・最判平成19年11月8日  キャノン・インクタンク事件:上告審  上告棄却 (第一審:東京地判平成16年12月8日、控訴審:知財高判平成18年1月31日) ■判決文  特許権者又は特許権者から許諾を受けた実施権者(以下、両者を併せて「特許権者等」 という。)が我が国において特許製品を譲渡した場合には、当該特許製品については特許 権はその目的を達成したものとして消尽し、もはや特許権の効力は、当該特許製品の使用、 譲渡等(特許法2条3項1号にいう使用、譲渡等、輸出若しくは輸入又は譲渡等の申出を いう。以下同じ。)には及ばず、特許権者は、当該特許製品について特許権を行使するこ とは許されないものと解するのが相当である。この場合、特許製品について譲渡を行う都 度特許権者の許諾を要するとすると、市場における特許製品の円滑な流通が妨げられ、か えって特許権者自身の利益を害し、ひいては特許法1条所定の特許法の目的にも反するこ とになる一方、特許権者は、特許発明の公開の代償を確保する機会が既に保障されている ものということができ、特許権者等から譲渡された特許製品について、特許権者がその流 通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しないからである(前掲最高 裁平成9年7月1日第三小法廷判決参照)。このような権利の消尽については、半導体集 積回路の回路配置に関する法律12条3項、種苗法21条4項において、明文で規定され ているところであり、特許権についても、これと同様の権利行使の制限が妥当するものと 解されるというべきである。  しかしながら、特許権の消尽により特許権の行使が制限される対象となるのは、飽くま で特許権者等が我が国において譲渡した特許製品そのものに限られるものであるから、特 許権者等が我が国において譲渡した特許製品につき加工や部材の交換がされ、それにより 当該特許製品と同一性を欠く特許製品が新たに製造されたものと認められるときは、特許 権者は、その特許製品について、特許権を行使することが許されるというべきである。そ して、上記にいう特許製品の新たな製造に当たるかどうかについては、当該特許製品の属 性、特許発明の内容、加工及び部材の交換の態様のほか、取引の実情等も総合考慮して判 断するのが相当であり、当該特許製品の属性としては、製品の機能、構造及び材質、用途、 耐用期間、使用態様が、加工及び部材の交換の態様としては、加工等がされた際の当該特 許製品の状態、加工の内容及び程度、交換された部材の耐用期間、当該部材の特許製品中 における技術的機能及び経済的価値が考慮の対象となるというべきである。  (2) 我が国の特許権者又はこれと同視し得る者(以下、両者を併せて「我が国の特許権 者等」という。)が国外において特許製品を譲渡した場合においては、特許権者は、譲受 人に対しては、譲受人との間で当該特許製品について販売先ないし使用地域から我が国を 除外する旨の合意をした場合を除き、譲受人から当該特許製品を譲り受けた第三者及びそ の後の転得者に対しては、譲受人との間で上記の合意をした上当該特許製品にこれを明確 に表示した場合を除いて、当該特許製品について我が国において特許権を行使することは 許されないものと解されるところ(前掲最高裁平成9年7月1日第三小法廷判決)、これ により特許権の行使が制限される対象となるのは、飽くまで我が国の特許権者等が国外に おいて譲渡した特許製品そのものに限られるものであることは、特許権者等が我が国にお いて特許製品を譲渡した場合と異ならない。そうすると、我が国の特許権者等が国外にお いて譲渡した特許製品につき加工や部材の交換がされ、それにより当該特許製品と同一性 を欠く特許製品が新たに製造されたものと認められるときは、特許権者は、その特許製品 について、我が国において特許権を行使することが許されるというべきである。そして、 上記にいう特許製品の新たな製造に当たるかどうかについては、特許権者等が我が国にお いて譲渡した特許製品につき加工や部材の交換がされた場合と同一の基準に従って判断す るのが相当である。  (3) これを本件についてみると、前記事実関係等によれば、被上告人は、被上告人製品 のインクタンクにインクを再充てんして再使用することとした場合には、印刷品位の低下 やプリンタ本体の故障等を生じさせるおそれもあることから、これを1回で使い切り、新 しいものと交換するものとしており、そのために被上告人製品にはインク補充のための開 口部が設けられておらず、そのような構造上、インクを再充てんするためにはインクタン ク本体に穴を開けることが不可欠であって、上告人製品の製品化の工程においても、本件 インクタンク本体の液体収納室の上面に穴を開け、そこからインクを注入した後にこれを ふさいでいるというのである。このような上告人製品の製品化の工程における加工等の態 様は、単に消耗品であるインクを補充しているというにとどまらず、インクタンク本体を インクの補充が可能となるように変形させるものにほかならない。  また、前記事実関係等によれば、被上告人製品は、インク自体が圧接部の界面において 空気の移動を妨げる障壁となる技術的役割を担っているところ、インクがある程度費消さ れると、圧接部の界面の一部又は全部がインクを保持しなくなるものであり、プリンタか ら取り外された使用済みの被上告人製品については、1週間〜10日程度が経過した後に は内部に残存するインクが固着するに至り、これにその状態のままインクを再充てんした 場合には、たとえ液体収納室全体及び負圧発生部材収納室の負圧発生部材の圧接部の界面 を超える部分までインクを充てんしたとしても、圧接部の界面において空気の移動を妨げ る障壁を形成するという機能が害されるというのである。そして、上告人製品においては、 本件インクタンク本体の内部を洗浄することにより、そこに固着していたインクが洗い流 され、圧接部の界面において空気の移動を妨げる障壁を形成する機能の回復が図られると ともに、使用開始前の被上告人製品と同程度の量のインクが充てんされることにより、イ ンクタンクの姿勢のいかんにかかわらず、圧接部の界面全体においてインクを保持するこ とができる状態が復元されているというのであるから、上告人製品の製品化の工程におけ る加工等の態様は、単に費消されたインクを再充てんしたというにとどまらず、使用済み の本件インクタンク本体を再使用し、本件発明の本質的部分に係る構成(構成要件H及び 構成要件K)を欠くに至った状態のものについて、これを再び充足させるものであるとい うことができ、本件発明の実質的な価値を再び実現し、開封前のインク漏れ防止という本 件発明の作用効果を新たに発揮させるものと評せざるを得ない。  これらのほか、インクタンクの取引の実情など前記事実関係等に現れた事情を総合的に 考慮すると、上告人製品については、加工前の被上告人製品と同一性を欠く特許製品が新 たに製造されたものと認めるのが相当である。したがって、特許権者等が我が国において 譲渡し、又は我が国の特許権者等が国外において譲渡した特許製品である被上告人製品の 使用済みインクタンク本体を利用して製品化された上告人製品については、本件特許権の 行使が制限される対象となるものではないから、本件特許権の特許権者である被上告人は、 本件特許権に基づいてその輸入、販売等の差止め及び廃棄を求めることができるというべ きである。  5 以上によれば、所論の点に関する原審の判断は、結論において正当であり、論旨は 採用することができない。  よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 裁判長裁判官 横尾 和子    裁判官 甲斐中辰夫    裁判官 泉  徳治    裁判官 才口 千晴    裁判官 涌井 紀夫