・東京地判平成16年5月31日 「XO醤男と杏仁女」事件:第一審  本件は、Aの相続人である原告らが、被告らに対し、被告Eが被告小説を執筆し被告会 社が被告小説を出版等した行為につき、@ 上記行為がAの有していた本件詩に対する著 作権(翻訳権)を侵害すると主張して、著作権に基づく被告小説の印刷、製本、販売及び 頒布の差止め並びに不法行為に基づく損害賠償を請求し、A 上記行為がAの有していた 本件詩に対する著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害すると主張して、著 作権法116条に基づく被告小説の印刷、製本、販売及び頒布の差止め、謝罪広告並びに 不法行為に基づく損害賠償を請求するとともに、B 上記行為がAの名誉を毀損すると主 張して、不法行為に基づく損害賠償を請求する事案である。なお、原告らは、我が国にお ける著作権、著作者人格権及び名誉を問題とするものである。  判決は、著作権および著作者人格権に基づく差止および損害賠償等の請求を認容した。 (控訴審:東京高判平成16年12月9日) ■争 点 (1) 著作権侵害の成否  ア Aは被告Eに対し本件詩の翻訳文を被告小説に掲載することを許諾したか  イ 被告Eが本件詩の翻訳文を被告小説に掲載した行為は、著作権法32条1項の引用 に当たるか (2) 著作者人格権侵害の成否  ア 氏名表示権侵害の成否  イ 同一性保持権侵害の成否  ウ 著作権法60条該当性 (3) 名誉毀損の成否 (4) 損害の発生及び数額 (5) 謝罪広告の要否 ■判決文 第4 当裁判所の判断 1 準拠法について  我が国及び中国は、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約(昭和50年条 約第4号。以下「ベルヌ条約」という。)の同盟国であるところ、本件詩は、中国人であ るAが著作者であり、中国において最初に発行された著作物であるから、中国を本国とし、 中国の法令の定めるところにより保護されるとともに(ベルヌ条約2条(1)、3条(1)、5 条(3)(4))、我が国においても、我が国の著作権法による保護を受ける(著作権法6条3 号、ベルヌ条約5条(1))。そこで、本件各請求がいずれの国の法律を準拠法とするのか について検討する。  (1) まず、著作権に基づく差止請求は、著作権の排他的効力に基づく、著作権を保全 するための救済方法というべきであるから、その法律関係の性質を著作権を保全するため の救済方法と決定すべきである。著作権を保全するための救済方法の準拠法に関しては、 ベルヌ条約5条(2)により、保護が要求される国の法令の定めるところによると解するの が相当である。本件において保護が要求される国は、我が国であり、上記差止請求につい ては、我が国の法律を準拠法とすべきである。  著作権侵害を理由とする損害賠償請求の法律関係の性質は、不法行為であり、その準拠 法については、法例11条1項によるべきである。上記損害賠償請求について、法例11 条1項にいう「原因タル事実ノ発生シタル地」は、被告小説の印刷及び頒布行為が行われ たのが我が国であること並びに我が国における著作権の侵害による損害が問題とされてい ることに照らし、我が国と解すべきである。よって、同請求については、我が国の法律を 準拠法とすべきである。  (2) 次に、著作者の死後における人格的利益の保護のための差止請求及び謝罪広告請 求は、著作者の人格的利益すなわち著作者の権利を保全するための救済方法というべきで あるから、その法律関係の性質を著作者の権利を保全するための救済方法と決定すべきで ある。著作者の権利を保全するための救済方法の準拠法に関しては、ベルヌ条約6条の2 (3)により、保護が要求される国の法令の定めるところによると解するのが相当である。 本件において保護が要求される国は、我が国であり、上記差止請求及び謝罪広告請求につ いては、我が国の法律を準拠法とすべきである。なお、ベルヌ条約6条の2(2)により、 上記請求権を行使すべき者も、保護が要求される国である我が国の法律によって定められ る。  著作者人格権侵害を理由とする損害賠償請求の法律関係の性質は、不法行為であり、そ の準拠法については、法例11条1項によるべきである。上記損害賠償請求について、法 例11条1項にいう「原因タル事実ノ発生シタル地」は、被告小説の印刷及び頒布行為が 行われたのが我が国であること並びに我が国における著作者人格権の侵害が問題とされて いることに照らし、我が国と解すべきである。よって、同請求については、我が国の法律 を準拠法とすべきである。  (3) さらに、名誉毀損を理由とする損害賠償請求の法律関係の性質は、不法行為であ り、その準拠法については、法例11条1項によるべきである。上記請求について、法例 11条1項にいう「原因タル事実ノ発生シタル地」は、被告小説の印刷が行われたのが我 が国であること、被告小説が日本語で書かれ、我が国において頒布されたことによる我が 国における名誉の毀損が問題となっていることに照らし、我が国と解すべきである。よっ て、同請求については、我が国の法律を準拠法とすべきである。  (4) 他方、Aの死亡による相続関係については、法例26条により、被相続人の本国 である中国法による。 2 認定事実  前記争いのない事実並びに証拠(甲1ないし10、28、乙4の1及び2)及び弁論の 全趣旨によれば、次の事実が認められる。  (1) 当事者  ア Aは、中国厦門市出身の詩人であり、作曲家でもあり、多くの新聞や雑誌に1万点 近くの詩、小説、エッセイ等を発表し、出版した著作も多くあり、その作品が「1989  中国杯」全国青年詩大賞コンクールにおいて一等賞を受賞したり(甲3)、第1回中国 福建省優秀作詞一等賞を受賞する(甲5)等、中国において著名な人物であった。  Aは、平成6年8月、本件詩@ないしHを含む121点を収録した詩集「南国文学徳彪 西的月亮」(南国文学ノート ドビュッシの月様。甲1、28)を中国の鷺江出版社から 出版した。上記詩集中の作品の多くは受賞作品であり、上記詩集は、中国厦門市図書館に おいて永久的な所蔵品として陳列されている(甲6)。  Aは、本件訴訟提起後の平成14年12月31日に死亡し、Aの両親及び子である原告 らがその相続人である。  イ Gは、中国厦門市出身であり、Aの弟である。同人は、教育関係の仕事に従事して おり、以前東京都中野区において被告Eと同じ職場で働いていたことがあり、また同被告 と交際していたことがあった。  ウ 被告Eは、中国厦門市出身の女性であり、東京都中野区においてアパレル関係の仕 事に従事している在日中国人である。なお、同被告は日本人の男性と結婚している。  (2) 被告らの行為  被告Eは、同被告とGとの関係を素材として、被告小説を執筆し、被告会社がこれを出 版した(甲8)。被告小説は本体価格1400円で、被告会社は3000部印刷した。  (3) 被告小説の内容等  被告小説は、「プロローグ」「春」「夏」「秋」「冬」「エピローグ」から構成され、 合計253頁ある。  被告小説の帯紙には、「中国から来た男と女のちょっと哀しいラブストーリー」との見 出しの下に「舞台は東京、上海、北京、杭州、蕪湖、厦門、そして夢の島、鼓浪嶼。現代 の日本に生きる中国人のスキャンダラスな恋と冒険の物語。」と記載されている(甲8)。  被告小説は、被告EとGとの関係を素材としたモデル小説である。すなわち、被告Eは、 被告小説において、自らをモデルとした主人公である小悦(日本名山本悦子)を登場させ るとともに、Gをモデルとする古林なる人物を登場させているところ、その内容の概略は 次のとおりである。  被告小説の主人公は、中国厦門市鼓浪嶼出身の在日中国人企業家小悦であり、小悦は日 本で服飾の専門学校を卒業後、就職した商社をリストラされる等の苦労を経て日本におい てアパレル会社を設立し、中国と日本で生産・販売関係を結び商売を成功させた。私生活 では70歳過ぎの日本人大学教授と結婚し、平凡な生活を送っていた。そんな時、中国厦 門市出身の年下の男性古林と知り合い、やがて古林が小悦のオフィスに出入りする等2人 は交際するようになった。古林は、理事長の肩書きで日本の地方大学に中国からの留学生 を斡旋して、そのリベートで収入を得ていた。古林は、小悦に服や調度品、外国車を買わ せたりして金を使わせる等小悦を利用し、小悦は献身を尽くしたが、やがて2人は衝突を 繰り返すようになり、古林が上海に帰ることで別れることとなった。その後、小悦は、古 林の子を身籠もり、男子を出産したというものである。そして、被告小説の中では、中国 厦門市鼓浪嶼出身の古林の兄の古森が、被告小説に引用される本件詩を著作した現代中国 詩人として登場する。  (4) 被告小説における古森に関する表現内容  被告小説において、古森に関しては、別紙6「古森」に関する表現内容記載の表現があ る。  (5) 本件詩の掲載態様  ア 本件詩は、被告小説の9箇所において、合計20頁にわたり、それぞれその全文の 翻訳が掲載されている。すなわち、@ 本件詩@は、5頁から7頁(プロローグ)に、A  本件詩Aは、31頁から32頁(春)に、B 本件詩Bは、69頁から70頁(春)に、 C 本件詩Cは、84頁から85頁(夏)に、D 本件詩Dは、93頁から94頁(夏) に、E 本件詩Eは、131頁から132頁(夏)に、F 本件詩Fは、150頁から1 52頁(夏)に、G 本件詩Gは、242頁から243頁(冬)に、H 本件詩Hは、2 52頁から253頁(エピローグ)に、それぞれ掲載されている。  イ 本件詩の翻訳は、本文との間に行間を開け、本文よりやや小さく本文とは異なる字 体で記載されている。  ウ 被告小説の末尾には、「本文中引用の詩」について、A著「南国文学『徳彪西的月 亮』」(鷺江出版社)よりとして、本件詩の各題号が記載され、その翻訳は被告小説の作 者であるFが行ったことが記載されている。  エ 被告小説において、本件詩@ないしDは、いずれも主人公の小悦が「南国文学ノー ト」と題された詩集に収録されている詩を読むという設定の下に主人公の小悦の心情を描 写するために使用されており、本文中のストーリーの一部を構成している。本件詩Fは、 「古森の詩」として掲載され、本文中のストーリーの一部を構成している。その余の本件 詩E、G及びHは、そのような設定ではなく、本文中には何らの出典等の記載もなく、主 人公の小悦の心情を描写し、本文中のストーリーの一部を構成している。  オ 被告小説においては、本件詩@の著者は「私と同郷で厦門鼓浪嶼出身の中国詩人」 とされ、本件詩C及びFの著者は「古林の兄の古森」とされている。  カ 被告小説において、本件詩A、C、E、G及びHについては、題号を省略して利用 されている。その余の本件詩@、B、D及びFについては、題号は本文中に記載され、詩 と同じ位置に同じ字体で記載されているわけではない。 3 争点(1)ア(Aの許諾の有無)について  被告らは、被告Eが、平成11年6月、中国のA宅において、Aに対して「詩人の本件 詩を翻訳して日本人にも紹介したいのですが、よろしいでしょうか。」などと述べたのに 対し、Aが、被告Eに対し、「僕にとって夢みたいな話です。Fさんならきっとできるで しょう。どうぞよろしくお願いします。」等と述べたとして、Aから許諾を受けたと主張 する。  しかしながら、上記主張を認めるに足りる証拠はなく、かえって、証拠(甲9)によれ ば、Aが生前被告小説において本件詩が無断で使用された旨の陳述書を作成していること が認められる。また、仮に、Aと被告Eとの間で上記やりとりがあったとしても、Aの言 動は被告Eが本件詩を翻訳したものを日本において紹介することを許諾したにとどまり、 それを被告小説に掲載することをも許諾したと認めるに足りない。  よって、被告らの上記主張は理由がない。 4 争点(1)イ(著作権法32条1項所定の引用に当たるか)について  (1) 公表された著作物を引用して利用することが許容されるためには、その引用が公 正な慣行に合致し、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行わな ければならない(著作権法32条1項)。そして、ここでいう「引用」とは、自己の著作 物中に、他人の著作物の原則として一部を採録するものであり、引用を含む著作物の表現 形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区 別して認識することができ、かつ、上記両著作物の間に、前者が主、後者が従の関係があ ると認められる場合をいうと解すべきである(最高裁昭和51年(オ)第923号同55年 3月28日第三小法廷判決・民集34巻3号244頁参照)。  (2) これを本件について見るに、@ 利用されたのは中国語で書かれた本件詩9編全 文であり、これが日本語に翻訳され、利用したのは日本語で書かれたモデル小説であるこ と、A 本件詩の翻訳は、表現形式上は、被告小説の本文と区別して行間を開けた上、本 文と異なる字体で記載され、被告小説の巻末に、利用された本件詩の出所が明示されてい るが、本件詩の一部においてはその題号が巻末以外には掲載されていないし、題号が掲載 されているものも本文中に記載されており、本件詩と同じ位置に同じ字体で記載されてい るわけではないこと、B 本件詩は、被告小説において、主人公小悦が「南国文学ノート」 と題された詩集に収録されている詩を読むという設定の下に小悦の心情を描写するために 利用されたものと、本文中には何の出典もなく単に主人公小悦の心情を描写するために利 用されたものとがあるが、いずれも本文中のストーリーの一部を構成していること、C  被告小説における本件詩の利用目的は、それを批評したり研究したりするためではなく、 本文中においてある場面における主人公小悦の心情を描写するためであることは、前記2 で認定したとおりである。そして、これらの事情に、当該場面において当該心情を描写す るために必ずしも本件詩を利用する以外の方法がないわけではないことを併せ考慮すれば、 本件においてその引用が公正な慣行に合致し、かつ、引用の目的上正当な範囲内で行われ たものということはできず、被告小説における本件詩の利用は、著作権法32条1項所定 の引用に当たるということはできないと解される。  (3) 被告らは、いわゆる「取込型」の場合も、(ア) 引用する側の著作物の表現の目 的上、他の代替措置によることができないという必然性があること、(イ) 必要最小限の 引用に止まっていること、(ウ) 著作権者に与える経済的な不利益が僅少なものに止まる こと、の3つの要件を充足すれば、適法な「引用」として認める余地があると主張する。  しかしながら、仮に、上記の各要件を充たせば適法引用に当たると解する余地があると しても、前記のとおり、被告小説において主人公小悦の心情を表現する手段として必ずし も本件詩を掲載しなければならない必然性があるとはいえない点で、上記(ア)の要件を欠 くし、本件詩9編をその全文にわたって掲載したことが必要最小限の引用ということもで きないから、上記(イ)の要件も欠く。  よって、被告らの上記主張は理由がない。  (4) 以上によれば、被告らが被告小説において本件詩の翻訳を採録し、被告小説を印 刷及び頒布した行為は、Aが有していた著作権(翻訳権)を侵害するものといわざるを得 ない。 5 争点(2)ア(氏名表示権侵害の成否)について  前記2で認定したとおり、被告小説の本文中においては、本件詩の作者は、「厦門鼓浪 嶼出身の中国詩人」ないし「古森」であるとの設定とされているが、他方、被告小説の末 尾に出典が明示され、本件詩の著作者がAであることが表示されているのであるから、著 作者の氏名を表示していないということはできない。  よって、氏名表示権侵害についての原告らの主張は、理由がない。 6 争点(2)イ(同一性保持権侵害の成否)について  (1) 題号の切除について  ア 被告小説において、本件詩A、C、E、G及びHにつき、題号を切除してその全文 が使用されていることは、前記2認定のとおりである。著作者は、その題号の同一性を保 持する権利を有し、その意に反してその切除その他の改変を受けないものとされていると ころ(著作権法20条1項)、被告Eの上記行為は、本件詩の題号についてAの有してい た上記権利を侵害するものといわざるを得ない。  イ 被告らは、本件詩を被告小説の主人公の心情描写に必要な範囲において本件詩を引 用したものであり、題号の切除も、かかる目的に照らしやむを得ない改変である(著作権 法20条2項4号)と主張する。  しかしながら、著作権法20条2項4号は、同一性保持権による著作者の人格的利益の 保護を例外的に制限する規定であり、かつ、同じく改変が許される例外的場合として同項 1号ないし3号の規定が存することからすると、同項4号にいう「やむを得ないと認めら れる改変」に該当するというためには、著作物の性質、利用の目的及び態様に照らし、当 該著作物の改変につき、同項1号ないし3号に掲げられた例外的場合と同程度の必要性が 存在することを要するものと解される。しかるところ、被告ら主張の事情をもってしても、 被告小説において本件詩の題号を切除することにつき、上記のような必要性が存在すると 認めることはできない。  したがって、著作権法20条2項4号が定める「やむを得ないと認められる改変」に該 当するということはできない。  (2) 翻訳による表現の改変について  ア 前記3認定のとおり、被告Eは、著作者であるAの許諾を得ることなく、本件詩を 翻訳したものである。しかも、本件詩の訳文のうち、少なくとも、以下のイないしキの箇 所は、客観的にみて誤訳であるか、又は翻訳すべき語を翻訳していないものであるか、若 しくは意訳の範囲を超えているものであって、これらはいずれも意に反する改変といわざ るを得ないから、本件詩についてAが有していた同一性保持権を侵害するものである。  イ 本件詩@について  (ア) 本件詩@の「女巫」は、「巫女」の意味であるところ(甲1、27)、被告小説 においてはこれを「婆や」と翻訳しており(甲8)、これは誤訳であると認められる。  (イ) 本件詩@の「女妖」を被告小説においては「妖怪」と翻訳しているところ(甲1、 8)、「妖」に「妖怪」の意味があるとしても、「女」の部分を翻訳していない。  ウ 本件詩Aについて  (ア) 本件詩Aの「深藏」を被告小説においては「冬眠した」と翻訳しているところ (甲1、8)、「藏」は「隠す、隠れる」の意味であり(大修館書店「新版漢語林」94 6頁)、その対象は「愛」であるから、かかる翻訳は、意訳の範囲内ということはできな い。  (イ) 本件詩Aの「穿行」は、「通り抜ける」の意味であるにもかかわらず(甲1、2 7)、被告小説においてはこれを「いったりきたり」と翻訳しており(甲8)、「穿行」 にこのような意味があるとは認められないから、かかる翻訳は、意訳の範囲内ということ はできない。  エ 本件詩Dについて  (ア) 本件詩Dの「多」は、「たくさん、多数」の意味であるところ(甲1、27)、 被告小説においてはこれを「遠い」と翻訳しており(甲8)、これは誤訳であると認めら れる。  (イ) 本件詩Dの「注定」は、「(神や運命によって)定められている、決定される」 の意味であるところ(甲1、27)、被告小説においては上記「注定」の部分を翻訳して いない(甲8)。  (ウ) 被告小説においては、本件詩Dの10行目及び13行目の「」(「あなた」の意) の部分を翻訳していない(甲1、8)。  オ 本件詩Eについて  被告小説においては、本件詩Eの2行目の「」(「あなた」の意)の部分を翻訳してい ない(甲1、8)。  カ 本件詩Fについて  (ア) 被告小説においては、本件詩Fの2行目、8行目及び14行目の「怡」(「よろ こぶ」、「楽しい」の意)の部分を翻訳していない(甲1、8)。  (イ) 被告小説においては、本件詩Fの2行目を「黄昏の」と翻訳しているが、本件詩 Fには、これに対応する語がなく、しかも前後の文脈から「黄昏の」と翻訳する必然性が あると認めるに足りないから(甲1、8)、かかる翻訳は、意訳の範囲内ということはで きない。  (ウ) 本件詩Fの「徐徐」は、「ゆっくりと、おもむろに、ゆっくりと」の意味である ところ(甲1、27)、被告小説においてはこれを「見る見るうちに」と翻訳しており (甲8)、これは誤訳であると認められる。  (エ) 被告小説においては、本件詩Fの5行目の「灯火」の部分を翻訳していない(甲 1、8)。  (オ) 被告小説においては、本件詩Fの最終行を「恋人のささやきが波を立てていく」 と翻訳しているが、本件詩Fには「恋人」に対応する語がないことから(甲1、8)、か かる翻訳は、意訳の範囲内ということはできない。  キ 本件詩Gについて  (ア) 被告小説においては、本件詩Gの2行目の「望」を翻訳していないことが認めら れ(甲1、8)、主語が「あなた」になってしまい、その意味が変わっていることが認め られる。  (イ) 被告小説においては、本件詩Gの4行目の「送」を翻訳していないことが認めら れ(甲1、8)、主語が「あなた」になってしまい、その意味が変わっていることが認め られる。  ク 被告らは、上記改変はいずれも著作権法20条2項4号の「やむを得ないと認めら れる改変」に当たると主張する。  しかしながら、上記(1)イに述べたとおり、同項4号にいう「やむを得ないと認められ る改変」に該当するというためには、著作物の性質、利用の目的及び態様に照らし、当該 著作物の改変につき、同項1号ないし3号に掲げられた例外的場合と同程度の必要性が存 在することを要するものと解されるところ、誤訳や翻訳すべきものを翻訳しないことがや むを得ないということができないのは明らかであるし、その余の上記改変も、いずれも翻 訳として許される意訳の範囲を超えたものであって、被告小説において本件詩に改変を加 えるにつき、上記のような必要性が存在すると認めることはできない。  よって、著作権法20条2項4号が定める「やむを得ないと認められる改変」に該当す るということはできない。  (3) 以上のとおり、被告小説は、Aが有していた本件詩についての同一性保持権を侵 害するものである。 7 争点(2)ウ(著作権法60条該当性)について  被告らは、被告Eの行為が著作権法60条ただし書のAの意を害しない場合に当たる旨 主張する。しかしながら、被告小説における改変が、やむを得ないと認められる改変とは いえないことは、前記6認定のとおりであり、Aの意に反する改変といわざるを得ず、同 人の死後社会的事情が変動した等の事情も認められないから、被告らの行為を著作権法6 0条ただし書所定の場合に当たるということはできない。  8 争点(3)(名誉毀損の成否)について  (1) 被告小説は、A、被告E及びGを素材としたモデル小説である。このようなモデ ル小説においては、実在の人物を素材としても、不特定多数の読者に小説全体が作者の創 造力の生み出した創作で虚構と受け取らせるに至っている場合には実在の人物に対する名 誉毀損には当たらないが、不特定多数の読者が登場人物とモデルとを同定することができ、 登場人物の記述において、モデルの体験した事実と同じ事実が摘示されており、かつ、不 特定多数の読者にとって上記記述がモデルに係わる現実の事実であるか、作者が創作した 虚構の事実であるかを明確に区別することができない場合には、小説中の登場人物につい ての記述が実在の人物に対する名誉毀損となる場合があるものと解される。   (2) 前記2で認定したとおり、「古森」とAとは、詩人であり中国厦門市の出身であ ることが共通する上、被告小説の巻末に「古森」の詩とされる本文中引用の詩の出所がA の本件詩であることが明示されているから、中国の詩に詳しい読者にとって、「古森」と Aとを同定することができる。また、前記2で認定した事実によると、「古林」とGとは、 @ 出身地が中国厦門市である中国人男性であること、A 名前が一文字違いであること、 B 教育関係の仕事に従事していること、C 詩人である「古森」又はAの弟であること、 D 「小悦」又は被告Eと交際していたこと等が共通し、「小悦」と被告Eとは、@ 出 身地が中国厦門市である中国人女性であること、A 日本人の夫と結婚していること、B  東京においてアパレル関係の仕事に従事していること等が共通することが認められ、少 なくともGと面識がある読者にとって、「古森」の弟の「古林」とAの弟のGとを同定し 得る結果、「古森」とAとを同定することも可能である。  他方、弁論の全趣旨によれば、被告小説には、古森と同棲していた「余景」という女性 が登場したり、小悦が男子を身籠もり出産したこと等、虚構の事実が加わっていることが 認められる。  しかしながら、被告小説においては、末尾に本文中引用の詩の出所がAの本件詩である ことが明示されており、本件詩が「古森」の詩として登場する。そして、被告小説がモデ ル小説として実在の人物を素材として書かれたものであって、A、Gや被告Eに係る現実 と被告Eが創作した虚構の事実が織り交ぜられているため、読者にとって、被告小説全体 が作者の創造力の生み出した創作で虚構のものと受け取られることはなく、モデルに係わ る現実の事実であるか、被告Eが創作した虚構の事実であるかを明確に区別することが困 難なものとなっている。  (3) 被告小説において、別紙6「古森」に関する表現内容のうち、少なくとも「アル コール依存症になっていって、普通の生活が出来ないんだ。」、「妻も、一人娘を連れて 離縁してしまった。」、「酔った兄貴は、彼の詩と一緒で普通じゃないんだ。悪い癖があ ってね、酔ってベッドの上に大便をして、その上に寝てしまうんだ。」、「今だって一日 でも酒を飲まないと狂ったように暴れまくる。一度、窓ガラスを破って、二階の窓から外 に飛び出したことがあるんだ。幸い窓際に木があって一命は取り留めたけど」の部分の記 述は、Aの社会的評価を低下させ、Aのプライバシーにわたる事項を表現内容に含むもの と解される。  よって、公共の利益に関わらない事実を摘示してAの社会的名誉を低下させる事項を表 現内容に含む被告小説の公表により、Aの名誉が毀損されたものといわざるを得ない。 9 差止請求について  以上3ないし6によれば、被告らの被告小説の印刷及び頒布行為は、Aが本件詩につい て有していた著作権(翻訳権)及び著作者人格権(同一性保持権)を侵害するものである。  本件詩についての著作権は、原告らが相続により取得したから(中華人民共和国相続法 3条、10条。甲18)、原告らは、著作権法112条に基づき、差止請求権を有する。  他方、本件詩についての著作者人格権は、Aの一身に専属するが(著作権法59条)、 被告小説の複製及び頒布行為は、故意又は過失により著作者人格権を侵害する行為又は著 作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為(同法60条)に 当たる。そして、同法60条ただし書の場合に当たらないことは、前記7のとおりである。 Aに配偶者はいないから、次順位の遺族として、子である原告Dは、著作権法116条、 112条に基づき、差止請求権を有する。  なお、差止めについては、被告小説の印刷(複製)及び頒布を対象とすれば十分であり、 これに加えて製本を禁じる必要性は認められないし、販売は頒布の一態様であるから(著 作権法2条1項19号)、頒布と別にこれを禁じる必要はない。 10 損害賠償請求について  (1) 被告らの過失  被告Eは、Aが有していた著作権(翻訳権)及び著作者人格権(同一性保持権)を侵害 し、同人の名誉を毀損する本件詩を被告小説に掲載した点において、少なくとも過失があ る。また、被告会社は、被告Eが本件詩の翻訳を掲載することにつきAの許諾を得ている か否かを確認することなく被告小説を印刷及び頒布した点、また、許諾を得ていない場合 に引用といえるか否かについての判断を誤り、被告小説がAの有していた著作者人格権を 侵害し又は同人の名誉を毀損するか否か等についての判断を誤った点において、少なくと も過失があるものといわざるを得ない。  そして、被告両名は、共同不法行為責任(民法719条、709条)を負うものと解さ れる。  (2) 著作権侵害による損害  前記のとおり、被告らが被告小説を執筆し、又は印刷、頒布した行為は、Aが有してい た著作権(翻訳権)を侵害したものである。  ア 基礎とすべき価格  前記2認定のとおり、被告小説の価格は1400円であるから、これをもって基礎とす べき価格と認める。   イ 部数  前記2で認定した事実によると、被告会社は被告小説を3000部印刷したのであるか ら、これをもって損害の基礎とすべき部数と認める。  ウ 利用の割合  証拠(甲8)によると、本件詩の翻訳文が被告小説において掲載されている部分は、前 後の余白行を含め、本件詩@は25行、本件詩Aは11行、本件詩Bは22行、本件詩C は18行、本件詩Dは19行、本件詩Eは11行、本件詩Fは22行、本件詩Gは13行、 本件詩Hは20行で、合計161行と認められる。そして、被告小説の1ページは16行 であるから、約10ページ分に本件詩が利用されていることになる。被告小説の総ページ 数は253ページであるから、利用の割合は約10/253となる。  エ 使用料率  証拠(乙1、3)及び弁論の全趣旨によれば、書籍の印税は一般に6ないし15%とさ れ、10%としているものが多いこと、このうち被告Eと被告会社との間で締結した出版 契約では、印税が8%とされたことが認められる。以上の事実に、本件詩が中国で著名な 詩人であるAの創作によるものであること等の事実を総合すると、本件詩の使用料率とし ては、15%と認めるのが相当である。  オ 以上により、Aの損害額は、被告小説の価格に印刷部数、利用の割合及び使用料率 をそれぞれ乗じて算出するのが相当であり、これによると、以下のとおり、約2万500 0円となる(1000円未満四捨五入)。   1400円×3000部×10/253×15%≒25000円  カ 被告らの主張について  (ア) 被告らは、著作権法114条3項に基づく損害額の算出に際して、被告Eが被告 小説の出版により利益を得ていないことを斟酌すべきである旨主張する。  しかしながら、著作権法114条3項に基づく使用料相当損害金の算定において、侵害 者が利益を得ているか否かを斟酌する必要はないから、被告らの上記主張は理由がない。  (イ) 被告らは、中国の貨幣価値に基づくライセンス料を斟酌すべきである旨主張する。  平成12年法律第56号による著作権法改正により、改正前の著作権法114条2項か ら「通常」の文言が削除された趣旨は、既存の使用料の相場等に拘束されることなく、当 事者間の具体的な事情を参酌した妥当な損害額の認定を可能にすることにある。本件は、 我が国における著作権が問題とされ、我が国における被告小説の出版行為に関するもので ある。そして、中国に生活の本拠を置くAが我が国における著作権の行使につき受けるべ き金額として、上記金額をもって相当と認める。  (ウ) 被告らは、被告EがAから本件詩の使用の許諾を受けていたと認識していたから、 著作権法114条4項により損害額の算定上、斟酌されるべきであると主張する。  しかしながら、被告Eが被告小説に本件詩の翻訳を掲載することについてAの許諾を得 ていなかったことは、前記3認定のとおりであり、しかも被告小説に本件詩の翻訳を掲載 することについて同人の許諾を得ることが困難な事情はないというべきであるから、被告 Eには被告小説に本件詩の翻訳を掲載したことについて重大な過失がなかったということ はできない。よって、被告らの上記主張は理由がない。  (3) 著作者人格権侵害による損害  前記6で認定したとおり、本件詩の翻訳を被告小説に掲載する際に題号が切除されると ともに改変され、Aの有していた著作者人格権(同一性保持権)が侵害されたものである。 そして、証拠(甲9)によると、同人は、上記著作者人格権侵害行為により精神的苦痛を 受けたものと認められる。  侵害された著作物の内容、著作者人格権侵害の態様、当事者双方の社会的地位その他本 件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、Aに対する慰謝料は、30万円が相当である。 なお、被告らは、A及び原告らが中国に生活の本拠を置くことを斟酌すべきである旨主張 するところ、慰謝料の額は、中国の貨幣価値に連動した額となるわけではなく、上記諸般 の事情の1つとして、考慮するにとどめる。  (4) 名誉毀損による損害  前記8で認定したとおり、被告小説の執筆ないし出版により、Aの名誉が毀損されたも のである。そして、証拠(甲9)によると、同人は、上記名誉毀損行為により精神的苦痛 を受けたものと認められる。  前記8認定の名誉毀損の態様に加え、被告小説が3000部印刷されたものの2000 部以上が在庫として回収され、流通した部数も1000部未満と僅少であること(乙2、 弁論の全趣旨)、Aは、中国において著名であるが、日本語で書かれた被告小説が販売さ れたのは日本国内のみにおいてであり、Aが在住していた中国では販売されていないこと、 その他本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、Aに対する慰謝料は、50万円が相当 である。なお、被告らは、A及び原告らが中国に生活の本拠を置くことを斟酌すべきであ る旨主張するところ、慰謝料の額は、中国の貨幣価値に連動した額となるわけではなく、 上記諸般の事情の1つとして、考慮するにとどめる。  (5) 弁護士費用  A及びその訴訟承継人である原告らが、本件訴訟の提起、遂行のために訴訟代理人を選 任したことは、当裁判所に顕著であるところ、本件訴訟の事案の性質、内容、審理の経過、 認容額等の諸事情を考慮すると、被告らの著作権及び著作者人格権侵害行為並びに名誉毀 損行為と相当因果関係のある弁護士費用の額としては、10万円が相当である。  (6) 合計  以上により、Aが被った損害は合計92万5000円となる。    2万5000円+30万円+50万円+10万円=92万5000円  中華人民共和国相続法(甲18)によれば、相続は被相続人の死亡の時より開始し(2 条)、遺産は公民の死亡の時に遺留された個人の合法財産であり(3条)、相続開始の後 は、遺産は第1順位の相続人である配偶者・子女・父母が相続する(10条)。Aは、本 件訴訟提起後の平成14年12月31日に死亡し、Aの両親及び子である原告らがその相 続人であり(甲17、19、20、23、29)、原告らは、上記損害賠償請求権を相続 したものと認められる。なお、中華人民共和国相続法において金銭債権が当然に分割承継 されるとは解されてはいないから(甲29、弁論の全趣旨)、被告らは、連帯して原告ら に対し合計92万5000円を支払うべきである。 11 争点(8)(謝罪広告の要否)について  著作者の死後においては、その遺族は、著作権法116条、115条に基づき、故意又 は過失により著作者人格権を侵害する行為又は同法60条の規定に違反する行為をした者 に対し、著作者の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置を請求することができる。 もっとも、著作者人格権の侵害となるべき行為をしたことを理由として謝罪広告を請求す るには、人が自己自身の人格的価値について有する主観的な感情すなわち名誉感情の毀損 では足りず、著作者がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受け る客観的な評価、すなわち社会的声望名誉が低下したことを必要とするものと解される (最高裁昭和58年(オ)第516号同61年5月30日第二小法廷判決・民集40巻4号 725頁)。  上記6認定のとおり、被告小説において同一性保持権侵害が問題となる部分の侵害行為 の態様は、誤訳や、意訳の範囲を超える部分も存するものの、著作者であるAがその品性、 徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価が低下したといえ るような態様のものということはできない。なお、被告小説は、3000部印刷されたも のの2000部以上が在庫として回収されており、既に流通しておらず、流通した部数も 1000部未満と僅少であること(乙2、弁論の全趣旨)、Aは、中国において著名であ るが、日本語で書かれた被告小説が販売されたのは日本国内のみにおいてであり、Aが在 住していた中国では販売されていないこと、その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、 被告らに対する損害賠償請求を認めた上、更に被告らに謝罪広告を掲載させることまでの 必要性も認められない。 第4 結論  以上のとおり、原告らの請求は、@ 著作権に基づく被告小説の印刷及び頒布の差止め 並びに原告Dの著作権法116条に基づく差止め、A 著作権侵害、著作者人格権侵害及 び名誉毀損を理由とする損害賠償として合計92万5000円の支払を請求する限度で理 由がある。 東京地方裁判所民事第47部 裁判長裁判官 高部 眞規子    裁判官 東海林 保    裁判官 田邉 実