・東京高判平成16年8月31日判時1883号87頁  リソグラフ事件:控訴審  被告ら(株式会社拓研コーポレーション、コロナ技研工業株式会社)は、原告(理想科 学工業株式会社)の製造に係る孔版印刷機(リソグラフ)の利用者に対して、使用済みの インクボトル(空容器)に自ら製造する孔版印刷用インクを充填して販売している。当該 インクボトルには原告の登録商標が表示されていることから、原告は、被告らの行為は商 標の「使用」(商標法2条3項)に該当し、原告の商標権を侵害するとして、被告らに対 して、孔版印刷用インクのインクボトルに上記登録商標を付すことの差止め及び同登録商 標を付したインクボトルの廃棄並びに商標権の侵害による5000万円の損害賠償を求め た。  これに対し、被告らは、被告らがそのインクを販売するに当たり容器として用いたイン クボトルは、顧客から容器として提供されたものであるから、当該インクボトルに原告の 登録商標が表示されていたとしても、被告らの行為は商標の「使用」に該当しないもので あって、商標権侵害を構成しないと反論した。  第一審判決(東京地判平成15年1月21日)は、「被告らの孔版印刷用インクの販売 においては、本件登録商標は顧客から被告インクを充填するための容器として提供された インクボトルに当初から付されていたものであって、本件登録商標とインクボトルの内容 物である商品たる被告インクとの間には何らの関連もなく、本件登録商標が商品の出所識 別標識としての機能を果たす余地のないことが外形的に明らかであるから、被告らの行為 は商標法にいう商標の「使用」に該当しないものというべきである」と述べて、原告の請 求を棄却した。  本判決は、「被控訴人らの被控訴人インクの販売行為が、市場における取引者、需要者 の間に、『本件登録商標が付されたインクボトルに充填されたインクが控訴人を出所とす るものである』との誤認混同のおそれを生じさせていることは明らかであるから、本件登 録商標は、商品(インク)の取引において出所識別機能を果たしているものであって、被 控訴人らの行為は、実質的にも本件登録商標の「使用」に該当し、本件商標権を侵害する ものというべきである」と述べて、原判決を変更し、差止および損害賠償の請求を認容し た。 (第一審:東京地判平成15年1月21日) ■判決文 《中 略》 (3)被控訴人らが、本件登録商標が付された空インクボトルに被控訴人インクを充填し て販売する行為を行っていることは、当事者間に争いがないところ、かかる行為が形式的 には「商品の包装に標章を付したものを譲渡し、引き渡(す)行為」(商標法2条3項2 号)に該当することは明らかである。しかしながら、商標の本質は、自他商品の出所を識 別するための標識として機能することにあると解されるから、被控訴人らの行為が、本件 登録商標の「使用」に該当し、本件商標権を侵害するというためには、当該商標が商品の 取引において出所識別機能を果たしていることが必要となるというべきである。そこで、 以下、この観点から検討する。  上記認定事実によれば、〔1〕被控訴人らは、顧客から使用済みの空インクボトルの引 渡しを受けて、同形のインクボトル(引渡しを受けた当該インクボトルに限らない。)に 被控訴人インクを充填して販売する態様の行為のみならず、顧客が空インクボトルを提供 することを前提とせず、空インクボトルに充填された被控訴人インクを販売する態様の行 為をも行っており、〔2〕被控訴人コロナは、同拓研及び多数の地域特約店を通じて、約 1500もの顧客(販売先)と取引をしており、その取引規模は、個人的な小規模取引の ようなものとは全く異なる大規模なものであり、〔3〕被控訴人らが被控訴人インクの販 売の際に使用するパンフレット、注文書等には、控訴人印刷機やこれに対応したインクカ ートリッジの名称がそのまま使用されている反面、上記パンフレットには、「被控訴人イ ンクが控訴人と無関係に製造されたものである」旨のいわゆる打ち消し表示もされておら ず、むしろ被控訴人インクが控訴人の純正インクであるかの如き誤解を招く記載もあり、 〔4〕被控訴人らが顧客に納品する、被控訴人インクの充填されたインクボトルにも、本 件登録商標が付されたままであり、いわゆる打ち消し表示もされておらず、〔5〕被控訴 人らの顧客において、実際にインクを使用する者のみならず、購買担当者も、被控訴人イ ンクが控訴人とは無関係に製造されたものである点について正確な理解をしていない事例 があり、〔6〕孔版印刷用インクについては、購入後に再譲渡されることも一般に行われ ている、というのである。  これらの事情によれば、被控訴人らの被控訴人インクの販売行為が、市場における取引 者、需要者の間に、「本件登録商標が付されたインクボトルに充填されたインクが控訴人 を出所とするものである」との誤認混同のおそれを生じさせていることは明らかであるか ら、本件登録商標は、商品(インク)の取引において出所識別機能を果たしているもので あって、被控訴人らの行為は、実質的にも本件登録商標の「使用」に該当し、本件商標権 を侵害するものというべきである。 (4)これに対し、被控訴人らは、「顧客は、空インクボトルに充填されているインクは 控訴人のインクではなく被控訴人インクであると認識している。つまり、空インクボトル は顧客所有のものであり、被控訴人らは単にその容器に被控訴人インクを充填して販売す るにすぎない。したがって、顧客が持参する空インクボトルに本件登録商標が付されてい ても、被控訴人らの行為は商標の「使用」に該当せず、本件商標権の侵害に当たらない。」 旨主張する。  しかしながら、被控訴人らが、顧客から空インクボトルの提供を受けることなしに、被 控訴人インクを充填したインクボトルを販売する態様(控訴人主張の販売態様〔2〕)の 行為をも行っていることは、前記認定のとおりであるから、被控訴人らの上記主張はその 前提を欠き、理由がない。  また、被控訴人らが、顧客から使用済みのインクボトルの引渡しを受けて、同形のイン クボトルに被控訴人インクを充填して販売する態様(控訴人主張の販売態様〔1〕)の行 為においても、前記認定のとおり、被控訴人らのパンフレット等には、控訴人印刷機等の 名称がそのまま使用され、打ち消し表示もされておらず、むしろ被控訴人インクが控訴人 の純正インクであるかの如き誤解を招く記載もあること、被控訴人らが納品する、被控訴 人インクの充填されたインクボトルにも、本件登録商標が付されたままであり、打ち消し 表示もされていないこと、これらに起因して、被控訴人らの顧客(販売先)において、実 際にインクを使用する者のみならず、購買担当者も、被控訴人インクが控訴人とは無関係 に製造されたものである点について正確な理解をしていない事例があること等が認められ るのであるから、顧客から空インクボトルの提供があっても、それ故に、顧客が「インク ボトルに充填されているインクが控訴人と無関係に製造された被控訴人インクである」こ とを正確に認識することができるとはいえない。  したがって、被控訴人らの上記主張は理由がない。 2 争点2(損害の有無及び額)について (1)被控訴人らがその本店所在地や代表者を共通にしていることは、弁論の全趣旨から 明らかであり、被控訴人拓研が実質的に被控訴人コロナの販売部門であることは、当事者 間に争いがないから、これらの事実によれば、被控訴人らは、一体となって、前記1認定 の商標権侵害行為(共同不法行為)を行っていると認められる。 (2)被控訴人インクについての平成14年8月29日から平成16年3月25日までの 販売数量(乙30、31に記載された販売数量)が7215本であることは、当事者間に 争いがない。上記販売数量を上記期間の月数で除すると、月平均販売量は少なくとも約3 80本となる。  証拠(乙29)によれば、被控訴人らが平成13年1月4日には既に被控訴人インクを 販売していることが明らかである。また、証拠(甲9)によれば、被控訴人らは、平成1 2年12月8日時点で、既に約2万本のインクボトル(本件登録商標が付された、控訴人 の製造販売に係るものを含む。)に充填された被控訴人インクを販売済みであることが認 められるから、上記月平均販売量も考慮すれば、被控訴人らは、遅くとも、平成12年4 月初めには、本件登録商標が付された空インクボトルに充填した被控訴人インクの販売を 開始していたものと認められる。  そうすると、被控訴人らが、平成12年4月初めから平成16年3月末日まで(48か 月)の間に、本件登録商標が付された空インクボトルに充填して販売した被控訴人インク の販売量は、控訴人主張の1万8235本(平成12年4月初めから平成14年2月末日 まで(23か月)8740本、平成14年3月初めから平成16年3月末日まで(25か 月)9495本)を下らないと認められる。 (3)被控訴人らが、被控訴人インクを1本当たり2000円で販売していることは、当 事者間に争いがない。  なお、被控訴人らは、「代理店に対しては、事業促進のため、1本当たり100円のマ ージンを約束する場合が大半であるから、代理店経由の場合は、実質的な価格は1900 円である。」旨主張する。しかしながら、上記主張に係る事実を認めるに足りる的確な証 拠はない(乙37及び42には、平成16年4月に販売した被控訴人インクのうち、単価 が2000円のものが46本、1900円のものが420本である旨の陳述記載があるが、 これを裏付ける客観的証拠(伝票、売上台帳等)はないし、本件損害賠償請求の対象とな っている期間において、これと同一の状況であったことを認めるに足りる証拠もない。)。 また、仮に、被控訴人らが代理店に手数料(マージン)を支払っているとしても、それは、 被控訴人インクの販売価格とは別個の問題であって、そのことにより販売価格の認定が左 右されるわけではない。したがって、被控訴人らの上記主張は理由がない。 (4)ア 商標法38条2項における「侵害者が侵害行為から受けている利益」を算定す るに当たっては、侵害品の売上高から、侵害行為のために要した費用(侵害行為と相当因 果関係が認められる費用)のみを差し引くべきである。そして、上記費用のうちには、被 控訴人ら内部の事情に係るものであって、商標権者側にとっては、文書提出命令の申立て (商標法39条、特許法105条)をするなどしても立証が極めて困難であるものも含ま れるところ、商標権者の損害額の立証の困難性を緩和するために特に商標法38条2項の 推定規定が設けられた趣旨に鑑みれば、侵害者側が上記費用の主張立証責任を負うものと 解するのが相当である。以下、この観点から検討する。 イ 被控訴人らは、「被控訴人インク詰替え事業開始時の経費は、1本当たり2077. 6円(〔1〕受入容器分類作業費100円、〔2〕インク代880円、〔3〕充填・清掃 費570円、〔4〕荷造り費48円、〔5〕運送賃160円、〔6〕宣伝広告費・諸経費 159.8円、〔7〕一般管理費159.8円の合計。なお、〔6〕及び〔7〕は、〔1〕 ないし〔4〕の合計額の各1割として計算した。)である。上記インク詰替え事業の開始 から現在まで、利益が発生した月はない。」旨主張する。 (ア)上記のうち、〔4〕荷造り費48円、〔5〕運送賃160円については、当事者間 に争いがない。 (イ)〔2〕、〔3〕について、被控訴人らは、「これらに対応する作業(インク製造、 清掃、充填)は、外部に委託しており、その委託費用として〔2〕、〔3〕の費用が発生 している。」旨主張する。しかしながら、被控訴人らは、従前、被控訴人が被控訴人イン クを製造している旨、及び被控訴人工場において、空インクボトルに被控訴人インクを充 填する旨主張しており(例えば、被控訴人第3準備書面7頁14行目、8頁6行目、被控 訴人第8準備書面4頁5行目)、本件訴訟の開始から、被控訴人インクの製造、充填等を 外部に委託している旨の主張は一切していなかったところ、弁論終結日である平成16年 7月6日の当審第7回口頭弁論期日(被控訴人第10準備書面)において初めて、上記主 張を行ったものである。また、証拠(甲40、45)によれば、被控訴人インクの1本あ たりの原材料費は、高くても約300円程度であることが認められるから、インク代88 0円(上記〔2〕)という金額は、原料費からみて高額にすぎ、不自然な金額といわざる を得ない。さらに、被控訴人らは、上記主張を裏付ける証拠として、乙40等を提出する が、これらの証拠は、上記主張の裏付けとして不十分なものといわざるを得ない(乙40 は、平成16年4月分の請求書であるところ、本件損害賠償請求の対象となっている期間 において、これと同一の状況であったことを認めるに足りる証拠はない。また、乙40に は、同月分の請求明細として、控訴人用インク466本のほかに、「リコー・デュプロ用 1000cc」199本、「リコー・デュプロ用600cc」103本との記載があると ころ、被控訴人らが同月の売上明細として提出した乙38に記載された本数を合計すると、 控訴人用インクは466本となり一致するものの、控訴人用インク以外のもののうち、1 000ccは151本、600ccは149本となり、乙38と40の記載は整合しない (甲46)から、乙40の信用性には疑問が残るといわざるを得ない。)。これらの事情 によれば、被控訴人らの上記主張は採用できず、〔2〕、〔3〕は認められない。 (ウ)〔1〕、〔6〕、〔7〕については、これらを認めるに足りる的確な証拠はない。 なお、乙37、42には、平成16年4月分の被控訴人インクの販売に関する経費として、 受入容器分類作業費15万5436円、お客様サービス費18万4246円、管理費8万 6000円を要した(これらの金額は、当該作業に当たった従業員の給与に、当該作業時 間の職務時間に占める割合を乗じて算出した。)旨の陳述記載がある。しかしながら、当 該作業に当たった従業員の氏名も明らかにされていないばかりか、当該作業時間の職務時 間に占める割合を裏付ける客観的証拠もない。また、その陳述記載の内容自体、不自然と 思われる点がある(たとえば、受入容器分類作業には、従業員2名が職務時間の約3割程 度を費やしたとされるが、同月分の控訴人用受入容器は466本にすぎないとされるので あるから、その程度の本数の容器の分類に、このような多くの時間が必要であるとは考え 難い。)。したがって、上記陳述記載は採用できない。  ウ 上記のとおり、荷造り費48円、運送賃160円については、当事者間に争いがない。 また、証拠(甲40、45)によれば、被控訴人インク1本あたりの原材料費は、約30 0円程度であることが認められる。さらに、受入容器の分類・清掃、インクの充填等の作 業が侵害行為のために必要であることは明らかである。加えて、前記認定のとおり、侵害 行為についてパンフレット、ホームページ等による宣伝広告が現に行われている。これら の費用を合計した、被控訴人インク1本あたりの販売行為(侵害行為)のために要した全 費用は、民訴法248条の趣旨も考慮し、800円と認める。なお、一般管理費について は、その性質上、侵害行為がなくても必要であった可能性があるところ、本件において一 般管理費が侵害行為のために必要であったことを認めるに足りる証拠はないから、経費と して計上することはできない。 (5)以上のとおり、被控訴人らが、平成12年4月初めから平成16年3月末日までに、 本件登録商標が付された空インクボトルに充填して販売した被控訴人インクの販売量は、 少なくとも1万8235本(平成12年4月初めから平成14年2月末日までに8740 本、平成14年3月初めから平成16年3月末日までに9495本)であるところ、被控 訴人インク1本当たりの利益は1200円(2000円−800円)であるから、上記販 売行為による被控訴人らの平成12年4月初めから平成16年3月末日までの利益の額は、 2188万2000円(平成12年4月初めから平成14年2月末日までに1048万8 000円、平成14年3月初めから平成16年3月末日までに1139万4000円)と なる。 (6)これに対し、被控訴人らは、「顧客は、適宜インクを選択して購入する自由を有し ており、純正インクの購入を強制されることがない以上、控訴人には、純正インクの販売 による得べかりし利益というものは存在しない。」、「顧客は、自己の有する孔版印刷機 に適合するインクを購入するにすぎず、インク容器に本件登録商標が付されているからイ ンクを購入するわけではない。」旨主張する。しかしながら、前記のとおり、被控訴人ら は、本件登録商標を使用して、市場における取引者、需要者の間に、「本件登録商標が付 された空インクボトルに充填されたインクが控訴人を出所とするものである」との誤認混 同のおそれを生じさせた上、被控訴人インクを販売しているのであるから、被控訴人らの かかる販売行為は、控訴人が自ら製造するインクの販売による得べかりし利益を侵害する ものというべきであるし、また、上記主張のように「顧客は、インク容器に本件登録商標 が付されているからインクを購入するわけではない。」ということはできない(なお、当 裁判所の和解期日において、裁判所側から被控訴人らに対し効果的な打ち消し表示をした 上での被控訴人インクの販売継続案を提示したところ、被控訴人らは過大の費用を要する などと称してこれを拒否したが、これは被控訴人ら自身が本件登録商標が有する出所識別 機能を利用した被控訴人インクの販売につき多大のメリットがあることを認めていること の根拠である。)。  また、被控訴人らは、「控訴人は、インクの充填されたインク容器を販売しているのに 対し、被控訴人らは、インクの詰替えサービスを行っているものであり、両者の販売活動 は同種同質のものといえないから、被控訴人らの販売活動により、控訴人に損害は発生し ていない。」旨主張する。しかしながら、控訴人は、インクが充填されたインクボトルを 製造販売しているのに対し、被控訴人らは、控訴人の製造販売に係る空インクボトルに被 控訴人インクを充填して販売しているのであるから、両者の行為は、インクボトルの販売 の有無という点では異なるものの、本件損害賠償請求の対象であるインクの販売という観 点においては共通するものというべきである。  なお、被控訴人ら主張の権利濫用の点については、本件損害賠償請求等が認められたか らといって、本件商標権を侵害しない態様での被控訴人インク等の販売までもが全面的に 禁止される筋合いでもないから、顧客に対し純正インクの購入を強制することにはならな いというべきである。  したがって、被控訴人らの上記主張はいずれも理由がない。 3 結論  以上によれば、控訴人の被控訴人らに対する本訴請求は、〔1〕控訴人の登録商標に係 る標章が付されたインクボトルを用いた孔版印刷用インクの販売の差止め、〔2〕同標章 を付したインクボトルの廃棄、〔3〕不法行為に基づく損害金2188万2000円及び 内金1048万8000円に対する不法行為後である平成14年3月1日から、内金11 39万4000円に対する不法行為後である平成16年4月1日から各支払済みまで民法 所定の年5分の割合による各遅延損害金の連帯支払をそれぞれ求める限度で理由がある。 よって、控訴人らの本訴請求をいずれも棄却すべきものとした原判決を変更することとし、 主文のとおり判決する。 東京高等裁判所知的財産第1部 裁判長裁判官 北山 元章    裁判官 青柳 馨    裁判官 沖中 康人