底考えられない状況にあった。  B そのような状況の下、原告は、次の研究開発のテーマとして、自ら青色LEDを選 択し、被告会社の経営陣に働きかけて、青色LEDの半導体結晶膜を成長させる方法とし て、上記液相エピタキシャルと異なる有機金属気相成長法(MOCVD)を新たに学ぶた め、被告会社の費用で米国フロリダ州立大学に約1年間留学した。  C 当時、青色LEDは、夢の技術といわれ、世界中の大企業や研究機関がしのぎを削 って研究開発に取り組んでいたが、20世紀中の開発は不可能とまで言われていた。青色 LEDについては、そもそも半導体結晶膜の素材としてどの物質を選ぶかという点から各 研究機関において模索中であり、セレン化亜鉛(ZeSe)、炭化珪素(SiC)及び窒 化ガリウム(GaN)等が研究対象とされていたが、世界の趨勢はZeSeを本命視する 方向にあった。GaNについては、いわゆる格子整合性に難点があって、そもそも実用化 に耐え得る結晶膜の成長が難しいとされており、当時、日本国内でこれに取り組む有力な 研究グループとしては、名古屋大学名誉教授のA博士らが挙げられる程度であった。  しかるに、原告は、上記留学を終える前後ころ、あえてGaNを素材に選択することを 決意した。  D 原告は、平成元年4月ころに留学から帰国した後、被告会社の費用(約1億390 0万円)で購入した市販のMOCVD装置を用いて、GaN系半導体結晶膜の成長に取り 組み始めた。  しかし、MOCVD自体が非常に精密な技術であり、わずかな実験条件の違いで結晶膜 の成長が左右され、満足のいく質の結晶膜を成長させるのは容易なことではなかった。  そこで、原告は、製品化に耐え得る質の結晶膜を成長させるべく、自らガス配管や加熱 器(ヒーター)を改造するなどの工夫をしながら、試行錯誤を重ねた。  E この間、原告は、新入社員であったFやBを補助に付けてもらったほかは、独力で 開発を進めていたものであるが、平成2年9月ころ、本件特許発明をした。  (2) 上記の各事実に照らすと、被告会社には、赤色LEDの原材料精製等に関する技術 の蓄積が多少あったものの、青色LED開発に必要な技術の蓄積は全くなかったところ、 原告が、研究開発テーマとして青色LEDを選んだ上、その素材としてGaN系化合物を、 さらにその結晶膜の成長法としてMOCVDをそれぞれ選択して、独力でMOCVD装置 の改良を重ね、本件特許発明をするに至ったものということができる。  他方、本件特許発明が発明される経緯において被告会社の行った具体的な貢献としては、 原告の米国留学費用を負担したこと、市販MOCVD装置購入を含む3億円余の初期設備 投資の費用(乙76の1〜17)を負担したこと、原告による青色LEDの研究開発期間 中、実験研究開発コストを負担したこと、直ちに利益をもたらす見込みのつかない青色L EDの研究に没頭する原告に対し、結果として会社の実験施設等を自由に使用することを 容認し、補助人員を提供したことなどが挙げられる。  上記によれば、競業会社である豊田合成やクリー社が青色LEDの分野において先行す る研究に基づく技術情報の蓄積や研究部門における豊富な人的スタッフを備えていたのに 対して、被告会社においては青色LEDに関する技術情報の蓄積も、研究面において原告 を指導ないし援助する人的スタッフもない状況にあったなか、原告は、独力で、全く独自 の発想に基づいて本件特許発明を発明したということができる。本件は、当該分野におけ る先行研究に基づいて高度な技術情報を蓄積し、人的にも物的にも豊富な陣容の研究部門 を備えた大企業において、他の技術者の高度な知見ないし実験能力に基づく指導や援助に 支えられて発明をしたような事例とは全く異なり、小企業の貧弱な研究環境の下で、従業 員発明者が個人的能力と独創的な発想により、競業会社をはじめとする世界中の研究機関 に先んじて、産業界待望の世界的発明をなしとげたという、職務発明としては全く稀有な 事例である。このような本件の特殊事情にかんがみれば、本件特許発明について、発明者 である原告の貢献度は、少なくとも50%を下回らないというべきである。  (3) この点について、被告は、本件特許発明の直接のきっかけとなったMOCVD装置 の購入は、被告会社の開発方針に基づくものであり、原告はその方針に従い米国に派遣さ れたにすぎないなどと主張する(第三、二2(1)エ)。  しかしながら、MOCVD装置の購入を被告会社に働きかけたことをはじめ、一貫して 原告が主体的に行動を選択し、その発意を被告会社が容認ないし追認する形で本件特許発 明がされたことは、前記認定のとおりである。  被告の主張するところは、原告の働きかけとは関係なく、被告会社が自ら青色LEDを 研究開発する方針を立て、その方針に従って原告を米国に派遣したというものであるが、 これを裏付けるに足りる客観的証拠は全く存在しない。かえって、前掲各証拠によれば、 原告がGaN系半導体結晶膜の成長方法の開発に取り組んでいたさなかの平成2年3月末 に、訴外松下電器産業株式会社のHの示唆から、被告会社の経営陣が、原告に対して携帯 電話のHEMT(高速電子移動トランジスタ)用のGaAs(ガリウム砒素)の開発製造 を命じたのに対し、原告が、当時被告会社に1台しかなかったMOCVD装置をGaAs 結晶膜の成長に用いると、GaN結晶膜の成長方法の開発は断念せざるを得ないと考え、 被告会社の指示に反してGaN結晶膜の成長方法の研究開発を続行した事実が認められる ものであり、この事実に照らしても、被告の主張が採用できないことは明らかである。  また、被告は、平成元年にMOCVD装置の購入に約1億3900万円を費やし、平成 2年には1枚3万円強のサファイヤ基板を毎日のように費消する実験研究開発コストを負 担したなど、当時の被告会社の規模(平成元年度の経常利益11億3000万円)からす れば莫大な投資をしたなどと被告会社の貢献度を強調するが、発明に対する使用者会社の 貢献度とは、当該発明がされるに当たって人的物的面で客観的に寄与した内容により判断 されるものであって、当該寄与が使用者会社の規模に照らしてどれほどの負担かといった、 いわば使用者の主観的な側面が考慮されるものではない。  さらに、被告は、本件特許発明の特許出願後、設定登録に至る間に被告会社特許部が努 力をしたことや、本件特許発明の事業化に原告が関与しなかったことなどを指摘するが、 発明がされた後のこれらの事情は、そもそも使用者会社の貢献度として考慮される事情に 当たらない(仮にこの点をおくとしても、本件特許権が設定登録され、特許異議に対して 維持された経緯をみても、その手続における被告会社の対応は、出願人として通常の範囲 の対応であるし、青色LEDが産業界において待望されていた技術であることに照らせば、 本件特許発明の事業化は、いわば成功が保証されていたものであって、事業化に特段のリ スク等が存在したものでもない。被告の主張は、この点からも失当である。)。 7 本件特許発明の職務発明についての相当対価  そうすると、本件特許を受ける権利の譲渡に対する相当対価の額(特許法35条4項) は、被告会社の独占の利益1208億6012万円(前記5において算定した実施料合計 額)に発明者の貢献度50%を乗じた604億3006万円(ただし、1万円未満切り捨 て)となる。  1208億6012万(円)×0.5=604億3006万(円) 8 消滅時効の主張について 9 予備的請求(その1)について  原告は、予備的請求(その1)において、職務発明の相当対価請求権を定めた特許法3 5条3項に基づき本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるとしている。  しかしながら、特許法35条3項は「相当の対価」と規定しているところ、「対価」と は譲渡の目的物とは別個のものを反対給付することを意味するものである。特許権は、特 許を受ける権利がその目的を達して変容したものであり、実質上両者は同一と評価される ものであるから、特許を受ける権利を譲渡した対価として特許権の一部を移転するという ことは、譲渡の目的物の一部を対価として支払うということになり、文言上背理となる。 また、特許法35条は、使用者が特許を受ける権利又は特許権の全部を使用者に承継させ ることを予定した規定というべきである。すなわち、特許が従業者と共有となる場合には、 使用者は、従業者の同意を得なければ専用実施権の設定や通常実施権の許諾をすることが できず、また、従業者は使用者の同意を得ないで特許発明の実施をすることができること になるから(特許法73条参照)、使用者は特許発明を独占的に実施することができない ことになるが、特許法35条の規定が職務発明についてこのような結果を予定していると は到底解することはできない。したがって、特許法35条に基づき本件特許権の一部(共 有持分)の移転登録を求めるという点は、失当である。  また、原告の本件特許権の一部(共有持分)の移転登録請求が代物弁済として金員に代 わって本件特許権の一部(共有持分)の譲渡を求める趣旨であるとしても、債権者が、債 務者の同意なしに、一方的に代物弁済として特定の財物の給付を求めることは許されない から、いずれにしても、本件特許権の一部(共有持分)の移転登録請求は、失当である。  上記のとおり、原告の予備的請求(その1)は、理由がない。 三 結論  以上によれば、原告の主位的請求(前記第一、一)及び予備的請求(その1)(前記第 一、二)は、いずれも理由がない。  しかし、前記のとおり、原告は被告会社に対し本件特許発明についての職務発明の相当 対価として604億3006万円の請求権を有するものであり、相当対価の支払について は勤務規則等の定めによる支払時期から履行遅滞となるものであるから、本件特許発明の 相当対価の一部として200億円及びこれに対する支払時期以降の日である平成13年8 月23日(訴訟提起の日)から支払済みまでの民法所定の年5分の割合による遅延損害金 の支払を求める予備的請求(その2)は、理由がある。  なお、原告は、予備的請求(その2)につき、本件特許発明の相当対価のうち、被告会 社が過去に独占の利益として得た493億9000万円に対応する相当対価を一部請求と し、そのうち200億円を請求すると主張した上で、このような過去の受益分という形で の限定が法律上できないのであれば、被告会社が本件特許権の存続期間満了までの独占の 利益として得る過去及び将来の受益分に対応する相当対価全体3357億5300万円の うち、一部請求として200億円を請求すると主張している(第三、二1(6)イ)。職務発 明の相当対価請求権は、全体として1個の請求権として発生するものであり、そのうち一 定の期間の受益分のみを区別することはできないから、過去の受益分に相当するものとし て一部請求したとしても、それは請求権の一部を特定する意味を有するものではなく、単 に、単純一部請求として請求金額を画する意味を有するにすぎない。したがって、予備的 請求(その2)は単純一部請求として相当対価全体のうち200億円の支払を請求するも のと解すべきものである。  よって、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第46部 裁判長裁判官 三村 量一  裁判官 青木 孝之  裁判官 吉川 泉