・知財高判平成18年2月27日  ジョン万次郎像事件:控訴審  本件は、彫刻家であるX(西常雄)が、Y(大谷憲智)から、ジョン万次郎像(昭和4 3年完成・高知県土佐清水市)および岡野豪夫像(昭和45年完成)の制作を依頼され、 その塑像を制作したにもかかわらず、上記各銅像の台座部分には、Yの通称「大谷研」が 表示されているとして、Yに対し、@本件各銅像についてXが著作者人格権(氏名表示権) を有することの確認と、A銅像の所有者ないし管理者である土佐清水市長または株式会社 駿河銀行に対し各銅像の制作者がXであること及びその表示をXに改めるよう通知するこ と、ならびに、B謝罪広告を、それぞれ求めた事案である。  原判決は、上記請求のうち、請求@、および請求Aのうち本件各銅像の所有者等宛に本 件各銅像の著作者がXであることを通知させる限度で、これを認容した。 (第一審:東京地判平成17年6月23日) ■判決文 第4 当裁判所の判断  1 当裁判所も、一審原告の本訴請求は、原判決主文第1項ないし第3項の限度で理由 があると判断する。その理由は、当審における一審被告(控訴人・当審反訴原告)の主張 に対する判断として付加するほか、原裁判の「事実及び理由」第4記載のとおりであるか ら、これを引用する。  また、一審原告の当審における反訴請求については、前記本訴請求に対する判断におい て説示したとおり、本件各銅像の著作者は、一審被告ではなく一審原告であると判断する。 2 当審における一審被告(控訴人・当審反訴原告)の主張に対する判断  (1) 本件各銅像の著作者  ア 著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術 又は音楽の範囲に属するもの」をいい(著作権法2条1項1号)、著作者とは、「著作物 を創作する者をいう」のであるから(同項2号)、美術品である本件各銅像については、 本件各銅像を創作した者をその著作者と認めるべきである。そして本件各銅像のようなブ ロンズ像は、塑像の作成、石膏取り、鋳造という3つの工程を経て制作されるものである が、その表現が確定するのは塑像の段階であるから、塑像を制作した者、すなわち、塑像 における創作的表現を行った者が当該銅像の著作者というべきである。そこで、以上の見 解に立って、以下の検討を進める。  イ 制作への複数の関与者が存在する場合と著作権法14条との関係(一審被告の主張 ア(ア)、イ(ア))  一審被告は、創作的表現を行ったと主張するものが複数関与する場合であって、その一 方当事者につき著作権法14条による推定が働いている場合にあっては、推定を受けない 他方当事者が自らの単独著作を主張するためには、双方とも著作者である可能性がある以 上、当該著作物が自らの著作物であることを主張・立証することに加え、当該著作物が推 定を受けている者の著作物ではないことまでを主張・立証する必要がある、と主張する。  著作権法14条は、「著作物の原作品に、又は著作物の公衆への提供若しくは提示の際 に、その氏名若しくは名称(以下「実名」という。)又はその雅号、筆名、略称その他実 名に代えて用いられるもの(以下「変名」という。)として周知のものが著作者名として 通常の方法により表示されている者は、その著作物の著作者と推定する。」と規定してい るところ、ジョン万次郎像においては一審被告の通称である「X」と(甲4、乙63)、 P像においては「X」と(甲6。「X」は「X」の誤記と認める。)、それぞれ記入されて いるから、一審被告は、上記規定により、本件各銅像の著作者であるとの推定を受けるこ とになる。  ところで、上記規定は、著作者として権利行使しようとする者の立証の負担を軽減する ため、自らが創作したことの立証に代えて、著作物に実名等の表示があれば著作者と推定 するというものであるが、同規定の文言からして「推定する」というものにすぎず、推定 の効果を争う者が反対事実の証明に成功すれば、推定とは逆の認定をして差し支えないこ とになる。この理は、創作的表現を行ったと主張するものが複数関与する場合であっても 異なるところはないというべきであって、一審被告の上記主張は、独自の見解というほか なく、採用することができない。  そして、原裁判及び後に述べる説示のとおり、原審及び当審における各証拠を精査すれ ば、本件各銅像の塑像制作について創作的表現を行なった者は一審原告のみであって、一 審被告は塑像の制作工程において一審原告の助手として準備をしたり粘土付け等に関与し ただけであると認めることができるのであるから、一審原告はいわば反対事実の証明に成 功したのであった、同規定にかかわらず、一審被告に対し自らが著作者であることを主張 できることになる。  ウ 事実認定に関する一審被告の主張について 《中略》 (2) 一審被告名義での公表に関する合意の有無について  ア 一審被告は、一審原告が本件各銅像に一審被告の署名が入っていたことを当初より 認識していたにもかかわらず、30年以上もの長期にわたり何ら異議を述べていなかった 等の事情からすれば、一審被告と一審原告との間には、本件各銅像につき、一審被告名義 で公表することについての明示又は黙示の合意(本件合意)が存在したことが認められ、 本件合意の効果として、一審原告はその事実を第三者に対して明らかにすることは許され ず、したがって、本件通知請求は認められないことになると主張する。  これに対し、一審原告は、本件の審理経過に照らせば、一審被告による「本件合意」の 主張は、明らかに時機に後れた防御方法であって、却下を免れないものであると主張する。  イ まず一審被告の前記主張が時機に後れたものであるかどうかについて検討すると、 一審被告が当審に至り上記主張を追加したからといって、当然に訴訟の完結を遅延させる ことはないのみならず、現に特段の立証方法の追加がなされた事実は認められないから、 時機に後れたとする一審原告の上記主張は採用することができない。  ウ そこで、進んで本件合意に関する一審被告の上記主張について検討する。  本件各銅像が制作された経緯はジョン万次郎像について原判決26頁8行目ないし33 頁下3行目、Pについて同48頁12行目ないし52頁16行目のとおりであり、一審原 告は、ジョン万次郎像についてはその制作直後から像の台座部分に一審被告のサインがあ り、その備え付け石板にも、制作者として一審被告の名前が記入されていることは認識し ていたが、一審被告と注文者との関係を考慮して異議を述べなかったにすぎない。一方、 P像について一審原告は、制作者が同原告であることの証拠を残そうという思いと、ジョ ン万次郎像について一審被告から報酬を受領していないことに対する抗議の気持ちから、 P像の頭頂部に「Y」と一審原告のサインを刻したのであり、これらの事情に照らせば、 明示的にはもちろん、黙示的にも、一審被告が主張するような本件合意が成立したとまで 認めることはできない。  加えて、著作者人格権としての氏名表示権(著作権法19条)については、著作者が他 人名義で表示することを許容する規定が設けられていないのみならず、著作者ではない者 の実名等を表示した著作物の複製物を頒布する氏名表示権侵害行為については、公衆を欺 くものとして刑事罰の対象となり得ることをも別途定めていること(同法121条)から すると、氏名表示権は、著作者の自由な処分にすべて委ねられているわけではなく、むし ろ、著作物あるいはその複製物には、真の著作者名を表示をすることが公益上の理由から も求められているものと解すべきである。したがって、仮に一審被告と一審原告との間に 本件各銅像につき一審被告名義で公表することについて本件合意が認められたとしても、 そのような合意は、公の秩序を定めた前記各規定(強行規定)の趣旨に反し無効というべ きである。  一審被告は、著作権法19条が氏名表示権の行使の一内容として、明文を以て著作者の 変名を表示することや著作者名を表示しないことも認めていることを理由に、真の著作者 名を表示することが公益上の理由からも求められていると解することは妥当でないとも主 張するが、著作権法は、真の著作者の変名表示や非表示を認めるにすぎず、真の著作者で はない者を著作者と表示することまでも許容する趣旨ではないから、一審被告の上記主張 は採用することができない。 (3) 本件通知請求の当否について  ア 一審被告は、原判決は本件各銅像の著作者が一審原告であることを前提として本件 通知請求を認容したが、その前提が誤りである、あるいは、仮に一審被告が本件各銅像の 共同著作者であって一審原告も本件各銅像の著作者であるとしても、原判決の認めた本件 通知請求の内容(原判決別紙通知目録(1)及び(2)の各記載内容)は、一審被告が制作者 (共同著作者)でないことをその内容とするものであるから、誤った内容であると主張す る。  しかしながら、本件各銅像の著作者が一審原告であり、一審被告は共同著作者とも認め られないことは上記認定のとおりであるから、一審被告の上記主張は、その前提自体が誤 りであるというほかない。  イ また、一審被告は、本件合意の効果として一審原告が本件各銅像の著作者(ないし 共同著作者)であるという事実を第三者に対して明らかにすることは許されないというべ きであるとも主張するが、本件合意が認められないこと、仮に本件合意が認められるとし てもそのような合意が無効であることは、上記(2)ウのとおりである。  ウ さらに、一審被告は、本件通知請求を認めても、本件通知請求を認めない場合と比 して、一審原告の名誉回復等に役に立つといった事情は本件では認められず、本件通知請 求を認めたとしても、これにより一審原告の名誉回復等に直接に役立たないから、本件通 知請求に係る通知は著作権法115条にいう「適当な措置」には該当しないと主張する。  なるほど、本件各銅像の所有者等である土佐清水市や駿河銀行は、本件訴訟の当事者で はないから、本件通知がなされたからといってこれに従う法的義務はないが、本件判決に より現に制作者として表示されている一審被告から本件通知がなされれば(一審被告が任 意にこれを履行しないときは、民事執行法174条によりこれを擬制することができる。)、 土佐清水市又は駿河銀行は本件各銅像の制作者表示を変更することが容易になると認めら れ、そうである以上、本件通知が一審原告の名誉回復のため適当な措置ということになる。 したがって、原判決の認めた本件通知請求は著作権法115条にいう「適当な措置」とし て認められるものと解すべきである。  エ また一審被告は、著作権法115条に基づく名誉回復等の措置が認められるために は侵害者の「故意又は過失」が要求されるところ、本件では一審被告は本件合意が存在す ると考えて本件各銅像に署名を行っていたのであり、本件合意が存在すると信じるにつき 相当の理由があるので、一審被告には一審原告の著作者人格権を侵害する故意も過失も認 められないとも主張する。  しかし、本件合意が成立したと認められないことは上記のとおりであるところ、上記認 定の本件各銅像が制作された経緯(ジョン万次郎像について原判決26頁8行目〜33頁 下3行目、P像について同48頁12行目〜52頁16行目)に照らせば、一審被告は、 本件各銅像に署名を行なった際、一審原告が本件各銅像の著作者であることを認識し得た ことは明らかであり、それにもかかわらず将来一般に展示されることが予定されている本 件各銅像に署名を行ったものであるから、一審被告には、一審原告の著作者人格権(氏名 表示権)を侵害することにつき、少なくとも過失があったものと認められる。したがって、 一審被告の上記主張も理由がない。 (4) 権利濫用等の有無について  一審被告は、本件の事情にかんがみれば、本件においては、一審被告が一審原告の氏名 表示権に基づく権利行使が行なわれないと信頼すべき正当な事由が存在するというべきで あって、権利失効の原則に基づき、あるいは権利濫用(民法1条3項)として、一審原告の 著作者人格権に基づく各請求は否定されるべきであると主張する。  しかし、上記のとおり氏名表示権については、著作者の自由な処分にすべて委ねられて いるわけではなく、むしろ、著作物には真実に即した著作者の氏名表示をすることが公益 上の要請から求められていることにかんがみると、一審原告が本件各銅像に一審被告の署 名が入っていたことを当初より認識していたにもかかわらず30年以上の間何ら異議を述 べていなかった等の事情があるとしても、一審被告は依頼者から本件各銅像の制作につい て高額の報酬を受領しながら、原告に対し何らの制作報酬も支払わないまま今日まで経過 してきたこと、その後、一審被告とその元妻J(昭和34年2月23日に婚姻し平成7年 10月9日に離婚。子2人。甲58)との離婚に関する給付金請求訴訟の過程で、平成1 4年5月8日ころ一審被告が一審原告を助手呼ばわりし(甲8、9)、一審原告の名誉感 情を毀損したことを発端として本訴に至ったこと等の事情を総合考慮すれば、本件におい ては、一審被告が一審原告の氏名表示権に基づく権利行使が行われないと信頼すべき正当 な事由が存在するとまでは認められず、また、一審原告の本訴請求が権利濫用に該当する ということもできない。  3 結論  以上によれば、原判決は相当であって、一審被告の本件控訴及び当審における反訴請求 はいずれも理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。 知的財産高等裁判所 第2部 裁判長裁判官 中野 哲弘    裁判官 岡本 岳    裁判官 上田 卓哉