・東京地判平成17年7月1日判時1910号137頁  「植民地朝鮮の日本人」事件:第一審  本件文集「鉄石と千草 京城三坂小学校記念文集」は、戦後に結成された京城三坂小学 校(第2次世界大戦前に朝鮮半島にあった)の卒業生や教師などの集まりである三坂会の 結成30周年を記念して出版されたものであり、6名の編集委員から成る編集委員会によ って編集され、原告A(三坂小学校の卒業生)が編集責任者であった。本件は、原告Aが、 主位的に、本件文集が編集著作物又は共同著作物であり、同原告がその著作者であるとこ ろ、被告D(高崎宗司)著による被告書籍『植民地朝鮮の日本人』の引用部分が同原告の 同一性保持権を侵害するなどと主張して、被告(株式会社岩波書店)らに対し、@著作権 法112条1項に基づき別紙削除項目記載の記述部分を削除しない被告書籍の複製販売の 差止め、A民法709条、719条に基づき損害賠償、B著作権法115条に基づき謝罪 広告を請求し、原告ら3名が(原告Aは予備的に)、被告書籍の引用部分が原告らの名誉 を毀損し、名誉感情を侵害するなどと主張して、@名誉権に基づき別紙削除項目記載の記 述部分を削除しない被告書籍の複製販売の差止め、A民法709条、719条に基づき損 害賠償、B民法723条に基づき謝罪広告を請求する事案である。  判決は、「編集著作物の著作者の権利が及ぶのは、あくまで編集著作物として利用され た場合に限るのであって、編集物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎない 場合には、編集著作物の著作者の権利はこれに及ばないと解すべきである」とし、「被引 用部分のもととなった各文章につき、原告Aと各執筆者の共同著作物であるということは できない」などとして、原告の請求をすべて棄却した。 (控訴審:知財高判平成17年11月21日) ■争 点  (1) 原告Aは被引用部分について編集著作物の著作者の権利を有するか否か  (2) 原告Aは被引用部分について共同著作物の著作者の権利を有するか否か  (3) 被告書籍による引用が原告Aの同一性保持権を侵害するか否か  (4) 著作権法113条5項の著作者人格権侵害の有無  (5) 被告らの不法行為の有無  (6) 差止めの必要性  (7) 損害の有無及び額  (8) 謝罪広告の必要性 第4 当裁判所の判断 1 争点(1)(編集著作物の著作者の権利の有無)について  (1) 編集著作物は、編集物でその素材の選択又は配列によって創作性を有するものを いい(著作権法12条1項)、編集著作物の著作者の権利は、当該編集物の部分を構成す る著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない(同条2項)。同条は、既存の著作物を編集 して完成させたにすぎない場合でも、素材の選択方法や配列方法に創作性が見られる場合 には、かかる編集を行った者に編集物を構成する個々の著作物の著作権者の権利とは独立 して著作権法上の保護を与えようとする趣旨に出たものである。  そうすると、編集著作物の著作者の権利が及ぶのは、あくまで編集著作物として利用さ れた場合に限るのであって、編集物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎな い場合には、編集著作物の著作者の権利はこれに及ばないと解すべきである。  この点につき、原告らは、編集著作物を構成する個々の著作物が編集著作物の著作者の 特定の思想、目的に反して第三者に利用された場合に、上記著作者が何らの手立てを取る こともできないのは不当であるなどと主張する。しかし、編集著作物はその素材の選択又 は配列の創作性ゆえに著作物と認められるものであり、その著作権は著作物を一定のまと まりとして利用する場合に機能する権利にすぎず、個々の著作物の利用について問題が生 じた場合には、個々の著作物の権利者が権利行使をすれば足りる。また、編集物の一部分 を構成する個々の著作物の利用に際しても編集著作物の著作者の権利行使を許したのでは、 個々の著作物の著作者の権利を制限することにもなりかねず、著作権法12条2項の趣旨 に反することになるといわざるを得ない。  (2) 被告書籍においては、別紙引用部分一覧表の引用部分欄記載のとおり、本件文集 中の各記載が引用されている(甲1、2)。  そうすると、被告書籍中における本件文集の利用態様は、あくまで本件文集を構成する 個々の著作物の一部のみを個別に取り出して引用するというものであって、本件文集を一 定のまとまりのある編集物として利用していると見ることはできない。  したがって、原告Aが本件文集について編集著作物の著作者であるか否かにかかわらず、 被告Dの引用行為が原告Aのかかる権利を侵害したと解する余地はない。  (3) 小括  よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告Aが編集著作物の著作者であるこ とを根拠とする原告Aの請求には理由がない。 2 争点(2)(共同著作物の著作者の権利の有無)について  (1) 共同著作物とは、2人以上の者が共同して創作した著作物であって、その各人の 寄与を分離して個別的に利用することができないものをいう(著作権法2条1項12号)。 したがって、共同著作物というためには、著作者と目される2人以上の者の各人につき創 作的関与が認められることが必要である。    以下、原告Aが各被引用部分が属する文章に創作的に関与したか否かについて判断 する。  (2) 被引用部分1、3ないし8について  ア 前記のとおり、本件被引用部分1、3ないし8は、本件文集中のE、G、H、I、 J、Kの各文章の一部である。  イ 本件被引用部分1、3ないし8が属する各文章には、それぞれ上記の各執筆者名が 掲げられており、それぞれが執筆したものと認められ、他方、原告Aのこれらの各文章に 対する創作的関与を認めるに足りる証拠はない。  この点について、原告らは、原告Aにおいて、編集後記中に現れた方針に従うように、 各執筆者に修正を求めたり、執筆者の承諾を得て自ら修正を行ったなどと主張するが、具 体的にこれらの各文章における修正の過程や程度を明らかにする証拠はなく、上記各文章 について原告Aの行為が執筆者に対する助言の範疇を超え、創作的関与と評価できるほど のものであったことを認めるに足りない。  ウ よって、上記各被引用部分のもととなった各文章につき、原告Aと各執筆者の共同 著作物であるということはできない。  (3) 本件被引用部分2について  ア 本件被引用部分2は、本件文集中の「多元座談会 三坂校の終焉T 第一部」と題 する項目におけるFの発言部分の一部である(甲1)。そして、上記座談会は、原告Aが 複数の三坂小学校関係者に対して、個々人の文章や手紙又は電話による質問をもとに、異 なる時点、異なる場所でされた回答等をあたかも同一の場所で座談会を開いたかのような 体裁の文章に仕上げたものである(甲6)。  そうすると、上記座談会については原告Aの個性が表れており、同原告の創作的関与が されたもので、同文章につき原告Aは少なくとも共同著作物の著作者の権利を有するもの ということができる。  イ しかしながら、被引用部分2についてみると、Fが小学校1年生当時、1か月に5 銭の献金をしたという事実を表明した部分にすぎず、表現それ自体とはいえない上、同部 分に創作性を認めることは困難である。  そうすると、被告Dが被引用部分2を利用したとしても、表現それ自体ではない部分又 は創作性のない部分を利用したに止まるから、原告Aの権利を侵害したということはでき ない。  (4) 小括  以上のとおり、その余の点について判断するまでもなく、原告Aが被引用部分について 共同著作物の著作者の権利を有することを根拠とする原告Aの請求には理由がない。 3 争点(5)(被告らの不法行為の有無)について  (1) 証拠(甲1、2、乙3)によれば、被告書籍の概要及び発刊の目的、被告書籍中 の記載に関し、次の事実が認められる。  ア 被告書籍中では本件文集中の記載が引用されているが、引用する部分と引用された 部分の関係は、第4刷までは別紙引用部分一覧表番号1ないし8記載のとおりであり、第 5刷以降については、引用部分8が削除され、同一覧表1ないし7記載のとおりである。  イ 被告書籍は、戦前の朝鮮半島における日本人の活動等について論及したものである が、冒頭の「はじめに」では、「日本による朝鮮侵略は、軍人たちによってのみ行なわれ たわけではなかった。むしろ、名もない人々の『草の根の侵略』『草の根の植民地支配』 によって支えられていたのである。その意味で、政治家や軍人たちによってそそのかされ たとはいえ、日本の庶民が数多く朝鮮へ渡ったことは、日本の植民地支配の強靱性の根拠 になった。」と述べられている。  そして、発刊の目的が、@我が国の植民地支配の特色を実証的に明らかにし、Aこれま であまり知られていない在朝日本人の言動を描き出して、日本の朝鮮政策や日本人の朝鮮 観に与えた影響を探り、B在朝日本人の振る舞いが朝鮮人の目にどのように映っていたか を考えることであるなどと述べられている。  ウ 被告書籍の「はじめに」を除くと7番目の章にあたる「Z 『内鮮一体』の現実」 は、満州事変以後終戦までの期間につき、朝鮮半島に在住していた日本人たちの行動を記 載したものであり、かかる日本人たちが軍人たちと一体となって、朝鮮半島の植民地支配 を支えていたという被告Dの見解を例証する内容のものである。この章の「小学校と普通 学校」と題する文章の中で、引用部分1ないし6が引用されている。  エ 最後の章である「おわりに」は、概ね戦前の朝鮮半島に在住していた日本人が戦後 にどのような行動をとっているかについて言及した部分であるが、この中で、被告Dは、 戦前に朝鮮半島に在住していた日本人が自らの朝鮮在住時代に対してどのように接するか につき、3つのタイプに分類している。すなわち、被告Dは、「自分たちの行動は立派な ものだったとするもの」を第1のタイプ、「無邪気に朝鮮時代を懐かしむもの」を第2の タイプ、「自己批判しているもの」を第3のタイプとしており、これら3つのタイプにつ いて例示している。  そして、この章の「第二のタイプ」と題する文章の中で、「それらを見ていると、次の ような一節にぶつかることも多い。」と前置きした上で、第4刷までは本件引用部分7及 び8が、第5刷以降は本件引用部分7のみが具体例としてそれぞれ挙げられており、さら にその記載の直後に、「朝鮮人がこれを読んだら、どう思うだろうか。これら、『植民地 下で通学していた昔の子供たちであるいまの年老いた日本人たちは、時には事前の連絡も なしに一〇人ぐらいまとまって学校へやって来て、放っておくと懐かしがりながら授業中 でも勝手に学校の中を歩きまわる』ことがあり、韓国で顰蹙をかっている(中野茂樹、三 八)。」との記載がある。  (2) 名誉毀損について  ア そもそも、被告書籍には、原告ら個人に関する事実や評価が記載されてはいないか ら、被告書籍によって直接原告らの社会的評価が低下することは、およそ考えられない。  この点について、原告らは三坂小学校の元生徒らの社会的評価の低下のおそれをいうが、 被告書籍中に原告らの氏名は記載されておらず、また原告らが三坂小学校の元生徒である ことは、三坂小学校の関係者以外には一般には明らかでない上、本件文集の入手が容易で あったと認めるに足りる証拠もないから、引用部分1ないし8の記載内容によって直ちに 三坂小学校の元生徒である原告ら個々人の社会的評価が客観的に低下するとは言い難い。  イ なお、他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観 的な社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り 専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の 主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評 としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠く。そして、意見な いし論評が他人の著作物に関するものである場合は、上記著作物の内容自体が意見ないし 論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の 引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でない との理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解される(最高裁平成6年 (オ)第1082号同10年7月17日第二小法廷判決・裁判集民事189号267頁)。  前記(1)認定の事実によれば、引用部分1ないし6は、戦前の朝鮮半島在住日本人の植 民地支配加担の具体例という位置付けで記載されているものと解されなくもない。しかし ながら、本件においては、上記各引用部分の記載内容は、被告Dの見解を例証する歴史的 事実であり、その引用紹介が全体として正確性を欠くものとはいえないから、これが違法 となることはない。  また、引用部分7及び8は、戦前の朝鮮半島在住日本人のうちの一部の者が戦後に行っ ている無邪気な言動により、韓国人の心情が害されているとの趣旨で記述されている。し かしながら、本件においては、これらの各引用部分の記載が原告らに対する人身攻撃に及 ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものとはいえない。  ウ したがって、被告書籍の執筆・発行は原告らの名誉を毀損する不法行為に当たるも のではない。  (3) 名誉感情の侵害について  表現行為が著しく侮辱的、誹謗中傷的であって、社会通念上許される限度を超え、一般 的に他人の名誉感情を侵害するに足りると認められる場合でない限り、名誉感情の侵害を 理由とする不法行為は成立しないというべきである。  本件においては、前記(2)と同様、本件各引用部分の記載内容によっても原告らが表現 行為の相手方になっているかどうかは明らかでなく、社会通念上許される限度を超えてい るとはいい難いから、被告書籍の執筆、発行は、原告らの名誉感情を侵害する不法行為に 当たるとはいえない。  (4) 小括  以上のとおり、被告Dの行為が名誉毀損にも名誉感情の侵害にも当たらない以上、被告 会社の行為も不法行為には当たらない。よって、名誉毀損及び名誉感情の侵害を理由とす る請求は、いずれも理由がない。 4 結論  以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由 がないからこれらを棄却することとして、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第47部 裁判長裁判官 部 眞規子    裁判官 東海林保    裁判官 田邉 実