・東京地判平成20年1月31日  「右脳を鍛える大人のパズル」事件  本件は、『パズルの帝国』(廣済堂出版発行)や『頭がよくなる算数パズル事典』と いう書籍(大日本図書発行)の著者である原告(雅孝司)が、被告(本間正夫)が執筆 して出版された書籍『左脳を鍛える大人のパズル』や『右脳を鍛える大人のパズル』 (主婦の友社発行)等の書籍において、原告が創作した12問のパズル(原告パズルA 〜L)が複製または翻案されるとともに、氏名表示権及び同一性保持権が侵害されたと して、被告に対し、損害賠償を請求した事案である。 ■争 点 (1) 原告各パズルの著作物性の有無(争点1) (2) 複製権及び翻案権侵害の有無(争点2) (3) 損害額(争点3) ■判決文 第3 当裁判所の判断 1 争点1(原告各パズルの著作物性の有無)及び争点2(複製権及び翻案権侵 害の有無)について (1) はじめに  著作物の複製(著作権法21条、2条1項15号)とは、既存の著作物に 依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう (最高裁判所昭和53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145 頁参照)。ここで、再製とは、既存の著作物と同一性のあるものを作成する ことをいうと解すべきであるが、同一性の程度については、完全に同一であ る場合のみではなく、多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうこ とのない、すなわち実質的に同一である場合も含むと解すべきである。  また、著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、か つ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現に修正、 増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、 これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得すること のできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は 感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法2条1項1号)、 既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想、感情若しくはアイデア、 事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部 分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、複製にも 翻案にも当たらないと解するのが相当である。(最高裁判所平成13年6月 28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)  このように、複製又は翻案に該当するためには、既存の著作物とこれに依 拠して創作された著作物との同一性を有する部分が、著作権法による保護の 対象となる思想又は感情を創作的に表現したものであることが必要である (著作権法2条1項1号)。そして、「創作的」に表現されたというために は、厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく、作者 の何らかの個性が表現されたもので足りるというべきである。換言すれば、 何らかの個性を発揮し得る程度に、いくつかの表現を選択することが可能な ものである必要があり、文章自体がごく短く又は表現上制約があるため他の 表現が想定できない場合や、表現が平凡かつありふれたものである場合には、 作者の個性が表現されたものとはいえないから、創作的な表現であるという ことはできない。  したがって、数学の代数や幾何あるいは物理の問題とその解答に表現され る考え方自体は、アイデアであり、これを何らかの個性的な出題形式ないし 解説で表現した場合は著作物として保護され得るとしても、数学的ないし物 理的問題及び解答に含まれるアイデア自体は著作物として保護されないこと は当然である。このことは、パズルにおいても同様であり、数学の代数や幾 何あるいは物理のアイデア等を利用した問題と解答であっても、何らかの個 性が創作的に表現された問題と解答である場合には、著作物としてこれを保 護すべき場合が生じ得るし、これらのアイデアを、ありふれた一般的な形で 表現したにすぎない場合は、何らかの個性が創作的に表現されたものではな いから、これを著作物として保護することはできないというべきである。  以下、原告各パズルと被告各パズルについて、その同一性ないし共通性を 有する部分を認定し、この部分が著作権法による保護の対象となる思想又は 感情を創作的に表現したものといえるかどうかについて、個別に判断する(な お、パズルによっては、原告各パズル自体の著作物性を判断し、これと被告 各パズルとの類似性を併せて判断することもある。)。 (2) 原告パズルAについて  原告パズルAは、1本の糸を用いて、この糸を上下に交差させた部分(以 下「交点」という。)を6点有する形状のものをAないしDの4箇所にわた って設け、その糸の両端を引いた際に結び目がAないしDのいずれにできる かを当てさせる問題である。すなわち、複数の交点を持つAないしDの四つ の形状の各糸の両端を引いた際に、AないしDの糸のいずれに結び目ができ るか否かとの問題と実質同一の問題である。  これに対し、被告パズルAも、同様に交点を6点有する形状の@ないしC のひもを並べ、それぞれ両端を引っ張ったときに結び目ができるもの一つを 選ばせる問題である。そして、原告パズルAの糸Aは被告パズルAのひもC と、原告パズルAの糸Bは被告パズルAのひもAと、原告パズルAの糸Cは 被告パズルAのひもBと、上下6箇所の交点が同一であるから同一形状のも のであり、いずれも両端を引っ張っても結び目ができないものである。これ に対し、原告パズルAの糸Dと被告パズルAのひも@は、両端を引っ張ると 結び目ができる点では共通しており、全体の形状として類似しているものの、 上下6箇所の交点のうち3箇所の上下が異なるから、同一形状のものではな い。  このような着想によるパズルは、平成11年発表の原告パズルAよりも以 前から存在し、例えば、昭和44年発行の辰野千寿指導・大島正二出題「ク イズの学校1」(講談社発行)には、5箇所の交点を有するひも2種類と、 6箇所の交点を有するひも1種類の両端を引いた際に結び目ができるか否か を問う問題が掲載され(乙1。以下「乙1パズル」という。)、昭和53年 発行の辰野千寿指導「なぞなぞちえブック」(講談社発行)には、13箇所 の交点を有するひも1種類の両端を引いた際に結び目ができるか否かを問う 問題が掲載されている(乙2。以下「乙2パズル」という。)。また、昭和 48年発行の本間龍雄著「新しいトポロジー」(講談社発行)には、このよ うな結び目が、1920年代以降、トポロジストによって数学的に研究され たことが紹介され、任意の結び目が与えられたときに、それがほどけるかど うかを判定する方法が述べられている(乙3)。  以上を踏まえて検討するに、原告パズルAと被告パズルAに共通する6箇 所の交点を持つ糸あるいはひもの形状それ自体は、図形と同一視できるもの であるから、この6箇所の交点を持つ糸あるいはひもの形状それ自体を特定 の者に独占させることは相当ではなく、これらの各糸あるいはひもの形状自 体を著作物として保護することは相当ではない。また、複数の交点を持つ糸 あるいはひもの両端を引いた際に結び目ができるか否かに着想を得たパズル を表現する場合、パズルの性質上、組み合わせる交点の数は一定の範囲に限 られると考えられるものの、交点の数を6とするかその前後の数とするかに ついては選択の余地があり、また、交点の数を6と決めた場合でも、まず、 全体の糸あるいはひもの数を4通りとするかその前後の数とするかについて 選択の余地があり、さらに、糸あるいはひもの数を4通りとした場合でも、 6箇所の交点を有する糸あるいはひもにおける、各交点における糸あるいは ひもの上下関係や複数の交点の配置の選択の範囲は、少なくとも64通り(2 の6乗)存在するのであるから(なお、左右対称のものを同一と見ても32 通り存在する。)、この中から、両端を引っ張って結び目を作らないものを 3通り、結び目を作るものを1通り選択して問題を作成する場合、その選択 (組合せ)については、作者により様々な選択(組合せ)が考えられるもの である。  この観点からすると、原告パズルAは、6箇所の交点を有する、結び目を 形成しない3通りの糸と結び目を形成する1通りの糸の合計4通りの特定の 形状の糸の選択(組合せ)により、特定のパズルを具体的に表現した点にお いて、作者による個性的な創作的表現があると認められるから、これを編集 著作物性を有する著作物として保護すべきものと認められる。 これに対し、被告パズルAは、6箇所の交点を有する、結び目を形成しな い3通りのひもと結び目を形成する1通りのひもの合計4通りのひもを選択 し組み合わせた点、及び、結び目を形成しない3通りのひもの形状(6箇所 の交点の位置)が、原告パズルAと全く同じものを選択した点で原告パズル Aと同一であり、他方、結び目を形成する1種類のひもについては、全体の 形状として類似しているものの、6箇所中3箇所の交点において原告パズル Aとはひもの上下関係が異なるひもを選択した点において、原告パズルAと 異なるものである。  以上によれば、被告パズルAは、6箇所の交点を有している形状のひも4 種類を選択し、そのうち3種類を結び目を作らないひもとし、1種類を結び 目を作るひもとした点、特に、結び目を作らないひも3種類について、6箇 所の交点の組合せにおいて、原告パズルAと異なる組合せから成るひもを選 択することも十分に可能であるのに、原告パズルAにおいて選択されている 糸と全く同じ組合せから成るひも(同じ形状のひも)を選択した点、残り1 種類の結び目を作るひもも、原告パズルAの糸とは6箇所の交点中、3箇所 の交点の組合せが異なる形状のひもであるものの、全体としてみると原告パ ズルAの糸の形状と類似している形状のものを選択したことからすると、被 告パズルAは、原告パズルAに依拠して作成されたものであり、全体として、 原告パズルAの、上記のような、4種類の形状の糸の選択(組合せ)という 表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものであり、原告著作物 Aを翻案したものと認められる。  被告は、ひもの結び目問題は昔から存在すること、ひもに6箇所の交点を 設ける場合、その形状は64通りしか存在せず、そのうち一見して明らかな ものを除くと問題として成立するものは少ないこと、を主張する。しかし、 乙1パズルは、3種類の形状のひもの組合せであり、そのうち、2種類は、 5箇所の交点から成る形状のものである。また、乙3パズルは、1種類の形 状のひもであり、13箇所の交点から成るものであり、いずれも6箇所の交 点のひもとは異なるひもを採用しているものであり、また、これらのパズル の存在から明らかなように、ひもの結び目のパズルは、昔から存在するとし ても、全体のひもの数及び各ひもにおける交点の数と上下の交点の組合せに より、具体的な表現としては、様々な形状のひもの選択(組合せ)による表 現が可能となるのであり、その表現方法において作者の個性が表れるもので あることは明らかである。したがって、被告の上記主張はいずれも採用し得 ない。 (3) 原告パズルBについて  原告パズルBは、正四角柱をナイフにより三等分させる問題である。その 答えは、正四角柱の表面の正方形に注目し、かつ、三角形の面積が〔底辺× 高さ÷2〕で算出されることと、正方形の中心点から四辺への垂線の長さが 同じになることに着想を得たものであり、「正方形のりんかくを3等分(1 6pずつ)し、正方形の中心とそれらの点を結ぶ線にそって切ればいい。」 というものである。この答えは、正方形の面積を三等分するとの数学的解法 を基にして、正方形における具体的な切取線を図示するものである。  これに対し、被告パズルBも、正四角柱をナイフにより三等分させる問題 であり、その答えは、「正方形の輪郭を3等分(20センチ)し、正方形の 中心とそれらの点を結ぶ線に沿って切れば」との表現において酷似している 上、その正方形の図面も、左上方の頂点と中心点、右辺の上方から3分の1 の点と中心点、下辺の左方から3分の1の点と中心点とをそれぞれ結ぶとい う具体的な切取線において原告パズルBと一致している。ただし、原告パズ ルBと被告パズルBとでは、正方形の一辺の長さが12pと15pとで異な っている。  このような着想によるパズルは、平成6年発表の原告パズルBよりも以前 から存在し、例えば、平成2年発行の多湖輝著「頭の体操第12集」(光 文社発行)には、正四角柱のケーキをナイフで五等分させる問題と、同じ着 想に基づく答えが掲載されている(乙4)。 以上を踏まえて検討するに、原告パズルBと被告パズルBとで共通する、 正四角柱のものをナイフで三等分する場合に、三角形の面積が〔底辺×高さ ÷2〕で算出されることと、正方形の中心点から四辺への垂線の長さが同じ になることに着想を得て、表面の正方形の四辺を三等分することと、それら の各点と正方形の中心点とを結び、その線によって切るとの解答自体は、数 学的解法(アイデア)そのものであり、これを特定の者に独占させるのが相 当ではないことは明らかである。そして、原告パズルBの「正方形のりんか くを3等分(16pずつ)し、正方形の中心とそれらの点を結ぶ線にそって 切ればいい」との解答は、被。告パズルBの解答もこれと実質同一であるも のの、この数学的解法をそのまま表現したにすぎないものであり、それ自体 で作者の個性が表れる創作的な表現とみることはできない。また、原告パズ ルBの正方形のイラストについても、被告パズルBの正方形のイラストがこ れと類似しているものの、正方形の辺の長さを原告パズルBのように12p とするか、被告パズルBのように15pとするかも、任意の数字の選択にす ぎず、さらに、その際に、切取線を、正方形の左上方の頂点の一つを選択し てこれと正方形の中心点とを結ぶ線から作図を開始することもありふれた選 択であり、これらの点についても表現上の創作性を認めることはできない。  そうすると、原告パズルBの解答は、被告パズルBの解答がこれと実質同 一ないし類似するものであるものの、具体的な切取線を記載した図面をあわ せて考慮しても、数学的な解法(アイデア)をありふれた態様で表現したも のにすぎず、作者の個性が表現された創作的な表現であると認めることはで きない。  以上によれば、原告パズルBは、被告パズルBがこれと実質同一ないし類 似するものの、数学的解法をそのまま表現したものにすぎず、作者の個性が 表れた創作的表現から成るものではないから、その著作物性を認めることは できない。したがって、原告の複製権ないし翻案権侵害の主張は、理由がな い。  原告は、原告パズルBにおいては、正方形を何等分するか、分割の起点を どこにするかなど、様々な創作の岐路、表現の岐路があり、各岐路でどれを 選ぶかが作者の腕の見せ所であると主張する。しかし、三等分を選択するこ と、分割の起点として正方形の左上方の頂点の一つを選択すること自体は、  一般的でありふれたものであり、原告パズルBにおけるこれらの選択を創作 的な表現とみることができないことは前記のとおりである。原告の上記主張 は採用し得ない。 (4) 原告パズルCについて  原告パズルCは、ルービックキューブのように、白い小さな立方体を27 個机上に積み上げて大きな立方体にして、机と接する面を除く5面に黒いス プレーを吹きつけた場合に、6面全部が白いままで残る小さな立方体の数を 問う問題である。  これに対し、被告パズルCは、白い小さな立方体を36個机上に積み上げ て大きな直方体にして、机と接する面を除く5面に黒いスプレーを吹きつけ た場合に、6面全部が白いままで残る立方体の数を問う問題であり、小さな 立方体を積み上げて大きな直方体にする点や、着色の方法がスプレーによる 吹きつけであること、小さな立方体の色が白であり、スプレーの色が黒であ ること、設問の書きぶりなどで原告パズルCと一致しているものの、大きな 直方体を形成する際に積み上げた小さな立方体の数が36個である点や、大 きな立体が立方体ではなく直方体である点などで、原告パズルCと異なる。  このような着想によるパズルは、平成6年発表の原告パズルCよりも以前 から存在し、例えば、昭和53年発行の辰野千寿指導の「なぞなぞちえブッ ク」(講談社発行)には、小さな立方体27個を積み上げて成る大きな立方 体の5面又は6面に色を塗った場合に、色が塗られないままに残る小さな立 方体の数を問う問題が掲載され(乙5)、昭和41年発行の「頭の体操」(光 文社発行)には、小さな立方体27個を積み上げて成る大きな立方体の6面 がペンキで真っ黒に塗られている場合に、3面が黒く塗られた立方体、2面 が黒く塗られた立方体、1面が黒く塗られた立方体、全くペンキが塗られて いない立方体の数を問う問題が掲載されている(乙6)。  以上を踏まえて検討するに、まず、原告パズルCや被告パズルCのような、 小さな立方体複数個を積み上げて大きな立方体ないし直方体とした場合に、 大きな立方体ないし直方体の5面のいずれにも接していない小さな立方体の 数がいくつであるかということは、数学的解答(アイデア)自体であり、こ れを特定の者に独占させることが相当ではないことは明らかである。したが って、被告パズルCは、原告パズルCと、この点において類似性を有すると しても、このことから直ちに原告パズルCの複製ないし翻案ということがで きないことは明らかである。  また、原告パズルCは、小さな立方体を27個机上に積み上げ、机と接す る面を除く5面にスプレーを吹き付けた場合に、6面全部が白いままで残る 立方体の数を問うものであるのに対し、被告パズルCは、前記のとおり、白 い小さな立方体を36個机上に積み上げて大きな直方体にして、机と接する 面を除く5面に黒いスプレーを吹きつけた場合に、6面全部が白いままで残 る立方体の数を問う問題であり、小さな立方体を積み上げて大きな立体にす る点や、着色の方法がスプレーによる吹きつけであること、小さな立方体の 色が白であり、スプレーの色が黒であること、問題文の基本的な書きぶりな どの点で原告パズルCと一致しているものの、スプレー缶やテーブルのイラ ストなどの点や問題文の細部において原告パズルCと相違しており、また、 大きな立体を形成する際に積み上げた小さな立方体の数が36個である点や 形成された大きな立体が立方体ではなく直方体である点において、そもそも 異なる内容のパズルとなっているものであり、原告パズルCを複製ないし翻 案したものということはできない。  なお、このようなパズルを作成するにあたって、着色の方法がスプレーに よる吹き付けであること、小さな立方体の色を白とし、スプレーの色を黒と することなども含め、その具体的なイラストや問題文全体について工夫を凝 らし、作者独自の個性的な表現を用いることは可能であり、このような場合 には著作物として保護すべき場合も考えられるところである。したがって、  原告パズルCは、上記のような数学的な解答(アイデア)自体やこれを一般 的な表現でパズルの問題として作成し表現した部分について、広くその保護 範囲を認め、この範囲で共通している他人作成のパズルについて著作権侵害 を認めることは困難であるものの、具体的なイラストや問題文全体に作者の 個性が表れている場合にのみ、これを著作物として保護し、その保護範囲も 具体的なイラストや問題文の表現に則して、デッドコピーのような場合につ いて限定的に認めることはあり得るところである。もっとも、原告パズルC について、このような著作物性を認めたとしても、その保護範囲は具体的な 表現に則して限定的に解すべきであり、被告パズルCがその複製ないし翻案 といえないことは上記のとおりである。  以上によれば、被告パズルCが、原告パズルCについての原告の複製権又 は翻案権を侵害したものと認めることはできない。 (5) 原告パズルDについて  原告パズルDは、天秤の左右の皿にそれぞれ小鳥を入れ、栓をした瓶を置 いて天秤が釣り合っている場合において、片方の皿の瓶の中の小鳥が飛び跳 ねたとき、天秤の釣り合いがどうなるかを問う問題である。これは、栓をし た瓶の中の物体が、瓶に触れていてもいなくても、密閉されている以上、重 量は変わらないという物理法則に着想を得たものである。これに対し、被告 パズルDは、瓶の中にいるのが小鳥ではなく蛙である点、及び、問題文の具 体的な表現が全体として異なる点を除いては、原告パズルDとよく似たパズ ルとなっている。  このような着想によるパズルは、平成6年発表の原告パズルDよりも以前 から存在し、例えば、昭和43年発行の田中実著「科学パズル」(光文社発 行)には、台秤の上に置かれた密閉した瓶の中で鳥が飛んでいる場合におい て、鳥が瓶の底に降りたとき、台秤の目盛りがどうなるかを問う問題が掲載 されている(乙7。以下「乙7パズル」という。)。また、昭和43年発行 の都筑卓司著「パズル・物理入門」(講談社発行)には、台秤の上に置かれ た密閉した箱の中に小鳥を入れた場合において、小鳥が箱の中で飛んだとき、 台秤の目盛りがどうなるかを問う問題について、15頁にわたる詳細な解説 が掲載されている(乙8)。  以上を踏まえて検討するに、原告パズルDや被告パズルDに共通している、 栓をした瓶の中の物体が、瓶に触れていてもいなくても、瓶が密閉されてい る以上、瓶全体の重量は変わらないという着想自体は、物理法則(アイデア) そのものであり、これを特定の者に独占させるのが相当ではないことは明ら かである。そして、原告パズルDと被告パズルDは天秤を用い、密閉した瓶 の中に動物を入れる点でも共通しているものの、上記アイデアに着想を得た パズルを表現する場合、重量の変化を問うために、重量を量ることのできる 台秤や天秤を用いること、台秤や天秤で量れるように、台秤や天秤の皿の上 に密閉した瓶を載せることはありふれた表現方法であり、密閉した瓶の中に 自ら空中に浮遊できる鳥や蛙などを入れることも一般的な選択であると思わ れ、被告パズルDが原告パズルDとこの点において共通性を有するとしても、 このことから直ちに原告パズルDの複製ないし翻案ということができないこ とは明らかである。  もっとも、台秤や天秤あるいは鳥や蛙のイラストについては、個性的な表 現を用いることは可能であり、このことは、原告パズルDと被告パズルD及 び乙7パズルや乙8号証の文献等において具体的に表現されたイラストを比 較すれば明らかである。そこで、原告パズルDも、イラストも含めた具体的 な表現全体について著作物性を認めることができるとしても、その保護範囲 は具体的な表現に則して、デッドコピーのような場合について限定的に認め られるべきである。そうすると、被告パズルDは、瓶の中に入れた物体が蛙 である点や天秤のイラストが原告パズルDと明らかに相違しており、また、 問題文の具体的な表現も原告パズルDと相当異なっていることからすると、 原告パズルDの複製ないし翻案に当たるものとは認められない。  したがって、被告パズルDが、原告パズルDについての原告の複製権又は 翻案権を侵害したものと認めることはできない。  原告は、乙7パズルや乙8号証の文献に掲載された従来の問題が1個の瓶 と1個の台秤の目盛りの変化という絶対的な重さを対象にしているのに対 し、原告パズルDは天秤の傾きの変化という相対的な重さを対象にしている 点で独創性があると主張する。  しかし、重量が変化しないことを表現する手法としては、前者のみならず、 後者も一般的なありふれた手法であって、瓶内浮遊のパズルにおける後者の ような表現方法を原告に独占させることが相当ではないことは明らかである から、原告の主張は、上記判断を左右するものではない。 (6) 原告パズルEについて  原告パズルEは、日没直前に東と北を撮影した2枚の写真のいずれが東を 撮影した写真で、いずれが北を撮影した写真であるかを問う問題であり、ア フリカの砂漠と遠くに見える山とを被写体とした写真を用いている。これは、 日没前に東を向いて撮影した場合には、足下付近から先を撮影した写真につ いては西日による撮影者の影が写り込むのに対し、そうでないものについて は、撮影者の影が写らないということに着想を得たパズルである。  これに対し、被告パズルEも、日没直前に東と北を撮影した2枚の写真の いずれが東を撮影した写真で、いずれが北を撮影した写真であるかを問う問 題であり、エジプトの砂漠と遠くに見えるピラミッドとを被写体とした写真 を用いている。  このような着想によるパズルは、本件訴訟に顕れた証拠で見る限り、平成 3年発表の原告パズルE以前には見当たらない。 以上を踏まえて検討するに、まず、日没前に東を向いて撮影した場合には、 足下付近から先を撮影した写真については西日による撮影者の影が写り込む のに対し、そうでないものについては、撮影者の影が写らないことから、2 枚以上の写真を使用して、各写真の撮影方向を推理させるという着想自体が、 一般的なものではない(日没前に東を向いて撮影すれば、足下付近から先を 撮影する場合は撮影者の影が写り込むというのは、単なる経験則ないし事実 であるものの、このことから上記のような内容のパズルを発想することは一 般的ではない。)。また、この着想をパズルとして表現する場合、@影が写 っている写真と影が写っていない写真を使用して、非常に単純なパズルとす るか、A原告パズルEのように、「それが日没前に東を向いて撮影したもの であるとすれば、撮影者の影が写り込むはずのアングルの写真(ただし、影 が写っていないもの)」1枚ないし複数枚と、「それが日没前に東を向いて 撮影したものであったとしても、撮影者の影が写り込まないはずのアングル の写真(ただし、影が写っていないもの)」1枚を用意しておき、どれが東 を向いて撮影した写真であるかを問うという表現形式とするか、そのいずれ を採用するかにおいて、作者にとって選択の幅があり、さらに、この場合に おいても、「それが日没前に東を向いて撮影したものであるとすれば、撮影 者の影が写り込むはずのアングルの写真(ただし、影が写っていないもの)」 を何枚用いるか、また、そのような写真についてどのような設定をするのか (原告パズルEでいえば、北を向いて撮影したとの設定。)、被写体をどの ようなものに設定するかなどについても、一定の表現の選択の幅があるもの である。  以上からすれば、原告パズルEは、その着想自体が作者に特有のものであ ること、また、この着想をパズルとして表現する場合に、2枚の写真を用い ている点、東を向いて撮影したとされる写真1枚については撮影者の影が写 らないはずのアングルのものとしている点、それ以外の写真については、東 を向いて撮影したとすれば、影が写り込む構図であるのに、影が写っていな いものとしている点、同写真が北を向いて撮影したとされており、被写体と してアフリカの砂漠と山が用いられている点などにおいて、作者の個性が表 現された創作的な表現であると認められる。  そして、原告パズルEと被告パズルEとは、このような着想をパズルとし て表現する場合に必要な2枚の写真を用いている点、東を向いて撮影したと される写真1枚については撮影者の影が写らないはずのアングルのものとし ている点、それ以外の写真については、東を向いて撮影したとすれば、影が 写り込む構図であるのに、影が写っていないものとしている点、同写真が北 を向いて撮影したとされている点において、いずれも表現上の特徴があり、 この表現上の特徴において一致しているほか、写真にアフリカの砂漠又は砂 地が撮影されているという表現上の特徴においても一致する。さらに、解答 の表現も、相当に類似している。そうすると、被告パズルEは、原告パズル Eと比べ、遠景に撮影されているのが山ではなくピラミッドであるという点 において相違し、イラストにおけるこの表現上の差異により別個の創作性が 付与されているとみることができるものの、上記のとおり、原告パズルEの 表現上の各特徴を備えているものであるから、原告パズルEの表現上の本質 的特徴を直接感得し得るものであって、原告パズルEの翻案であると認めら れる。  また、被告パズルEは、平成3年に原告パズルEが公刊物に掲載された後 の平成17年に発表されたものであり(上記第2の1(1)、(9))、また、上 記のとおり、原告パズルEと被告パズルEの表現が相当に類似していること、 原告パズルEが掲載されている「パズルの帝国」と被告の執筆した書籍との 間には、ほかにも類似した問題が存在することに照らせば、被告パズルEが 原告パズルEに依拠して作成されたことを認めることができる。  被告は、影の問題では、「夕方(早朝)に写真に撮ったときには自分の影 が写り込むはず、ということから方角が推測できる」というアイデアは昔か ら存在するものであり、また、原告パズルEは、上記アイデアを簡潔な表現 でパズルにしたにすぎないものであり、特段の創作的な表現が付加されてい るものではないから、著作物性は認められない、と主張する。  しかし、原告パズルEのような問題が昔から存在したことを認めるに足り る証拠がないことは前記のとおりである。また、このようなアイデアからパ ズルを作成する場合、どのような内容のパズルとして具体的にどう表現する かについて、作者により選択の幅があることも前記のとおりであるから、原 告パズルEは、作者の個性が創作的に表現されたものであるというべきであ る。被告の上記主張は採用し得ない。  以上によれば、被告パズルEは、原告パズルEについての原告の翻案権を 侵害したものと認められる。 (7) 原告パズルFについて  原告パズルFは、3種類の缶を載せた二つの天秤の釣り合いの状況から、 3種類の中で最も軽い缶を答えさせる問題である。これは、連立方程式の応 用問題であり、3種類の缶をX、Y、Zと置き換えれば、二つの方程式〔2 X+Y+Z<2Y+2Z〕、〔X+2Y+Z=X+2Z〕となるから、この 二つの方程式を天秤と3種類の缶でビジュアル化したパズルである。  被告パズルFも、3種類のボールを載せた二つの天秤の釣り合いの状況か ら、3種類のボールの中で最も軽いボールを答えさせる問題であり、3種類 のボールをX、Y、Zと置き換えれば、上記の方程式と全く同じ方程式とな るものである。  このような着想によるパズルは、平成3年発表の原告パズルFよりも以前 から存在し、例えば、昭和45年発行の高野一夫著「数学のあたま」(講談 社発行)には、3種類のおもりを載せた二つの天秤の釣り合いの状況から、 一つの皿に特定の種類のおもりが5個載せられた別の天秤が釣り合うように 他の皿に載せるべきおもりを答えさせる問題(方程式で表せば、〔X+2Y =3Z〕、〔2X=Y+3Z〕の際に、〔5Y〕と等号で結ばれるX、Y、Z の組合せを問う問題)が掲載されている(乙9)。  以上を踏まえて検討するに、重量の異なる複数種類の物を載せた二つの天 秤の釣り合いの状況から、複数種類の物の軽重を問うことは、数学の連立方 程式を天秤等を使用してビジュアル化するとのアイデアであり、このような アイデア自体を特定の者に独占させることは相当ではないことは明らかであ る。しかし、重量の異なる3種類の物を載せた二つの天秤の釣り合いの状況 から、3種類の物の軽重を問うパズルを表現する場合、連立方程式の組合せ は無数に考えられるのであるから(現に、原告パズルFと乙9パズルに用い られた方程式は異なっているし、原告パズルFに用いられた連立方程式の元 になった〔2X<Y+Z〕、〔2Y=Z〕の両辺に適宜X、Y、Zを左右に 同数ずつ付加することによっても、無数の連立方程式を得ることができる。)、 このようなパズルには作者により表現の選択の幅があるものということがで き、原告パズルFは、特定の連立方程式を採用した上で、これを天秤等でビ ジュアル化したイラストで表現したパズルであり、全体として作者の個性が 表われた創作的な表現であると認められる(特定の連立方程式をこのように 天秤等でビジュアル化したイラストで表現したものを特定の者の著作物とし て保護しても、他に無数の連立方程式が考えられるのであるから、特段の不 都合は生じないというべきである。)。  そして、原告パズルFと被告パズルFとは、天秤に載せる3種類の物が缶 であるかボールであるか、また、天秤の図柄においてこそ違うものの、イラ スト全体としては顕著な差異はなく、いずれも〔2X+Y+Z<2Y+2Z〕、 〔X+2Y+Z=X+2Z〕をビジュアル化した二つの天秤を用いて、3種 類の物のうち最も軽いもの(方程式に即していえば、X、Y、Zのうち最も 小さいもの)を答えさせるというパズルであり、実質的に同一のパズルであ ると認められる。  さらに、被告パズルFは、平成3年に原告パズルFが公刊物に掲載された 後の平成17年に発表されたものであり(上記第2の1(1)、(9))、また、 上記のとおり、原告パズルFと被告パズルFとでは同一の連立方程式を採用 しており、偶然に同一の連立方程式を採用する確率は極めて低いこと、原告 パズルFが掲載されている「パズルの帝国」と被告の執筆した書籍との間に は、ほかにも類似した問題が存在することに照らせば、被告パズルFが原告 パズルFに依拠して作成されたことを認めることができる。  被告は、平易かつシンプルな問題とするためには、3元で等式・不等式を 作成することは必然であり、かつ、各係数を0〜2にすることも当然である から、問題に使用できる3元の等式・不等式の範囲は極めて限られること、 及び、かような等式・不等式の組み合わせ自体も、一つのアイデアにすぎな いのであって、等式・不等式の組み合わせ自体は創作性のある著作物と認め られるものではない、と主張する。  しかし、等式・不等式の組合せ自体は一つの数学的な問題と解答(アイデ ア)であるとしても、多数の三元一次方程式の中から特定の組合せを選択す ること、及び、これを天秤と3種類の物で表現することまで具体化していく と、作者の個性的な表現が可能となるものであり、これを特定の者に独占さ せたとしても、多数の三元一次方程式の中から原告パズルFとは異なるもの を選択してパズルを作成することができるのであるから、特段の不都合は生 じないというべきである。  以上によれば、被告パズルFは、原告パズルFについての原告の複製権を 侵害したものと認められる。 (8) 原告パズルGについて  原告パズルGは、壁に掛けた2時を指すアナログ時計を2枚の鏡に反射さ せた際のアナログ時計の像の見え方を問うパズル(1枚の鏡は、映し出すア ナログ時計の像を下方に反射させ、もう1枚はそれを時計の下にいる人の方 向に反射させるように設置されており、「コ」の字型反射となる。)である。  これに対し、被告パズルGも、掛け時計が午後3時を指している以外は、 2枚の鏡を使用し、「コ」の字型反射としている原告パズルGと同じである。 このような着想によるパズルは、平成3年発表の原告パズルGよりも以前 から存在し、例えば、昭和41年発行の「少年マガジン1966年1月12 日号」には、本を持って遊びに来た友達の姿を2枚の鏡に反射させた際の友 達の像の見え方を問う問題(1枚の鏡は、映し出す友達の像を上方に反射さ せ、もう1枚はそれを奥側に反射させるように設置されている。)が掲載さ れており、ほかに、鏡を3枚使用したパズルも掲載されている(乙11)。 また、昭和47年発行の都筑卓司著「新・パズル物理入門」(講談社発行) には、3時を指すアナログ時計を2枚の鏡に反射させた際のアナログ時計の 像の見え方を問う問題(1枚の鏡は、映し出すアナログ時計の像を斜め下方 に反射させ、もう1枚はそれを手前側に反射させるように設置されており、 「ク」の字型反射となっている。)が掲載されている(乙12)。  以上を踏まえて検討するに、原告パズルGのような、鏡に反射させた像の 見え方を問うパズルを表現する場合、反射させる鏡の数を2枚とすることは、 パズルとしてありふれた表現方法であると認められる。また、2枚の鏡の設 置方法は自ずから限られたものであると考えられ、鏡に映し出す対象をアナ ログ時計とすることもありふれた手法であると認められる。  そうすると、原告パズルGと被告パズルGとで共通する点は、2枚の鏡の 使用と「コ」の字型の設置位置、及びアナログ時計を用いて鏡に反射させた 時計の見え方を問うというところにあるにすぎず、このうち、2枚の鏡の使 用と「コ」の字型の設置位置自体はアイデアであり、これを特定の者に独占 させることは相当ではなく、また、アナログ時計の使用はごく平凡で、あり ふれた方法での表現にすぎないものであるから、作者の個性が発揮された創 作的表現であるとは認められないものである。したがって、被告パズルGは、 原告パズルGと、この点において類似性を有するとしても、このことから直 ちに原告パズルGの複製ないし翻案ということはできない。  なお、原告パズルGについて、その著作物性を認める余地があるとすれば、 このような2枚鏡と時計の見え方のパズルを少年の顔も含めてイラストに描 いた点にあり、このような少年の顔等も含めて考えれば、作者の個性的な表 現がみられることから、全体の具体的なイラストに著作物性を認めることに なる。しかし、その保護範囲は、イラストも含めてデッドコピーされた場合 のように限定的なものとなるのであり、原告パズルGと被告パズルGに描か れた少年のイラストは、全く異なるものであることからすれば、このような 観点から著作物性を認めるとしても、被告パズルGが原告パズルGの複製な いし翻案であると認めることはできない。  原告は、この種のパズルでは、「複数の鏡を使う」ことがアイデアであり、 「具体的に何枚の鏡をどのように配置するか」が表現にあたり、また、原告 パズルGのような鏡と像に関するパズルを出題する場合、鏡の枚数、鏡の位 置(同一平面内に置くか、3次元空間まで広げるかなど)、視線の流れ(「コ」 の字型にするか、「S」の字型にするかなど)など、さまざまな「創作の岐 路」、「表現の岐路」があり、各岐路でどれを選ぶかが作者の“腕の見せ所 ”である、と主張する。  しかし、この種のパズルにおいては、2枚の鏡を使うことがアイデアであ ることは当然として、その2枚の鏡をどの位置に設置するかについてもそれ 程多数の選択肢がないのであるから、これを特定の者に独占させるのは相当 ではなく、2枚の鏡の設置位置もアイデアであると考えるべきである。この 種のパズルにおいては、鏡の枚数、その設置位置にいくつかのバラエティが あることは理解できるものの、相当程度限定されたパターンしか考えられな いのであるから、鏡の設置位置などにおいて極めて特殊な個性的な選択をし、 これを表現したもの以外は、上記のとおり、これを著作物として保護するの は相当ではない。原告の上記主張はいずれも採用し得ない。 (9) 原告パズルHについて  原告パズルHは、ナイフを4回使って表面にデコレーション文字が書かれ ている円柱型ケーキを同じ形に8等分するという問題であり、その答えは、 ナイフを1回使って表面の文字を薄く切り取ってから、円柱を底面に平行に 切って高さ方向に2分するとともに、頂面の円を十文字に切って4分すれば、 同じ形で8等分を得られるというものである。  これに対し、被告パズルHは、ナイフを3回使って、円柱型ケーキを8等 分するというものであり、円柱を底面に平行に切って高さ方向に2分すると ともに、頂面の円を十文字に切って4分するとの切り方において、原告パズ ルHの切り方と一部同じ切り方である。 このような着想によるパズルは、平成3年発表の原告パズルHよりも以前 から存在し、例えば、昭和53年発行の多湖輝著「頭の体操第6集」(光 文社発行)には、ナイフを3回使って円柱状のケーキを8等分するという問 題が掲載されている(乙13)。  以上を踏まえて検討するに、円柱を底面に平行に切って高さ方向に2分す るとともに、頂面の円を十文字に切って4分すれば、8等分を得られること 自体は、数学的解答ともいえる単なるアイデアであり、これ自体を特定の者 に独占させるのが相当ではないことは明らかである。また、この着想により パズルを表現する場合、円柱型ケーキをナイフで切ることは、ありふれた表 現方法にすぎないものと認められる。したがって、原告パズルHと被告パズ ルHとで共通する点は、ナイフを3回使用して円柱型ケーキを8等分すると いう、単なるアイデアとありふれた表現の部分だけであるから、被告パズル Hを原告パズルHの複製ないし翻案ということはできない。 なお、原告パズルHは、このような着想に従って円柱状のケーキを8等分 するのであれば、ナイフを3回使えば足りるにもかかわらず、8等分する準 備として、ケーキの表面の文字をそぎ落とすこととし、そのために1回多く ナイフを使うこととしている(全部で4回ナイフを使うこととしている)点 において、作者の個性が表現されたパズルとなっていると認められる。しか し、ナイフを3回使用するとの被告パズルHは、ナイフを4回使用してケー キの表面の文字をそぎ落とすとした点に表現上の特徴がある原告パズルHと 実質的に同一といえないことは明らかであるし、そのような原告パズルHの 表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないというべきである。 そうすると、いずれにしても、被告パズルHは、原告パズルHの複製にも、 翻案にも当たらないから、複製権侵害も、翻案権侵害も認められない。 (10) 原告パズルIについて  原告パズルIは、マッチ棒5本又は4.5本(0.5本とは、1本のマッ チ棒を半分の長さに折った一方のこと)で、3通りの円に関する字(「¥」、 「エン」、「円」)又は円の形(マッチ棒を一直線に並べて頭の方から見た形) を作らせるという問題である。  これに対し、被告パズルIは、マッチ棒5本で「¥」という字を作らせる 問題である。  このようなマッチ棒5本で円に関する字を作るというパズルは、平成3年 発表の原告パズルIより以前から存在し、例えば、昭和59年発行の芳ヶ原 伸之著「奇想天外パズル」(光文社発行)には、マッチ棒5本で円を作ると いう問題(解答においては、「¥」を完全な円とし、中央に縦に置いたマッ チ棒が上方に飛び出た「円」や、「エン」は完全とは言えないとする。)が 掲載されている(乙14)。  以上を踏まえて検討するに、マッチ棒5本で円を作るというパズル自体は 従来から知られていたものであり、原告パズルIと被告パズルIとで共通す る「¥」という字をマッチ棒5本で作成すること自体は、アイデアそのもの であり、これを特定の者に独占させることが相当ではないことは明らかであ る。したがって、被告パズルIは、原告パズルIの複製とも翻案とも認める ことはできない。  また、原告パズルIは、マッチ棒5本で「¥」、「エン」、4.5本で「円」 という字を作成し、これに加えて、「一直線に並べて頭の方から見る」とい う4通りの解答を答えさせる点や、問題文の具体的表現において、作者の個 性が表現された創作的な表現であると認められるものの、被告パズルIは、 「¥」のみを解答させる問題である点で原告パズルIと相違し、問題文の具 体的表現も原告パズルIとは異なっており、4通りの解答を答えさせる点を 表現上の特徴とする原告パズルIと実質的に同一といえないことは明らかで あるし、そのような原告パズルIの表現上の本質的な特徴を直接感得するこ ともできないというべきである。  そうすると、いずれにしても、被告パズルIは、原告パズルIの複製にも、 翻案にも当たらないから、複製権侵害も、翻案権侵害も認められない。 (11) 原告パズルJについて  原告パズルJは、〔1000−1=10〕、〔10−1=1〕が成り立つ場 合を答えさせる問題である。これは、漢数字の「千」がマッチ棒3本、「十」 がマッチ棒2本、「一」がマッチ棒1本で描けることに着想を得たものであ り、その答えは、「千」の字からマッチ棒を1本ずつ取っていくものである。 これに対し、被告パズルJは、〔10+1=1000〕をマッチ棒3本で 答えさせるパズルであり、マッチ棒2本から成る「十」にマッチ棒1本を足 し、「千」という字を作るものである。  このような着想によるパズルは、本件訴訟に顕れた証拠で見る限り、平成 6年発表の原告パズルJ以前には見当たらない。  以上を踏まえて検討するに、原告パズルJと被告パズルJに共通する、漢 数字の「千」がマッチ棒3本、「十」がマッチ棒2本、「一」がマッチ棒1 本で描けるという着想自体は、単なるアイデアであり、このアイデア自体を 特定の者に独占させることが相当ではないことは明らかであるから、このよ うな場合に、被告パズルJを原告パズルJの複製あるいは翻案と認めるのは 相当ではない。  なお、このようなアイデアをパズルとして表現する場合、〔1000−1 =10〕、〔10−1=1〕が成り立つ場合を答えさせるということは、い ずれも一般的な表現方法である。そうすると、仮に、原告パズルJが、具体 的な設問と解答に、イラストも含めて考えれば、全体として作者の個性を発 揮した創作的表現であると認められる余地があるとしても、その保護範囲は 極めて限定されたものであるというべきである。  そして、被告パズルJは、〔10+1=1000〕という計算が成り立つ 数をマッチ棒3本で表すという問題であり、原告パズルJとはその具体的な 表現が明らかに相違しているから、原告パズルJと実質的に同一とはいえな いし、そのような原告パズルJの表現上の本質的な特徴を直接感得すること もできないというべきである。被告パズルJが原告パズルJと同一性を有す るのは、漢数字の「千」がマッチ棒3本、「十」がマッチ棒2本、「一」が マッチ棒1本で描けるという着想であって、表現それ自体でない部分におい て同一性を有するにすぎないものと認められる。  したがって、いずれにしても、被告パズルJは、原告パズルJについての 原告の複製権又は翻案権を侵害したものと認めることはできない。 (12) 原告パズルKについて  原告パズルKは、「山があるのに登れない」、「海があるのに泳げない」、「川 があるのに渡れない」などという条件を満たすのは、地図の中ともう一つは どこかを問う問題である。これは、地図と力士のしこ名においては、「山」 や「海」など特定の場所が登場するのに、そこで通常行うことのできる行為 (例えば、「山」であれば「登る」、「海」であれば「泳ぐ」こと)はできな いということに着想を得た問題である。  これに対し、被告パズルKは、「山があるのに登れない」、「川もあるのに 泳げない「道にまよわない」、 ものは、なあに?」と問う問題であり、答え は「地図」である。  このような着想によるパズル又はなぞなぞは、本件訴訟に顕れた証拠で見 る限り、平成4年発表の原告パズルK以前には見当たらない。 以上を踏まえて検討するに、原告パズルKと被告パズルKとで共通してい る点は、地図において、「山」や「海」あるいは「川」など特定の場所が登 場するのに、そこで通常行うことのできる行為(例えば、「山」であれば「登 る」、「海」であれば「泳ぐ」こと)ができないという着想をパズル又はな ぞなぞとして表現する点である。このような着想をパズル又はなぞなぞとし て表現する場合、「特定の場所」が登場することと「そこで通常行うことの できる行為」ができないこととを組み合わせる必要があり、そして、地図に おいて、「山」や「海」あるいは「川」などを特定の場所として選択して、 「登れない」、「泳げない」などと表現することはごく平凡でありふれたも のであって、その共通する点だけでは、作者の個性が表現された創作的な表 現であるとは認められない。したがって、このような場合に、上記の着想と 一部のありふれた表現が共通している被告パズルKを原告パズルKの複製あ るいは翻案と認めるのは相当ではない。  また、原告パズルKは、「山」、「海」、「田」、「川」、「花」を組み合わせ、 かつ、着想しやすい「地図」を敢えて明らかにして、「地図」以外の解答を 求めている点において、作者の個性が表現された創作的な表現であると認め られるものの、被告パズルKは、「海」、「田」、「花」を素材としていない点、 原告パズルKが「川」を「渡る」と組み合わせているのに対し、「泳ぐ」と 組み合わせている点、原告パズルKが「それはどこだろう?1つは地図の中、 もう1つは……」という出題形式であるのに対し、「道にまよわないための ものは、なあに?」という出題形式にしている点において、原告パズルKと 相違するものであり、原告パズルKと実質的に同一といえないことは明らか であり、原告パズルKの表現上の本質的な特徴を直接感得することもできな いというべきである。  したがって、いずれにしても、被告パズルKは、原告パズルKの複製にも、 翻案にも当たらないから、複製権侵害も、翻案権侵害も認められない。 (13) 原告パズルLについて  原告パズルLは、「良い女」、「木の上に立って見ている人」、「田の下の力 持ちとして生きる」人が、それぞれどんな人かを問う問題である。これは、 「娘」、「親」、「甥」という漢字が、複数の漢字の組合せ(例えば、「親」で あれば、「立」と「木」と「見」)から成り立っていることに着想を得たな ぞなぞである。  これに対し、被告パズルLは、「田んぼをもち上げている力もちはだあ れ?」、「木の上に立って見ている人はだあれ?」を問うものであり、その 答えは、「男」、「親」である。 このような着想によるパズル又はなぞなぞは、本件訴訟に顕れた証拠で見 る限り、平成9年発表の原告パズルL以前には見当たらない。 以上を踏まえて検討するに、原告パズルLと被告パズルLとで共通してい る点は、ある漢字が複数の漢字の組合せから成り立っている場合に、これを 人にたとえて問い、その漢字を答えさせるというものであり、具体的には、 「親」という漢字についての問いは共通しているものの、その余は対象とす る漢字を異にするものである。しかし、漢字が複数の漢字の組合せから成り 立っている場合に、これを人にたとえて問うということ自体は、アイデアで あり、このアイデア自体を特定の者に独占させるのが相当ではないことは明 らかである。また、両者は、具体的には、「親」という漢字においてのみ共 通の問いを発するものであるものの、「立」・「木」・「見」という漢字の組合 せから成る「親」という漢字を、人にたとえるなら、類似の表現にならざる を得ないのであり、その表現に作者の個性が表れているとみることもできな い。したがって、被告パズルLを原告パズルLの複製あるいは翻案と認める ことはできない。 ( ) 以上によれば、被告パズル14 A、E、Fは、それぞれ原告パズルA、E、 Fについての原告の複製権あるいは翻案権を侵害したものと認められ、その 余の原告各パズルについての原告の複製権侵害及び翻案権侵害の主張は、い ずれも理由がない。 2 争点3(損害額)について (1) 著作権法114条2項に基づく損害について ア 上記認定の事実によれば、「右脳を鍛える大人のパズル」の執筆により、 被告が得た利益は、原稿料25万円と印税110万1820円(619円 ×2%×8万9000部)の合計135万1820円である(上記第2の 1(10)(12))。同書籍には80問が収録されており(弁論の全趣旨)、その うち被告が原告の複製権を侵害したのは被告パズルAのみであるから、被 告が原告の複製権侵害の行為により受けた利益は、上記135万1820 円に80分の1を乗じた1万6897円とみるのが相当である。 イ上記認定の事実によれば、「左脳を鍛える大人のパズル」の執筆により、 被告が得た利益は、原稿料25万円と印税92万8500円(619円× 2%×7万5000部)の合計117万8500円である(上記第2の1 (11)(13))。同書籍には83問が収録されており(弁論の全趣旨)、そのう ち被告が原告の複製権を侵害したのは被告パズルE及びFであるから、被 告が原告の複製権侵害の行為により受けた利益は、上記117万8500 円に83分の2を乗じた2万8397円とみるのが相当である。 (2) 慰謝料について 被告が原告パズルA、E、Fを複製又は翻案した被告パズルA、E、Fを 著作者である原告の氏名を表示することなく「右脳を鍛える大人のパズル」 及び「左脳を鍛える大人のパズル」に掲載したことにより、原告は、原告パ ズルA、E、Fについて有する氏名表示権を侵害されている。また、被告パ ズルA、E、Fは原告に無断で原告パズルA、E、Fに改変を加えたもので あり、原告が有する同一性保持権をも侵害している。そして、本件訴訟に顕 れた事情を総合すれば、氏名表示権侵害及び同一性保持権侵害に基づき原告 が被った精神的苦痛を慰謝するには、20万円をもって相当と認める。 3 結論  よって、原告の本訴請求は、主文掲記の限度で理由があり、その余は理由が ないから、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第46部 裁判長裁判官 設樂 隆一    裁判官 関根 澄子    裁判官 古庄 研 注) 更正決定により12 頁の「原告の協力者」を「被告の協力者」と更正