・東京地判平成18年5月11日  江戸風俗図絵(豆腐屋)事件  江戸風俗研究家の亡B(三谷一馬)(平成17年没)は、本件原画「豆腐屋」の浮世絵 を模写して原告絵画を製作した者である。亡Bからその著作権等を相続により取得した原 告(亡Bの長男)は、被告(日本ビーンズ株式会社)が製造販売する豆腐「濃い絹」等の パッケージにおいて、原告絵画を亡Bに無断で複製して使用したのみならず、亡Bが江戸 時代の画家であるかのような虚偽の氏名表示をしたとして、被告に対し、原告絵画の著作 権侵害および氏名表示権侵害等に基づく損害賠償請求として合計2億7640万8264 円のうち2000万円の支払を求めた事案である。  判決は、「模写作品が単に原画に付与された創作的表現を再現しただけのものであり、 新たな創作的表現が付与されたものと認められない場合には、原画の複製物であると解す べき」とした上で、「原告絵画は、本件原画の模写の範囲を超えて、これに亡Bにより何 らかの創作的表現が付与された二次的著作物であると認めることはできず、本件原画の複 製物にすぎないものといわざるを得ない」として、原告の請求を棄却した。 ■争 点 (1) 原告絵画の著作物性(原告の主位的主張:争点1) (2) 原告絵画の著作物性(原告の予備的主張:争点2) (3) 原告絵画の複製権侵害の成否(争点3) (4) 原告絵画の著作者人格権侵害の成否(争点4) (5) 原告の損害(争点5) ■判決文 第4 当裁判所の判断 1 争点1(原告絵画の著作物性・原告の主位的主張)について (1)ア 原告絵画が、本件原画を模写して作成されたことについては、当事者 間に争いがない。「模写」とは、「まねてうつすこと。また、そのうつし とったもの。」(岩波書店「広辞苑」参照)を意味するから、絵画におけ る模写とは、一般に、原画に依拠し、原画における創作的表現を再現する 行為、又は、再現したものを意味するものというべきである。したがって、 模写作品が単に原画に付与された創作的表現を再現しただけのものであ り、新たな創作的表現が付与されたものと認められない場合には、原画の 複製物であると解すべきである。これに対し、模写作品に、原画制作者に よって付与された創作的表現とは異なる、模写制作者による新たな創作的 表現が付与されている場合、すなわち、既存の著作物である原画に依拠し、 かつ、その表現上の本質的特徴の同一性を維持しつつ、その具体的表現に 修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現するこ とにより、これに接する者が原画の表現上の本質的特徴を直接感得するこ とができると同時に新たに別な創作的表現を感得し得ると評価することが できる場合には、これは上記の意味の「模写」を超えるものであり、その 模写作品は原画の二次的著作物として著作物性を有するものと解すべきで ある。 イ 機械や複写紙を用いて原画を忠実に模写した場合には、模写制作者によ る新たな創作性の付与がないことは明らかであるから、その模写作品は原 画の複製物にすぎない。また、模写制作者が自らの手により原画を模写し た場合においても、原画に依拠し、その創作的表現を再現したにすぎない 場合には、具体的な表現において多少の修正、増減、変更等が加えられた としても、模写作品が原画と表現上の実質的同一性を有している以上は、 当該模写作品は原画の複製物というべきである。すなわち、模写作品と原 画との間に差異が認められたとしても、その差異が模写制作者による新た な創作的表現とは認められず、なお原画と模写作品との間に表現上の実質 的同一性が存在し、原画から感得される創作的表現のみが模写作品から覚 知されるにすぎない場合には、模写作品は、原画の複製物にすぎず、著作 物性を有しないというべきである。 ウ 原告は、機械的模写でない限り、模写については模写制作者による創作 性が認められることは、模写制作の各過程(認識行為と再現行為)におい て、それぞれ模写制作者の創作性が発揮されることからも明らかであるか ら、仮に原画と模写作品が酷似していても、常に創作性が認められると主 張する。  しかし、著作権法は、著作者による思想又は感情の創作的表現を保護す ることを目的としているのであるから、模写作品において、なお原画にお ける創作的表現のみが再現されているにすぎない場合には、当該模写作品 については、原画とは別個の著作物としてこれを著作権法上保護すべき理 由はないというべきである。したがって、原画と模写作品との間に表現上 の実質的同一性が存在する場合には、模写制作者が模写制作の過程におい てどのように原画を認識し、どのようにこれを再現したとしても、あるい は、模写行為自体に高度な描画的技法が採用されていたとしても、それら はいずれもその結果として原画の創作的表現を再現するためのものである にすぎず、模写制作者の個性がその模写作品に表現されているものではな い。  また、原告は、美術界における模写行為の創作性及びその芸術的意義を 強調し、尾形光琳と酒井抱一の各模写作品を比較検討し、その表現上の違 いから、尾形光琳らによる創作性の付与を指摘すると共に、尾形光琳の模 写作品は重要文化財として高く評価されているし、横山大観やゴッホらも 多くの模写作品を残しているとも主張する。しかし、模写作品が二次的著 作物として著作権法上の保護を与えられるべきか否かについては、個々の 模写作品毎に、著作権法に基づく法的な判断、すなわち、著作権法におけ る著作物性の概念を前提に判断されるべきであり、本件においては、本件 原画と比べた原告絵画の著作物性について論じれば足り、美術界において 論じられている模写行為の創作性及び模写作品の芸術的意義一般について 論じる必要性はないし、また、著名な画家が過去に制作した模写作品の著 作物性を本件において論じる必要性もない(尾形光琳と酒井抱一あるいは 横山大観、ゴッホらの各模写作品の著作物性については、別途詳細に議論 されるべき問題であり、本件においては、本訴の訴訟物である原告絵画の 著作物性について検討すべきである。)。原告絵画が本件原画の二次的著 作物か複製物にすぎないかは、本件原画と原告絵画を比較し、原告絵画に ついて新たな創作的表現が付与されたと認められるか否かにより判断すべ きである。 (2)以上によれば、原告の主位的主張は採用することができない。 2 争点2(原告絵画の著作物性・原告の予備的主張)について (1)原画と模写作品の相違点を前提とする模写作品の創作性について  争点1において述べたとおり、模写制作者が自らの手により原画を模写し た場合においても、原画に依拠し、その創作的表現を再現したにすぎない場 合には、具体的な表現において多少の修正、増減、変更等が加えられたとし ても、その差異が模写制作者による新たな創作的表現とは認められず、なお 原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在し、原画から感得され る創作的表現のみが模写作品から覚知されるにすぎない場合には、当該模写 作品は原画の複製物というべきであり、また、模写作品に、原画制作者によ って付与された創作的表現とは異なる、模写制作者による新たな創作的表現 が付与されている場合、すなわち、新たに思想又は感情を創作的に表現する ことにより、これに接する者が原画の表現上の本質的特徴を直接感得するこ とができると同時に新たに別な創作的表現を感得し得ると評価することがで きる場合には、その模写作品は原画の二次的著作物として著作物性を有する ものと解すべきである。以下、同判断基準に基づいて、原告絵画の著作物性 の有無について判断する。 (2)原告絵画の著作物性について ア 本件原画は、「近世職人尽絵巻」に収録された鍬形惠斎筆に係る江戸時 代の豆腐屋の店先の様子を描いた浮世絵である。本件原画においては、@ 絵の右側中央に、眠っている幼児を背負った女性が、下駄を履き、力を入 れるために前傾姿勢を取りながら、あらかじめ水につけておいた豆を石臼 でひいている様子、及び、同女性が前傾姿勢を取っているため眠っている 幼児の首が後ろに傾いている様子、A絵の中央左側にいる男性が、石臼で ひいた豆を入れた木綿袋から、棒を利用してその汁を搾るために、棒の上 に腰をかけ、自分の体重を利用して汁を搾っている様子、及び、その男性 が力を込めているため、その首が肩にめりこみ、極端な怒り肩に描かれて いる様子、B絵の右上の奥の座敷の上では、数珠を右耳に掛け、腰が曲が った老婆が畳に座りながら油揚げを揚げている様子、並びに、C江戸時代 の豆腐屋の店先の様子として、絵の左側の桶と豆腐を固める長方形の箱、 豆腐を入れる箱、包丁、絵の中央のかまど、絵の右側の簀の子に乗せられ た油揚げ、絵の中央上部の天井から下がっている八間と呼ばれた照明、老 婆の後ろの屏風やそのほかの小物類などが細かく描写されている(甲1 3)。本件原画においては、上記のような姿態の男性と幼児を背負った女 性及び老婆の3人の特徴的・個性的な姿態がいずれも浮世絵に特徴的なダ イナミックな表現方法で生き生きと躍動的に描かれている点、及び、江戸 時代の豆腐屋の店先の様子が細かく具体的に描写されている点が大きな特 徴となっている。 イ 原告絵画は、亡B著の、江戸時代の商売の様子を描いた絵画とその解説 文を掲載した書籍である「定本江戸商売図絵」(甲1、検甲1)に発表さ れたものである。原告絵画は、本件原画の模写作品であるため、本件原画 における上記@ないしCの特徴的な表現はすべて再現されている。すなわ ち、原告絵画においては、@絵の右側中央に、眠っている幼児を背負った 女性が、下駄を履き、力を入れるために前傾姿勢を取りながら、あらかじ め水につけておいた豆を石臼でひいている様子、及び、同女性が前傾姿勢 を取っているため眠っている幼児の首が後ろに傾いている様子、A絵の中 央左側にいる男性が、石臼でひいた豆を入れた木綿袋から、棒を利用して その汁を搾るために、棒の上に腰をかけ、自分の体重を利用して汁を搾っ ている様子、及び、その男性が力を込めているため、その首が肩にめりこ み、極端な怒り肩に描かれている様子、B絵の右上の奥の座敷の上では、 数珠を右耳に掛け、腰が曲がった老婆が油揚げを揚げている様子、並びに、 C江戸時代の豆腐屋の店先の様子として、絵の左側の桶と豆腐を固める長 方形の箱、豆腐を入れる箱、包丁、絵の中央のかまど、絵の右側の簀の子 に乗せられた油揚げ、絵の中央上部の天井から下がっている八間と呼ばれ た照明、老婆の後ろの屏風やそのほかの小物類などが本件原画と同様に細 かく描写されている(甲1、甲13)。 ウ 上記のとおり、原告絵画を本件原画と比較すれば、原告絵画が本件原画 の模写作品であるため、江戸時代の豆腐屋の店先における日常の出来事を 躍動的に描こうとした本件原画の特徴的な表現をそのまま再現しているも のというべきであり、その間に実質的同一性があることは明らかである。 そして、次に述べるとおり、原告絵画においては、本件原画にはない創作 的な表現が付加されているものと認めることはできない。 原告絵画においては、確かにこれを詳細に見れば、本件原画における、 男性の頭が肩にめり込み、怒り肩になっていた浮世絵に特徴的な誇張的表 現を、首のめり込む程度を若干減らし、怒り肩も若干盛り上がりを抑えた 表現で描かれているものの(甲1、甲13)、全体的に見ると両者の差異 は細部における僅かなものであり、これを原告絵画における創作的な表現 とみることは到底できないものである。また、原告絵画においては、女性 に背負われた幼児の頭が反り返った程度が、若干抑えられて描かれている ものの(甲1、甲13)、これにより、石臼をひくために前傾姿勢を取っ ている女性と首を後ろに傾かせて寝ている幼児とのバランスに特段の変化 が生じているということもできず、これを原告絵画における創作的な表現 とみることもできない。さらに、画面右側上部の奥座敷に座り、油揚げを 揚げている老婆については、本件原画より原告絵画の方が若干小さく描か れているほか、顔のしわなどの描写が多少簡略化して描かれているものの (甲1、甲13)、顔のしわの描写については単に簡略化されただけであ るとの印象を否定することはできず、老婆の体の大きさがやや小さめに描 かれているとしても、その姿態から着物の柄に至るまで実質的に同一であ り、そこに何らかの創作的な表現が付加されたことを肯定することはやは り困難である。またさらに、豆腐屋の店舗の様子についても、画面左下に ある豆腐を入れる箱の上部四隅の金具、屋根、屏風の色ないし明暗、及び 登場人物の着物の色などにおいて、異なる部分があるものの(甲1、甲1 3)、これらは原告絵画において、精密な描写を省略し、若干の簡略化が なされたという程度のものであるとの印象を否定することはできず、そこ に何らかの創作的な表現が付加されたものということはできない。 (3)以上によれば、原告絵画は、本件原画の模写の範囲を超えて、これに亡 Bにより何らかの創作的表現が付与された二次的著作物であると認めること はできず、本件原画の複製物にすぎないものといわざるを得ない。 3 争点3(原告絵画の複製権侵害の成否)及び争点4(原告絵画の著作者人格 権侵害の成否)について  前記認定のとおり、原告絵画については著作物性を認めることができないの であるから、原告が主張する複製権侵害も、亡Bの著作者人格権(氏名表示権) 侵害も、いずれも成立しない。  なお、被告が被告各パッケージに「江戸時代B画」と表記したのは、亡B著 の「定本江戸商売図絵」の80頁の原告絵画の下に「出典・絵巻物『近世職人 尽絵詞』文化二年鍬形恵斎画」と記載されていることなどから、原告絵画を 既に著作権が消滅している江戸時代の絵と漫然と誤信したことによるものと認 められる(甲7、8、検甲1の80頁)。すなわち、このことは、被告が、原 告絵画が江戸時代の豆腐屋の様子を描いた本件原画を現代において模写した作 品であるとは知らないまま、被告各パッケージに原告絵画を使用したことを推 認させるものであり、被告が仮に本件原画とその模写作品である原告絵画の両 方の存在を知っていたならば、著作権が既に消滅している江戸時代の豆腐屋の 様子を描いた浮世絵である本件原画を被告各パッケージに使用していたことを も推認させるものである。被告は、被告各パッケージに江戸時代の豆腐屋を描 いた絵を使用したかったにすぎないのであり、被告が本件原画と原告絵画とを 比較し、その細部における差異、すなわち、本訴において原告が主張するとこ ろの、本件原画にはない原告絵画の創作的表現というような部分が存在するが 故に原告絵画を使用したわけではないことは、被告各パッケージにおいて、原 告絵画の複製物が「おぼろ豆腐二丁盛り」などの商品名の背景画として使用さ れ、3人の人物像の一部や絵の細部が不明瞭であること(乙1の1ないし5) からも明らかであるといわざるを得ない。被告各パッケージからは、原告が原 告絵画を二次的著作物と主張する根拠となる表現部分を看取することも困難な のである。 第5 結論  よって、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない から棄却することとし、訴訟費用の負担については、民訴法61条を適用し、 主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第46部 裁判長裁判官 設樂 隆一    裁判官 荒井 章光 裁判官鈴木千帆は、転官のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 設樂 隆一