・東京地判平成19年12月14日  北朝鮮事件:第一審  本件は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国民が著作者である映画を、被告が、 その放送に係るニュース番組で使用したことについて、原告輸出入社(朝鮮映画輸出入 社)が、被告の上記行為は、同映画の著作権者である原告輸出入社の著作権(公衆送信 権)を侵害し、かつ、今後も侵害するおそれがあると主張して、被告に対し、いずれも 北朝鮮の国民が著作者であり、原告輸出入社が著作権を有すると主張する上記映画を含 む本件各映画著作物について、侵害の停止又は予防として放送の差止めを請求し、また、 原告らが、被告の上記行為は、原告輸出入社の著作権及び本件各映画著作物の日本国内 における使用等につき独占的な利用等の権利を有している原告有限会社カナリオ企画 (原告カナリオ)の利用許諾権を侵害する不法行為に当たると主張して、被告に対し、 損害賠償を請求した事案である。  これに対し、被告は、本案前の答弁として、北朝鮮の国民が著作者である著作物は我 が国が条約により保護の義務を負う著作物(著作権法6条3号)に当たらないなどと主 張し、請求棄却を求めた。  判決は、「ベルヌ条約3条(1)(a)の条項は、国際社会全体に対する権利義務に 関する事項を規定するものと解することができず、北朝鮮との関係で同条項の適用は認 められないから、結局、我が国は、同条項に基づき北朝鮮の著作物を保護する義務を負 わない」として、請求を棄却した。 (控訴審:知財高判平成20年12月24日) ■判決文  (4)我が国の著作権法による保護の可否について ア 北朝鮮の著作物である本件各映画著作物が、我が国の著作権法による保護を受ける ことができるか否かは、前記(2)で述べたように、本件各映画著作物が著作権法6条 3号にいう「条約によりわが国が保護の義務を負う著作物」に当たるか否か、すなわち、 我が国が未承認国である北朝鮮に対してベルヌ条約上の義務を負担するか否かの問題に 帰着する。  そこで、この点についてみると、現在の国際法秩序の下では、国は、国家として承認 されることにより、承認をした国家との関係において、国際法上の主体である国家、す なわち国際法上の権利義務が直接帰属する国家と認められる。逆に、国家として承認さ れていない国は、国際法上一定の権利を有することは否定されないものの、承認をしな い国家との間においては、国際法上の主体である国家間の権利義務関係は認められない ものと解される。  この理を多数国間条約における未承認国の加入の問題に及ぼすならば、未承認国は、 国家間の権利義務を定める多数国間条約に加入したとしても、同国を国家として承認し ていない国家との関係では、国際法上の主体である国家間の権利義務関係が認められて いない以上、原則として、当該条約に基づく権利義務を有しないと解すべきことになる。 未承認国が多数国間条約に加入したというだけで、承認をしない国家との間でそれまで 存在しないとされていた権利義務関係が、国家承認のないまま突然発生すると解するの は困難である。  我が国は、北朝鮮を国家として承認しておらず、我が国と北朝鮮との間に国際法上の 主体である国家間の権利義務関係が存在することを認めていない。したがって、北朝鮮 が国家間の権利義務を定める多数国間条約に加入したとしても、我が国と北朝鮮との間 に当該条約に基づく権利義務関係は基本的に生じないから、多数国間条約であるベルヌ 条約についても、同様に解することになる。 イ もっとも、未承認国であっても、国際社会において実体として存在していることは 否定されないから、国際法上の主体である国家間の権利義務関係が認められないからと いって、未承認国との関係において条約上の条項が一切適用されないと解することが妥 当でない場合があり得る。  我が国の外務省も、前記(3)イ(ア)のとおり、未承認国である北朝鮮との関係で は、我が国がベルヌ条約上の義務を負うことはないとしつつ、「多数国間条約のうち、 締約国によって構成される国際社会(条約社会)全体に対する権利義務に関する事項を 規定していると解される条項についてまで、北朝鮮がいかなる意味においても権利義務 を有しないというわけではない。具体的にどの条約のどの条項がこれに当たるかについ ては、個別具体的に判断する必要がある。」との見解を示している。  もとより、多数国間条約の条項のなかには、ジェノサイド条約(「集団殺害罪の防止 及び処罰に関する条約」)における集団殺害の防止(1条)や拷問等禁止条約(「拷問 及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約」)にお ける拷問の防止(2条)のように、条約当事国間の単なる便益の相互互換の範疇を超え て、普遍的な国際公益の実現を目的としたものが存在する。このように、条約上の条項 が個々の国家の便益を超えて国際社会全体に対する義務を定めている場合には、例外的 に、未承認国との間でも、その適用が認められると解される。なぜならば、人を殺すな かれとの命題が刑法の規定を待つまでもなく、社会規範として通用するのと同様に、本 来、こうした条項は、国家間の合意の有無にかかわらず、国際社会における規範として 成立し得るものであり、各当事国が国際社会全体との関係で絶対にその義務を遵守しな ければ、条約を締結した目的が十分に達成されないからである。このように、当該条項 が、個々の条約当事国の関係を超え、国際社会全体に対する権利義務に関する事項を規 定する普遍的な価値を含むものであれば、あらゆる国際法上の主体にその遵守が要求さ れることになり、その限りでは、国家承認とは無関係に、その普遍的な価値の保護が求 められることになる。 ウ 原告らは、著作権の保護が普遍的な価値を有する命題であると主張する。  そこで、著作物の保護義務を定めるベルヌ条約3条(1)(a)の条項が国際社会全 体に対する権利義務に関する事項を規定するものと解し得るか、すなわち、著作権の保 護(直接的には、いずれかの同盟国の国民である著作者の著作物の保護という形態)が 国際社会全体における普遍的な価値を有しているかについて検討する。  この点について、世界人権宣言は、27条2項によって、「すべて人は、その創作し た科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を 有する。」と定め、著作権を国際的に保護されるべき人権の一つとして定めている。ま た、ベルヌ条約は、著作権に対する国際的な保護を図るという目的を有し、その加入に 何らの要件の具備も要しない開放条約であり(29条)、加盟国の数は、平成19年8 月末の時点で163か国に上り、多くの国が、内国民待遇の原則(5条(1))に基づ き、著作物の保護に関して自国民と同様の待遇を外国人に与えている。これらの点によ れば、著作権が国際社会において保護されるべき重要な価値を有していることは明らか である。  しかしながら、ベルヌ条約自体においても、同盟国の国民を著作者とする著作物(3 条(1)(a))、非同盟国の国民を著作者とする著作物のうち、同盟国において最初 に発行されるか、同盟に属しない国と同盟国において同時に発行された著作物(3条 (1)(b))等が保護されるにとどまっており、非同盟国の国民の著作物が普遍的に 保護されているわけではない。非同盟国の国民の著作物であっても、最初の発行地が同 盟国であれば保護されるとされているものの、これは、同盟国において、最初あるいは 同時の発行を促すことによって、著作物の普及を促進するとともに、これに伴う経済的 な利益を獲得することを企図したものである。そこでは、同盟国という国家の枠組みが 前提とされており、前国家的な非同盟国の著作者の自然権を保護するという発想は見ら れない。  また、同条約の他の条項においても、「映画の著作物について著作権を有する者を決 定することは、保護が要求される同盟国の法令の定めるところによる。」(14条の2 (2)(a))、「保護期間は、保護が要求される同盟国の法令の定めるところによ る。」(7条(8))などと規定して、著作権の主体や保護期間等について、保護を行 う国によって異なり得ることを許容するとともに、5条(2)において、著作権の保護 の範囲及び著作権を保全するために著作者に保障される救済の方法を、保護が要求され る同盟国の法令の定めるところに委ね、その保護の範囲及び方法が国によって異なる事 態を想定している。さらに、35条(2)は、同盟国がベルヌ条約を廃棄することがで きる旨を規定し、廃棄により、条約上の権利義務関係から離脱することをも認めている ところである。  以上によれば、著作権の保護は、国際社会において、擁護されるべき重要な価値を有 しており、我が国も、可能な限り著作権を保護すべきであるということはできるもの の、ベルヌ条約の解釈上、国際社会全体において、国家の枠組みを超えた普遍的に尊重 される価値を有するものとして位置付けることは困難であるものというほかない。  したがって、ベルヌ条約3条(1)(a)の条項は、国際社会全体に対する権利義務 に関する事項を規定するものと解することができず、北朝鮮との関係で同条項の適用は 認められないから、結局、我が国は、同条項に基づき北朝鮮の著作物を保護する義務を 負わない。