・最判平成18年1月20日  天理教事件:上告審  本件は、上告人(天理教)が、「天理教豊文教会」との名称を使用する被上告人(天理 教豊文教会)の行為は、不正競争防止法2条1項1号又は2号所定の不正競争に該当し、 又は上告人の名称権を侵害するものであるとして、被上告人に対し、「天理教豊文教会」 その他の「天理教」を含む名称の使用の差止め及び名称の登記の抹消登記手続を求めた事 案である。  判決は、布教法上の請求に関して、「ここでいう『営業』の意義は、取引社会における 競争関係を前提とするものとして解釈されるべきであり、したがって、上記『営業』は、 宗教法人の本来的な宗教活動及びこれと密接不可分の関係にある事業を含まない」として これを否定し、また名称権については、「宗教法人は、その名称を他の宗教法人等に冒用 されない権利を有し、これを違法に侵害されたときは、加害者に対し、侵害行為の差止め を求めることができる」としたものの、「被上告人が上告人の名称と類似性のある名称を 使用することによって、上告人に少なからぬ不利益が生ずるとしても、上告人の名称を冒 用されない権利が違法に侵害されたということはできない」としてこれも否定した。結局、 すべての請求を棄却。 ■判決文 第2 上告代理人今中道信ほかの上告受理申立て理由第1点について  不正競争防止法1条は、同法の目的が、事業者間の公正な競争及びこれに関する国際約 束の的確な実施を確保するため、不正競争の防止及び不正競争に係る損害賠償に関する措 置等を講じ、もって国民経済の健全な発展に寄与することにあると定める。また、「19 00年12月14日にブラッセルで、1911年6月2日にワシントンで、1925年1 1月6日にヘーグで、1934年6月2日にロンドンで、1958年10月31日にリス ボンで及び1967年7月14日にストックホルムで改正された工業所有権の保護に関す る1883年3月20日のパリ条約」は、「工業上又は商業上の公正な慣習に反するすべ ての競争行為は、不正競争行為を構成する」と規定し(10条の2(2))、このような不 正競争行為の防止を工業所有権の保護の対象と位置付ける(1条(2))とともに、各同盟 国が同盟国の国民を不正競争から有効に保護すべきことを要請する(10条の2(1))。 昭和9年に制定された旧不正競争防止法(平成5年法律第47号による改正前のもの)は、 ヘーグでの改正に係る上記条約の要請を踏まえて制定されたものである。これらの規定や 旧不正競争防止法以来の沿革等に照らすと、不正競争防止法は、営業の自由の保障の下で 自由競争が行われる取引社会を前提に、経済活動を行う事業者間の競争が自由競争の範囲 を逸脱して濫用的に行われ、あるいは、社会全体の公正な競争秩序を破壊するものである 場合に、これを不正競争として防止しようとするものにほかならないと解される。そうす ると、同法の適用は、上記のような意味での競争秩序を維持すべき分野に広く認める必要 があり、社会通念上営利事業といえないものであるからといって、当然に同法の適用を免 れるものではないが、他方、そもそも取引社会における事業活動と評価することができな いようなものについてまで、同法による規律が及ぶものではないというべきである。これ を宗教法人の活動についてみるに、宗教儀礼の執行や教義の普及伝道活動等の本来的な宗 教活動に関しては、営業の自由の保障の下で自由競争が行われる取引社会を前提とするも のではなく、不正競争防止法の対象とする競争秩序の維持を観念することはできないもの であるから、取引社会における事業活動と評価することはできず、同法の適用の対象外で あると解するのが相当である。また、それ自体を取り上げれば収益事業と認められるもの であっても、教義の普及伝道のために行われる出版、講演等本来的な宗教活動と密接不可 分の関係にあると認められる事業についても、本来的な宗教活動と切り離してこれと別異 に取り扱うことは適切でないから、同法の適用の対象外であると解するのが相当である。 これに対し、例えば、宗教法人が行う収益事業(宗教法人法6条2項参照)としての駐車 場業のように、取引社会における競争関係という観点からみた場合に他の主体が行う事業 と変わりがないものについては、不正競争防止法の適用の対象となり得るというべきであ る。  不正競争防止法2条1項1号、2号は、他人の商品等表示(人の業務に係る氏名、商号、 商標、標章、商品の容器若しくは包装その他の商品又は営業を表示するもの)と同一若し くは類似のものを使用し、又はその商品等表示を使用した商品を譲渡するなどの行為を不 正競争に該当するものと規定しているが、不正競争防止法についての上記理解によれば、 ここでいう「営業」の意義は、取引社会における競争関係を前提とするものとして解釈さ れるべきであり、したがって、上記「営業」は、宗教法人の本来的な宗教活動及びこれと 密接不可分の関係にある事業を含まないと解するのが相当である。  被上告人が「天理教豊文教会」の名称を使用して実際に行っている活動が、朝夕の勤行、 月次例祭等の年中行事などの本来的な宗教活動にとどまっており、被上告人は現在収益事 業を行っておらず、近い将来これを行う予定もないことは前記のとおりであるから、上記 名称は、不正競争防止法2条1項1号、2号にいう「商品等表示」に当たるとはいえず、 上記名称を使用する被上告人の行為は同各号所定の不正競争には当たらないものというべ きである。これと同旨をいう原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採 用することができない。 第3 上告代理人今中道信ほかの上告受理申立て理由第5点から第8点までについて  1 氏名は、その個人の人格の象徴であり、人格権の一内容を構成するものというべき であるから、人は、その氏名を他人に冒用されない権利を有する(最高裁昭和58年(オ) 第1311号同63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照)ところ、 これを違法に侵害された者は、加害者に対し、損害賠償を求めることができるほか、現に 行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止 めを求めることもできると解するのが相当である(最高裁昭和56年(オ)第609号同 61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。宗教法人も人格的利益を 有しており、その名称がその宗教法人を象徴するものとして保護されるべきことは、個人 の氏名と同様であるから、宗教法人は、その名称を他の宗教法人等に冒用されない権利を 有し、これを違法に侵害されたときは、加害者に対し、侵害行為の差止めを求めることが できると解すべきである。  他方で、宗教法人は、その名称に係る人格的利益の一内容として、名称を自由に選定し、 使用する自由(以下「名称使用の自由」という。)を有するものというべきである。そし て、宗教法人においては、その教義を簡潔に示す語を冠した名称が使用されることが多い が、これは、宗教法人がその教義によって他の宗教の宗教法人と識別される性格を有する からであると考えられるのであって、そのような名称を使用する合理性、必要性を認める ことができる。したがって、宗教法人の名称使用の自由には、その教義を簡潔に示す語を 冠した名称を使用することも含まれるものというべきである。そして、ある宗教法人(甲 宗教法人)の名称の保護は、他方において、他の宗教法人(乙宗教法人)の名称使用の自 由の制約を伴うことになるのであるから、上記差止めの可否の判断に当たっては、乙宗教 法人の名称使用の自由に対する配慮が不可欠となる。特に、甲、乙両宗教法人の名称にそ れぞれその教義を示す語が使用されている場合、上記差止めの可否の判断に際し、単に両 者の名称の同一性又は類似性のみに着目するとすれば、名称使用の自由を制限される乙宗 教法人は、その宗教活動を不当に制限されるという重大な不利益を受けることになりかね ず、また、宗教法人法が宗教法人の名称につき同一又は類似の名称の使用を禁止する規定 を設けなかった立法政策にも沿わないことになる。  したがって、甲宗教法人の名称と同一又は類似の名称を乙宗教法人が使用している場合 において、当該行為が甲宗教法人の名称を冒用されない権利を違法に侵害するものである か否かは、乙宗教法人の名称使用の自由に配慮し、両者の名称の同一性又は類似性だけで なく、甲宗教法人の名称の周知性の有無、程度、双方の名称の識別可能性、乙宗教法人に おいて当該名称を使用するに至った経緯、その使用態様等の諸事情を総合考慮して判断さ れなければならない。  2 これを本件についてみると、上告人の「天理教」との名称が周知であることは前記 のとおりであり、その名称を冒用された場合には、上告人に少なからぬ不利益が生ずるも のと解される。また、上告人のように、統一的な名称を有する多数の教会と被包括関係を 設定している宗教法人にあっては、その名称を冒用されない権利は、上告人と被包括関係 にある一般教会の「天理教・・・大教会」又は「天理教・・・分教会」という名称を冒用されな い権利も含むものと解されるが、これらの名称と、被上告人の「天理教豊文教会」との名 称が類似性を有し、紛らわしいものであることは明らかである。  しかしながら、前記事実関係によれば、被上告人は、宗教法人法に基づく宗教法人とな ってから約50年にわたり「天理教豊文分教会」の名称で宗教活動を行ってきたのであり、 その前身において「天理教豊文宣教所」等の名称を使用してきた時期も含めれば80年に もわたってその教義を示す「天理教」の語を冠した名称を使用していること、このような 中で、被上告人が従前の名称と連続性を有し、かつ、その教義も明らかにする名称を選定 しようとすれば、現在の名称と大同小異のものとならざるを得ないと解されること、被上 告人は、上告人との被包括関係の廃止により上告人と一線を画することになったとはいえ、 中山みきを教祖と仰ぎ、その教えを記した教典に基づいて宗教活動を行う宗教団体であり、 その信奉する教義は、社会一般の認識においては、「天理教」にほかならないと解される こと、被上告人において、上告人の名称の周知性を殊更に利用しようとするような不正な 目的をうかがわせる事情もないこと等が明らかである。そうすると、被上告人がその名称 にその教義を示す「天理教」の語を冠したことには相当性があり、また、そのような名称 の使用ができなくなった場合、被上告人の宗教活動に支障が生ずることは明らかであり、 その不利益は重大というべきである。「天理教」の語が教義を示すものである以上、教義 の普及と拡散に伴い、上告人において「天理教」の語を含む名称を独占することができな くなったとしても、宗教法人の性格上やむを得ない面があることも認めざるを得ない。  以上の諸点を総合考慮すると、本件においては、被上告人が上告人の名称と類似性のあ る名称を使用することによって、上告人に少なからぬ不利益が生ずるとしても、上告人の 名称を冒用されない権利が違法に侵害されたということはできない。上告人の名称を冒用 されない権利に基づく差止請求を棄却した原審の判断は、以上の趣旨をいうものとして、 是認することができる。論旨は採用することができない。  よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 裁判長裁判官 今井 功    裁判官 滝井 繁男    裁判官 津野 修    裁判官 中川 了滋    裁判官 古田佑紀