・那覇地判平成20年9月24日  「写真で見る首里城」事件  写真家であるXは、平成9年10月1日にY1(被告株式会社東亜フォトニクス)の従 業員として就職し、同年12月25日にY1の株式を取得するとともに、同社の取締役と なったが、その後、平成14年2月20日、Y1の代表者であるBに対し、自己が保有し ていた被告東亜の株式を譲渡するとともに、Y1の取締役を辞任した  Y1は、Y2(被告財団法人海洋博覧会記念公園管理財団)の委託を受けて、平成9年、 那覇市内に所在する歴史的建造物である首里城等を写真と文章で紹介する写真集「写真で 見る首里城」の初版を編集および制作し、Y2はこれを監修および発行した。この写真集 は、その後も版を重ね、遅くとも平成17年ころ、Y1は、上記写真集の第4版に当たる 本件写真集を編集および制作し、Y2はこれを監修して平成17年6月30日に発行した。 本件写真集の巻末の奥付き(奥書)には、写真撮影者の表示としてBの氏名及び略歴が掲 載されているが、Xの氏名等は掲載されていない。  Xは、Y1およびY2に対し、Xが撮影した本件各原写真をYらが無断で複製して、本 件写真集「写真で見る首里城(第4版)」に掲載するなどしていることは、Xの複製権お よび氏名表示権の侵害に当たるとして、本件各原写真の複製権等に基づいて、本件各原写 真の複製物等を削除しない限りでの本件写真集の複製および販売の差止め、使用料相当額 の損害賠償を請求するなどした。  判決は、写真18以外については、職務著作によりY1を著作者と認めたが、写真18 については、XがY1に就職する前に撮影されたものだとして、その限りで、複製権、譲 渡権、氏名表示権の侵害を認めて損害賠償請求を認容したものの、差止請求については、 写真18が本件写真集において「極小さい割合を占めているにすぎない」ことや、「本件 写真集がさらに出版される可能性が小さいことも併せ考えれば、XのYらに対する前記差 止め請求は、権利の濫用であって許されないというべきである」とした。 ■争 点 1 原告の写真撮影の有無 2 本件各原写真の創作性 3 職務著作の当否 4 著作権法15条1項にいう別段の定めの有無 5 著作権譲渡、複製等許諾又は氏名表示権不行使合意の有無等 6 被告らの過失の有無 7 過失相殺 8 損害の有無及び額 9 謝罪広告の必要性 ■判決文 第6 当裁判所の判断 1 原告の写真撮影の有無(争点1)について (1)証拠(乙イ1の1、乙イ2の1)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の右掖門の写 真である本件原写真1は、平成13年10月19日、Dを撮影助手として、原告が撮影し たものであることが認められる。 (2)証拠(乙イ1の3、乙イ2の3)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の日影台の写 真である本件原写真3は、平成12年4月22日、Dを撮影助手として、原告が撮影した ものであることが認められる。 (3)証拠(乙イ1の4、乙イ2の2)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の広福門の写 真である本件原写真4は、平成12年4月17日、Bを撮影助手として、原告が撮影した ものであることが認められる。 (4)証拠(乙イ1の5、乙イ2の2)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の広福門前広 場の写真である本件原写真5は、平成12年4月17日、Bを撮影助手として、原告が撮 影したものであることが認められる。 (5)証拠(乙イ1の6、乙イ2の4)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の首里森御嶽 の写真である本件原写真6は、平成9年12月31日、Bを撮影助手として、原告が撮影 したものであることが認められる。 (6)証拠(乙イ1の7、乙イ2の5)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の下之御庭の 写真である本件原写真7は、平成11年3月2日、Bを撮影助手として、原告が撮影した ものであることが認められる。 (7)証拠(乙イ1の10、乙イ2の8)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の御庭(う なー)の航空写真である本件原写真10は、平成12年9月20日、原告が撮影したもの であることが認められる。 (8)証拠(乙イ1の11、乙イ2の9)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の北殿内部 の写真である本件原写真11は、平成13年3月2日、B及びDを撮影助手として、原告 が撮影したものであることが認められる。 (9)証拠(乙イ1の13)及び弁論の全趣旨によれば、今帰仁城跡の写真である本件原 写真13は、平成11年9月14日、Dを撮影助手として、原告が撮影したものであるこ とが認められる。 (10)証拠(乙イ1の14、乙イ2の5)及び弁論の全趣旨によれば、首里城付近の園 比屋武御嶽石門の写真である本件原写真14は、平成11年3月2日、原告が撮影したも のであることが認められる。 (11)証拠(乙イ1の15)及び弁論の全趣旨によれば、勝連城跡の写真である本件原 写真15は、平成11年9月、原告が撮影したものであることが認められる。 (12)証拠(乙イ1の17)及び弁論の全趣旨によれば、斎場御嶽(せいふぁうたき) の写真である本件原写真17は、平成11年10月、原告が撮影したものであることが認 められる。 (13)証拠(甲2)によれば、座喜味城跡の写真である本件原写真18は、平成9年8 月、原告が撮影したものであることが認められる。 (14)小括 ア 上記(1)ないし(13)のとおり、原告が本件各原写真をいずれも撮影したもので あり、うち本件原写真1ないし17は原告が被告東亜に在職中に、うち本件原写真18は 原告が被告東亜に就職する前にそれぞれ撮影したものであった。  そうすると、本件各原写真は、いずれも原告によって作成されたものである。 イ なお、被告東亜においては、原告が撮影した写真には「001−」で始まる整理番号 ないし撮影者表示が付されて整理され、B等が撮影した写真には「002−」で始まる整 理番号ないし撮影者表示が付されて整理されていた(弁論の全趣旨)。  また、証拠(甲5)及び弁論の全趣旨によれば、本件各原写真のマウント(紙製等の一 種の枠)は、本件各原写真を本件第3版の発行に使用した時点ころ又は遅くとも本件写真 集の発行に使用した時点ころまでに、上記各使用の目的でいったん開封され(取り外さ れ)、被告東亜の従業員によって新たなマウントに装填されたことが認められる。そして、 証拠(B本人(調書9頁))及び弁論の全趣旨によれば、上記の新たなマウントに装填さ れた際に、被告東亜の従業員が本件原写真18のマウントに撮影年月を「2001.6」 (平成13年6月)と誤って記載したことが認められる。したがって、本件原写真18の マウントには上記のとおり、真の撮影年月とは異なった年月が記載されているものである が(乙イ1の18)、これは誤った記載であって、この記載があることによって前記(1 3)の認定が左右されるものではない。 2 職務著作の当否(争点2)について (1)法人その他使用者(以下「法人等」という。)の発意に基づいて、当該法人等の業 務に従事する者が職務上作成する著作物であって、当該法人等が自己の著作名義で公表す るものの著作者は、作成時において契約等に別段の定めがない限り、当該法人等となると ころ(著作権法15条1項)、同項にいう「法人等の業務に従事する者」に当該「法人等 と雇用関係にある者がこれに当たることは明らかであるが、雇用関係の存否が争われた場 合には、同項の『法人等の業務に従事する者』に当たるか否かは、法人等と著作物を作成 した者との関係を実質的にみたときに、法人等の指揮監督下において労務を提供するとい う実態にあり、法人等がその者に対して支払う金銭が労務提供の対価であると評価できる かどうかを、業務態様、指揮監督の有無、対価の額及び支払方法等に関する具体的事情を 総合的に考慮して、判断すべきもの」であると解される(最高裁平成13年(受)第21 6号・平成15年4月11日第二小法廷判決)。  本件においては、本件在籍中各原写真の撮影(作成)当時、原告と被告東亜との間で雇 用関係があったか否かが争われているから、同項にいう「法人等の業務に従事する者」に 当たるか否かを判断するについては、上記のとおり、使用者たる被告東亜と作成者たる原 告との間の関係に係る具体的事情も総合的に考慮して判断すべきである。   ここで、証拠及び弁論の全趣旨によれば、原告と被告東亜との間の契約関係、被告東亜 による指揮監督の有無及び内容、被告東亜が原告に対して支払った金員の性格等に関し、 次の(2)のとおりの各事実が認められる。 (2)前提事実 <中略> (3)判断 ア 前記(2)エ(オ)のとおり、原告は平成9年10月1日に被告東亜に就職し(雇用 契約の締結)、以後被告東亜との間で雇用関係を有するに至ったものであるが、同日以後、 前記(2)サ(ウ)のとおり原告が退職届をBに提出する以前において、原告が被告東亜 に対して従業員を退職するとの意思表示をしたり、又は被告東亜との間で従業員の地位を 喪失させる等の合意をしたことを認めるに足りる証拠はない。  そして、前記(2)カ及びキのとおり、原告が被告東亜の取締役に就任した後も従業員 としての給与の支給を受け、被告東亜を事業主とする社会保険に加入し、一定期間保険料 納付が中断したものの、雇用保険に加入していたことにかんがみると、原告は、平成14 年2月20日に被告東亜を退職するまで、被告東亜の従業員たる地位を有していたものと いうべきである。  そうすると、本件在籍中各原写真の撮影当時(平成9年12月31日ないし平成13年 10月19日)において、原告は被告東亜の従業員兼取締役であったというべきである。  ところで、上記撮影当時においては、会社法施行前の旧商法(明治32年3月9日法律 第48号)が適用されるところ、旧商法においては、株式会社の平取締役は業務執行をす る権限を有していなかったから(旧商法260条参照)、原告による写真撮影という労務 の提供は、被告東亜の従業員たる地位に基づいてされたものといわざるを得ない。  したがって、本件在籍中各原写真の著作者との関係では、原告が被告東亜と雇用関係に ある者であり、被告東亜の業務に従事する者に当たるというべきである。 イ 原告の主張について (ア)原告は、被告東亜が、平成9年12月25日以降、原告につき雇用保険に加入せず、 出勤簿やタイムカードによる勤怠管理を行っていなかったから、原告は著作権法15条1 項にいう「法人等の業務に従事する者」に当たらない旨を主張する(前記第5の3(原告 の主張)(1)イ)。  しかしながら、前記(2)カ(イ)のとおり、原告はまったく雇用保険に加入していな かったわけではない。被告東亜は、原告につき、事業主として一定期間雇用保険料を納付 しなかったことがあったものの、その後に再び雇用保険料を納付したのであって、被告東 亜による雇用保険料納付の中断の事実等をもって、直ちに原告が被告東亜と雇用関係にな かったということもできない。  また、被告東亜において、原告に関して出勤簿による勤怠管理が行われていたことを認 めるに足りる証拠はないが、だとしても、上記のような勤怠管理がされていなかったこと の一事をもって、直ちに原告が被告東亜と雇用関係になかったということはできない。  そして、前記(2)オ(カ)のとおり、被告東亜においても、遅くとも平成12年8月 ころ以降はタイムカードを使用して勤怠管理を行っていたのであって、それ以前のタイム カードの不使用の事実をもって、直ちに原告が被告東亜と雇用関係になかったということ はできない。  そうすると、雇用保険料不納付等を理由として、原告と被告東亜との間の雇用関係を否 定することはできず、原告の上記主張を採用することはできない。 (イ)原告は、被告東亜の勤務時間及び平日・休日の別に関係なく仕事をし、被告東亜か ら勤務時間を管理されたことはなかったし(前記第5の3(原告の主張)(1)イ(ア))、 少なくとも平成12年3月までは、取締役の報酬のみを支給されており、残業代等を支給 されたことはなく、平成12年ころに給与を支給された形にしたのは、被告東亜の存続や 原告の地位や生活を守るために、形式的に従業員としての体裁を整えるべく、従業員に支 給する体裁をとったからにすぎないから(前記第5の3(原告の主張)(1)イ(オ))、 原告は前記「法人等の業務に従事する者」に当たらない旨等を主張する。  しかしながら、前記(2)オ(ア)のとおり、原告は被告東亜に就職した当初から、管 理職たる部長であったのであって、一般の従業員とは異なって、残業代等が支給されない のはやむを得ないことであるし、前記(2)イのとおり、被告東亜では勤務時間が一応定 められており、また、前記(2)キのとおり、被告東亜は、原告に対し、役員報酬とは別 に、ないしは役員報酬と合わせて、従業員給与を支給していた。  そして、上記のとおり、原告に対して残業代等が支給されない以上、原告の勤務時間を 厳格に管理する必要は乏しいから、被告東亜による原告の勤務時間の管理が緩やかになっ ていたとしても、このことの一事をもって、原告の従業員たる地位が否定されることにな るわけではない。  また、被告東亜において、会社運営上の問題をクリアするために、支給総額を変えずに、 役員報酬部分を減額し、他方従業員給与部分を増額したことがあったとしても、原告との 間の雇用関係の有無が左右されるものではない。  そうすると、残業代等の不支給等を理由として、原告と被告東亜との間の雇用関係を否 定することはできず、原告の上記主張を採用することはできない。  なお、被告東亜は、社内の基準に従って定められた、原告の当初の従業員給与の大半に あたる金員を、原告が取締役に就任した後に役員報酬として支給し、各月の役員報酬と従 業員給与の合計額が不変になるようにしたり、平成12年11月分以降の役員報酬及び従 業員給与の合計額を、従業員給与の算定方式に従って算出したりしており、少なくとも原 告については、役員報酬と従業員給与の区別が曖昧であった。上記のとおり従業員給与の 算定方式が使用されていたことがあったことにかんがみれば、原告が被告東亜から毎月支 給を受けていた金員は、役員報酬というよりは従業員給与の性格を強く帯びていたものと いうこともできる。 (ウ)原告は、原告がミーティング等を主催し、また写真部門の責任者として、写真貸出 し業務の運営を行い、また自ら写真撮影を行い、撮影した写真の整理作業を行っていたが 、被告東亜からその方法等につき指示されたことはなかったから、原告は前記「法人等の 業務に従事する者」に当たらない旨等を主張する(前記第5の3(原告の主張)(1)イ (イ)、(ウ))。  しかしながら、前記(2)オ(ア)のとおり、原告は被告東亜に就職した当初から、管 理職たる部長であったし、また前記(2)オ(ウ)のとおり、原告が被告東亜の取締役に 就任した後の平成10年2月ころからは、被告東亜の営業の管理責任者として、営業全般 を統括していたのであって、代表取締役社長であるBから逐一具体的に指示されていなか ったのはむしろ当然である。原告がB等から具体的に指示を受けず、ある程度自由に作業 の方法を決定できたのは、原告が被告東亜の従業員のうちでも管理的な高い地位を占めて いたからにすぎないのであって、この一事をもって原告と被告東亜との間の雇用契約が否 定されることも、原告が前記「法人等の業務に従事する者」に当たらないということもで きない。  そうすると、原告の上記主張を採用することはできない。  (エ)原告は、自らの判断で、いつ、どこの現場に行って撮影をするかを決めており、被 告東亜から命じられて撮影をするということはなかったし、撮影のアングル、手法につい ては、まったく原告の裁量に委ねられていたから、原告は前記「法人等の業務に従事する 者」に当たらない旨等を主張する(前記第5の3(原告の主張)(1)イ(エ))。  しかしながら、前記(2)オ(エ)のとおり、被告東亜では、通常、撮影前に打合せを 行い、従業員等が2名1組で撮影作業を行うこととされ、従業員等が単独で撮影作業を行 う場合でも、事前に撮影対象や、撮影場所、時間、使用する自動車を届け出て、撮影作業 を行うこととされていたし、特に、官公庁等から具体的に被写体等を指定されて行う写真 撮影や、撮影作業に時間がかかる大型カメラを使用しての写真撮影においては、事前に発 注者の担当職員と協議し、撮影計画を練ってから、撮影作業を行っていたものであった。  また、原告は、発注者の指示に基づき、被告東亜の社内で決めた方針に従い、かつ被告 東亜が所有する撮影機材を使用して、写真撮影を行ったが、撮影した都度、当日の作業の 報告書である撮影日報を作成し、撮影時刻、当日の天候、気温、撮影者、撮影対象や使用 機材等を被告東亜に報告していた。  そうすると、原告の上記主張はその前提を欠くものであるといわざるを得ないが、仮に 原告が被告東亜の方針に反して、単独で撮影作業を行うことが度々あったり、必要な報告 を怠ったことがあったとしても、それは原告が単に被告東亜の社内の作業の方針に従わな かったというものにすぎず、到底前記アの結論を左右するものではない。  そもそも、著作権法15条の趣旨は、雇用関係等にある者がその職務上作成する著作物 については、使用者たる法人等が通常その作成費用を負担し、創作に係る経済的リスクを 負担していること、法人等の内部で職務上作成された著作物につき社会的に評価や信頼を 得、また責任を負うのは、社会の実態として、通常当該法人等であるとみられること、上 記のような著作物については、著作者を当該法人等とする方が著作物の円滑な利用に資す ることから、著作者を使用者たる法人等とした点にあるものと解される。  そうすると、著作権法15条1項にいう「法人等の業務に従事する者」に当たるか否か を決するに当たって斟酌すべき当該法人等の指揮監督の内容は、必ずしも当該著作物の創 作性に寄与するものであることを要せず、業務遂行や労務管理等のための一般的なもので も差し支えないものというべきである。  ここで、写真家が行う写真の撮影は、単純な機械的作業ではなく、被写体や構図が概ね 指定されていたとしても、撮影者によって撮影の手法や構図の取り方に裁量の余地がある ものであるところ、少なくとも本件在籍中各原写真に関しては、原告は被告東亜が指定し た被写体や撮影方法等に従い、上記趣旨の裁量の限度において、撮影を行ったにすぎない ものであって、原告が完全な自由裁量で本件在籍中各原写真の撮影を行ったものではなか った。  したがって、原告が被告東亜における作業においてある程度の裁量を有していた事実が あったからといって、前記アの結論は左右されるものではなく、原告の上記主張を採用す ることはできない。 ウ なお、仮に本件在籍中各原写真が原告の従業員たる地位に基づいて撮影されたもので あったということができないとしても、原告と被告東亜との間の関係を実質的にみたとき には、〔1〕原告は大まかであるとはいえ被告東亜から被写体等の指定を受けて写真撮影 を行い、撮影の結果を被告東亜に報告しており、被告東亜の一般的な指揮監督下において 写真撮影という労務を提供していたものであったし、〔2〕被告東亜が原告に対して支給 していた金員は、原告が作成した写真の点数や被告東亜において使用した点数に関わりな く支払われ、著作権の譲渡や複製等の許諾の対価の性格を帯びておらず、従業員に対する 毎月の給与の性格、すなわち原告の労務提供の対価たるべき性格を有していたものであっ たから、原告は被告東亜の「業務に従事する者」に当たるということができる。 エ 前記(2)ケ及びコのとおり、原告は、被告東亜の指示に基づき、成果物を発注者に 納入する目的ないし被告東亜の写真集等の作成等(本件第3版の制作はその1つである。) に役立てる等の目的で、被告東亜の業務の一環として、本件在籍中各原写真を撮影したも のであったから、原告による上記各撮影は、いずれも、原告の職務上行われたものであっ たということができる。  そうすると、本件在籍中各原写真は、いずれも、著作権法15条1項にいう「法人等の 業務に従事する者が職務上作成する著作物」に当たる。 オ 前記(2)ケ及びコのとおり、本件在籍中各原写真は、いずれも、被告東亜の指示に 基づき、成果物を発注者に納入する目的ないし被告東亜の写真集等の作成等に役立てる等 の目的で、原告が被告東亜の業務の一環として作成(撮影)したものであったから、その 作成が被告東亜の発意に係るものであったことは明らかである。  そうすると、本件在籍中各原写真は、いずれも著作権法15条1項にいう「法人等の発 意に基づき」作成されたものに当たる。  なお、同項の趣旨は前記イ(エ)のとおりであると解されるから、上記「法人等の発意」 を、使用者が著作物の創作をコントロールし得る権限を有し、かつ従業員の著作物の作成 が使用者の権限下でされることをいうものと限定的に解することはできない。 カ そして、前記エのとおり、本件在籍中各原写真は、原告が、いずれも、被告東亜の指 示に基づき、成果物を発注者に納入する目的ないし被告東亜の写真集等の作成等に役立て る等の目的で、被告東亜の業務の一環として、本件在籍中各原写真を作成(撮影)したも のであったが、前記(2)ケ及びコのとおり、少なくとも本件第2版及び本件第3版の巻 末の各奥付きには、編集制作者として被告東亜の商号が表示されているし、証拠(B本人 (調書21頁)及び弁論の全趣旨)によれば、被告東亜では写真の著作名義を自社として 記載することを欲していたことが認められる。  そうすると、本件在籍中各原写真はいずれも、被告東亜の著作名義で公表することを予 定して作成されたものであったと推認することができる。  したがって、本件在籍中各原写真は、いずれも、著作権法15条1項にいう「法人等が 自己の著作の名義の下に公表するもの」に当たる。  なお、原告は、本件在籍中各原写真が原告の著作名義で公表することを予定して作成さ れたから、本件在籍中各原写真は被告東亜の著作名義の下に公表するものには当たらない 旨を主張する。しかしながら、本件在籍中各原写真が原告の著作名義で公表することを予 定して作成されたことを認めるに足りる証拠はなく、前記(2)コの本件第3版の写真撮 影者に係る表示において原告の氏名が記載されていたことがあったからといって、この記 載の事実から直ちに、本件在籍中各原写真が、その作成当時原告の著作名義で公表するこ とが予定されていたともいうことができない。  したがって、原告の上記主張は前提を欠き、失当であるというべきである。 キ 結局、本件各原写真のうち本件在籍中各原写真は、いずれも、著作権法15条1項の 職務著作に係る著作物に当たるから、その作成当時に契約や就業規則等に別段の定めがな い限り、被告東亜がその著作者とされる。  しかし、前記1のとおり、本件原写真18は、原告が被告東亜に就職する以前である平 成9年6月に撮影したものであったから、その著作者は原告であり、被告東亜が著作者と なる余地はない。 3 著作権法15条1項にいう別段の定めの有無(争点4)について (1)原告が、被告東亜に就職した時点又はその前後に、被告東亜の代表者のBとの間で、 原告が被告東亜に在職中に撮影した写真につき、原告がその著作者となる旨を合意したこ とを認めるに足りる証拠はない。  そもそも、被告東亜のような、写真や書籍等の制作を業とする法人等においては、制作 した著作物の著作者が誰であるか、著作権が誰に帰属するかという事柄は、極めて重要な ものであって、仮に制作後に差止め請求等を受けるときは、投下した資金等が無駄になる ことがあるのみならず、納入先ないし販売先等にも重大な営業上の悪影響ないし経済的損 失を被らせる事態を生じさせる可能性があるものであって、従業員等がその職務上作成し た著作物について著作者となる余地を残すとき等には、就業規則等に盛り込んだり、契約 書等の書面を作成して、その合意内容を明確にするのが通常である。  しかるに、本件全証拠によっても、原告が被告東亜との間で、原告が在職中に職務上作 成した写真につき、その著作者を原告とする旨の契約書等を作成したことを認めることは できない(なお、原告は、その本人尋問において、被告東亜との間で原告が撮影した写真 の著作権の帰属について文書を作成したことはない旨を供述している(調書23頁))。  むしろ、反対に、前記2(2)イ(エ)のとおり、原告が被告東亜に就職する以前から、 被告東亜の就業規則においては、従業員がその職務上作成した著作物の著作権は被告東亜 に帰属する旨が定められていたのであって、上記著作物に係る被告東亜の社内における方 針は、著作権法15条1項の原則のとおり、著作者を被告東亜とするものであったという ことができる。 (2)この点、原告の本人尋問における供述(調書(4、5頁))及び原告の陳述書(甲 15(6頁))中には、Bが原告に対し、2度にわたって、著作権について明文化したも のがないので、カメラマンに著作権がある旨の文書を作成しようと述べた旨の各部分があ るところ、上記各部分は原告の主張(前記第5の4(原告の主張))に沿ったものである。  しかし、上記各部分はBの本人尋問における供述(調書2、3頁)と齟齬する上、原告 本人尋問の供述中には、Bが上記のとおり述べた際に、「そうですね」とのみ答えて、そ の後に文書が作成されたかどうかをあえて確認しなかった旨の部分(調書5頁)があると ころ、証拠(原告本人(調書5、10、25頁)、B本人(調書14頁)、甲21、22、 乙イ68)によれば、〔1〕原告は被告東亜に就職する前から、自己が撮影した写真の著 作権について強い関心を有していたこと、〔2〕被告東亜に就職した後、原告は、度々、 Bに対し、著作権に関して疑問を投げかけたことがあったこと、〔3〕原告は、被告東亜 に就職する前に、株式会社交通公社フォトライブラリ等と契約した際、契約書を作成して 必ず著作権の帰属等について明らかにしていたこと、〔4〕原告は、被告東亜に就職した 後の平成10年12月ころ、著作権に関わる事項を取り扱う公の団体である社団法人著作 権情報センターに対し、著作権に関わる資料や定期的刊行物の有無等を問合せたことがあ ったこと、〔5〕原告は、被告東亜の職務において、被告東亜が外部の契約カメラマンと 締結する契約書の作成等に携わり、写真の取扱いを明文化する作業を行ってきたことがそ れぞれ認められるから、原告が上記のとおりBの発言を聞いたのみで、その後にBに対し 何ら文書の作成を求めなかったというのは、原告が被告東亜の取締役に就任したことを考 慮しても、不自然な感をぬぐえないものであり、Bの発言に係る上記各部分を信用するこ とはできないといわざるを得ない。  仮にBが原告が職務上撮影した写真の取扱いにつき何らかの発言をしたことがあったと しても、前記のとおり、原告が被告東亜との間で、著作権の帰属につき何ら文書を作成し ていないことにかんがみれば、未だ構想の域を出なかったといわざるを得ず、未だ、被告 東亜の代表者たるBとの間で、原告がその職務上作成した写真の著作者を原告とする旨を 合意するに至っていなかったものというべきである。  なお、前記2(2)エのとおり、Bは原告が被告東亜に就職する以前に、原告に対し、 一緒に仕事をしようとか、対等の関係で仕事をしようとか、原告のスポンサーのつもりで あるなどと発言していたからといって、弁論の全趣旨によれば、上記各発言は原告の就職 を勧誘するためにされたものにすぎなかったことが認められるから、原告と被告東亜との 間で、原告が職務上作成した写真の著作者を原告とする旨の合意がされたことを裏付ける ものではないというべきである。また、Bが平成13年10月24日以前には、原告が職 務上作成した写真の著作権をまったく問題にしていなかったとしても、これはBが当時、 上記写真の著作者は被告東亜であると認識していたことに基づいていたにすぎないものと 推認できるから、前記結論を左右するものではないというべきである。  そして、これらのほかに、本件在籍中各原写真等の著作者に関する原告と被告東亜との 間の前記別段の定めにつき、前記結論を左右するに足りる証拠は存しない。 (3)結局、原告が、被告東亜に就職した時点又はその前後に、被告東亜の代表者のBと の間で、原告が被告東亜に在職中に撮影した写真につき、原告がその著作者となる旨を合 意したということはできず、原告と被告東亜との間において著作権法15条1項にいう 「別段の定め」がされたとはいえない。  そうすると、本件在籍中各原写真の著作者は被告東亜であって、原告ではないというべ きである。  そして、原告は被告東亜から本件在籍中各原写真の著作権を譲り受けたわけではないか ら、原告は本件在籍中各原写真につき、著作者のみが有する権利である氏名表示権はもち ろん、複製権や翻案権等の著作権を何ら有するものではない。  したがって、その余の争点につき判断するまでもなく、原告の被告らに対する、本件在 籍中各原写真の氏名表示権等に基づく各請求はいずれも理由がない。 4 本件原写真18の創作性(争点2のうち本件原写真18に係る部分)について  前記3のとおり、本件各原写真のうち、本件原写真18を除く写真、すなわち本件在籍 中各原写真に係る請求は、原告が著作者人格権等を有せず理由がないから、以下、本件原 写真18についてのみ判断する。  本件原写真18は、沖縄県内の城跡の1つであり、世界遺産にも登録されている座喜味 城跡を地上から撮影した写真であるところ、その構図は大略、2層になっている石積みの 城壁のうち下層の城壁が画面の概ね下半分を占め、また上層の城壁が画面の中央付近から 6分の1程度の高さを占め、画面の上部3分の1強の高さの部分を背景たる青空が占めて おり、かつ下層の城壁の一部が画面中央付近から画面下端に向けて右手方向にカーブし、 この城壁のカーブしている部分が影になっているというものであって、概ねその全部が明 るくなっている上層の城壁とは異なり、上記の影になっている部分が下層の城壁に明暗の コントラストを作り、城壁のカーブを強調する効果をもたらしているものである。  ここで、被告東亜の原告以外の従業員が平成14年7月に撮影した座喜味城跡の写真 (乙イ65の1)は、本件原写真18とほぼ同様の位置から、ほぼ同様のアングルで撮影 されたものであるところ、上記写真は、本件原写真18とは、背景となる青空が画面に占 める割合、上層の城壁の左右方向の位置、下層の城壁で囲まれる地面部分の緑色の草木の 量が異なるほか、上記写真が下層の城壁の明暗を作ったものでない一方、前記のとおり、 本件原写真18では下層の城壁の明暗をあえて作っている点が大きく異なり、したがって 城壁のカーブを強調するか否かが大きく異なっている。  上記のとおり、同じ座喜味城跡をほぼ同じ位置及びアングルで撮影しても、相当印象が 異なる写真が作成されている点にかんがみると、本件原写真18は機械的に撮影されたご くありふれたものである等とは到底いうことができず、本件原写真18は、その表現の仕 方につき、原告の思想ないし感情が創作的に反映された、美術の著作物に当たるというべ きである。  なお、本件原写真18は、乙イ65号証の1の写真に比して、ピントが若干甘いものの、 このことの一事をもって本件原写真18の創作性を否定することはできない。 5 本件原写真18の著作権譲渡、複製許諾又は氏名表示権不行使合意の有無等(争点5 のうち本件原写真18に係る部分)について (1)ア 被告らは、被告東亜は、平成9年9月29日に原告を面接した際、原告との間 で、原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真の買取りの趣旨で金員を支払ったから、 本件原写真18等については、原告から著作権の譲渡を受けたか、又は複製等の許諾等を 受けた旨を主張する。 イ しかしながら、著作者が自己の著作物につき複製権や翻案権等の著作権を他人に譲渡 するときは、以後自己が作成した物であるにもかかわらず複製や翻案等を行うことができ なくなるという重大な結果を生じることになるし、著作権の譲渡を受ける者としてもその 後の独占的利用を確保する必要があり、かつ権利を主張する第三者が出現するときはその 営業活動上重大な不都合を生じることになるから、著作権の譲渡に当たっては、契約書等 の書面を作成して、その合意内容を明確にするのが通常である。  しかるに、本件全証拠によっても、原告が被告東亜との間で、本件原写真18等の、原 告が被告東亜に就職する以前に作成した写真の著作権を被告東亜に譲渡する旨の契約書等 の書面を作成したことを認めることはできない。  その上、前記2(2)エ(エ)の支度金20万円のうちに、原告が被告東亜に就職する 前に撮影した写真の著作権の譲渡代金が含まれていたことを認めるに足りる証拠はない。 前記2(2)エのとおり、Bは熱心に原告に対し被告東亜に就職するよう勧めていたもの であったし、証拠(甲16)によれば、原告は、被告東亜に就職した初日(平成9年10 月1日)に早速、国営沖縄記念公園・海洋博覧会地区に出かけて、被告東亜の業務として、 イベントの集合写真を撮影したことが認められるから、上記支度金は、原告の就職を後押 しし、原告に当面生じる費用の支弁を援助する趣旨のものであったと推認することができ る。  結局、被告東亜が、平成9年9月29日に原告を面接した際、原告との間で、本件原写 真18等の、原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真の著作権の譲渡を受けた旨の、 被告らの上記主張は理由がない。 ウ また、被告東亜が平成9年9月29日に原告に交付した支度金の趣旨が前記イのとお りである一方、上記支度金のうちに原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真の複製等 の許諾の対価が含まれていることを認めるに足りる証拠はないから、被告東亜が、平成9 年9月29日に原告を面接した際、原告から、本件原写真18等の、原告が被告東亜に就 職する前に撮影した写真の複製等の許諾を受けた旨の、被告らの上記主張は理由がない。 (2)ア 被告らは、原告は、自ら希望して被告東亜のフォトライブラリーに本件原写真 18等を提供し、この場合には原告は被告東亜に対して、当該写真の著作権を主張せず、 かつ使用料を請求しない旨を申し出たのであって、被告東亜に就職する以前に撮影した写 真を被告東亜が自由に複製等することを許諾した等と主張する。 イ 確かに、前記2(2)クのとおり、原告は自ら進んで自己が被告東亜に就職する以前 に撮影した写真を被告東亜のフォトライブラリーに提供したものであったところ、証拠 (原告本人尋問(調書21、22頁))によれば、原告は被告東亜に対し、フォトライブ ラリーに提供した写真につき、使用料を要求したことも、被告東亜から使用料を受領した こともなかったことが認められる。 ウ しかしながら、前記2(2)オ(ウ)のとおり、原告は被告東亜の従業員であった間、 フォトライブラリー業務を担当していたところ、証拠(原告本人尋問(調書24頁))に よれば、原告が被告東亜のフォトライブラリーに自己が被告東亜に就職する前に撮影した 写真を提供したのは、フォトライブラリーの売上げを伸ばすことで、被告東亜の経営に貢 献するためであったことが認められる。  そして、本件写真集に対する本件原写真18の使用は、被告東亜が制作する写真集への 使用であって、被告東亜が外部の第三者に使用を許して使用料を徴求する場面とは、その 様相が異なることは否定できない。  加えて、前記2(2)サ(ウ)のとおり、原告は被告東亜に対し、その退職に際して自 己が撮影した写真のフィルムを返還するよう要求しており、他方被告東亜も、原告に対し、 原告が退職した後に、原告が被告東亜に就職する前に撮影して、被告東亜に預けた写真の フィルムのうち、本件原写真18以外の写真のフィルムを返還したものであった。  そうすると、原告が自己が被告東亜に就職する以前に撮影した写真を被告東亜のフォト ライブラリーに登録した等の事実から、少なくとも、原告が被告東亜に対し、被告東亜に 就職する以前に撮影した写真を、原告が被告東亜を退職した後においても、被告東亜にお いて、被告東亜が制作する写真集等に自由に複製等することを明示又は黙示に許諾したと までみることは困難である。 (3)ア 被告らは、原告が被告東亜を退職するときに、被告東亜に対し、自己が職務外 で撮影した、被告東亜が保管中のフィルムに係る権利を放棄するとの意思表示をしたから、 本件原写真18等の、被告東亜の職務と無関係に撮影した写真に係る著作権等を放棄した か、又は被告東亜に上記著作権等を無償で譲り渡した等と主張する。 イ しかしながら、原告が被告東亜に対し、自己が職務と無関係に撮影した写真に係る著 作権を無償で譲渡又は放棄したことを認めるに足りる証拠はない。  むしろ、前記2(2)サ(ウ)及び(エ)のとおり、原告は被告東亜に対し、その退職 に際して自己が撮影した写真のフィルムを返還するよう要求しており、他方被告東亜も、 原告に対し、原告が退職した後に、原告が被告東亜に就職する前に撮影して、被告東亜に 預けた写真のフィルムのうち、本件原写真18以外の写真のフィルムを返還したものであ った。  また、前記(2)イと同様に、原告が本件第3版に自己が被告東亜に就職する前に撮影 した写真が使用されていることを知りながら、被告東亜に対して使用料を要求しなかった のは、自己が被告東亜の従業員及び取締役であった当時に、その掲載がほぼ決まっており、 退職当時には制作作業が終盤にさしかかっていたからにすぎなかった(原告本人(調書2 8頁)、弁論の全趣旨)。  そうすると、原告が被告東亜を退職する際に、自己が被告東亜に就職する以前に撮影し、 被告東亜のフォトライブラリーに登録する等して、被告東亜においてフィルムを管理中で あった写真の著作権を被告東亜に対して無償で譲渡ないし放棄したというのは困難である。 (4)ア 被告らは、原告は、被告東亜に在職中、本件第2版及び第3版の企画及び制作 に深く関与し、写真集「写真で見る首里城」が改訂を重ねていく性格の書籍であることを 知っていたにもかかわらず、原告は、被告東亜を退職する以前に、被告東亜との間で、自 己が撮影した写真の著作権に関し何らの取決めをすることも、被告東亜に対して上記写真 の使用料を請求することもなく、また当時被告東亜において保管中であった上記写真の使 用料につき、被告東亜との間で何ら取決めをせず、上記写真を引き取ることもしなかった から、原告は、上記退職の際、被告東亜との間で、原告が撮影した写真につき、被告東亜 において自由に複製等して使用することを、少なくとも黙示に合意した旨を主張する。 イ 確かに、前記2(2)オないしコのとおり、原告は被告東亜に在職中は、そのほとん どの期間において被告東亜の営業の大半を担当していたのであって、本件第2版及び第3 版の制作にも能動的かつ大幅に関与していたから、被告東亜を退職する前後において、写 真集「写真で見る首里城」が、本件第3版で打ち切りになり、以後同種の写真集を発行す ることがない性格のものではなく、それ以降も改訂を重ねる可能性があったことを認識し ていたものと容易に推認できる。  また、前記2(2)ケ及びコのとおり、本件第2版は本件初版で掲載された写真を、本 件第3版は本件第2版で掲載された写真を、それぞれ相当数引き続き掲載していることに かんがみれば、原告は、被告東亜を退職する前後において、本件第3版以降の写真集「写 真で見る首里城」の改訂版において、本件第3版に掲載された写真を引き続き掲載する可 能性があることを認識していたものと容易に推認できる。   そうすると、原告は、被告東亜を退職する前後において、本件原写真18も、本件第3 版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版に引き続き掲載される可能性があったこと を認識していたものと推認できる。  他方、前記(1)及び(2)のとおり、原告は、被告東亜を退職する際も、それ以前に おいても、被告東亜との間で、原告が被告東亜に就職する以前に撮影した写真の著作権の 帰属や、既に使用された写真集や書籍等の取扱い、上記退職の前及び後に使用された上記 写真の使用料につき、何ら書面でも口頭でも取決めをしなかったものである。  そうすると、本件第3版を制作した時点で、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里 城」の改訂版にも本件原写真18を引き続き掲載するべく、この限りで本件原写真18の 複製等を黙示に許諾したとみる余地や、あるいは、被告東亜を退職する前に原告が被告東 亜の社内でその幹部職員として果たしていた役割の大きさや、被告東亜の元取締役として、 退任及び退職後の会社の業務運営に無用な混乱を生じさせないという道義的な責任から、 その後の改訂が明らかな本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版に引き続 き掲載するべく、この限りで本件原写真18の複製等を黙示に許諾したとみる余地も十分 あるところである。  その上、前記2(2)コのとおり、本件第3版には当初座喜味城跡の航空写真を掲載す る予定であったところ、Bが了知しないうちに、原告が被告東亜に就職する前に地上から 撮影した写真である本件原写真18を掲載することに切り替わっていたものであるが、弁 論の全趣旨によれば、上記のような事態は、当時本件第3版の制作作業を担当していた原 告が、被告財団の担当者と協議しながら、掲載する写真を本件原写真18にしたものと認 められるから、原告においては、本件第3版の制作当時ないし退職前の時点において、本 件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版にも引き続き本件原写真18が掲載 されることを意欲していたとも推認することができる。 ウ しかしながら、本件第3版には、本件原写真18の著作者であることが明確にされて はいないものの(本件第3版には、被告東亜の関係者以外の者が撮影した写真が多数掲載 され、掲載された写真の点数全体との関係では大きな割合を占めているところ、その奥付 きには、B及び原告以外の者について、写真提供者としてしか記載されていないし、B及 び原告等が撮影した写真で、本件第3版に掲載された写真は相当数に上るのに、B及び原 告が一括して写真撮影者として、その経歴とともに奥付きに記載されており、少なくとも 本件原写真18との結び付きが不明確である。)、その奥付きには曲がりなりにも掲載さ れた写真の撮影を行った者として原告の氏名が記載されていたのであって、原告がその本 人尋問において、「それならば、私の名前を配置するべきだと思うし、もしご本人だけの ものであるならば、自分で全部撮ったものを載せるだろうっていうふうに、ある意味では 信頼していました。」と、自己の氏名が表示されない写真集に掲載することを許容するつ もりはなかった旨を供述していること(原告本人尋問(調書28頁))にもかんがみれば、 仮に原告が本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版にも本件原写真18を 引き続き掲載すること、すなわち本件原写真の複製等を黙示に許諾したことがあったとし ても、上記許諾は、当該改訂版に写真撮影者として原告の氏名を表示することを前提とし ていたものというべきである。  しかるに、本件第3版の改訂版である本件写真集には、その奥付き等に原告の氏名の表 示は一切存しないから、少なくとも原告の氏名の表示がない本件写真集に掲載して出版す るべく、本件原写真18を複製等することに対しては、原告の許諾はなかったものといわ ざるを得ない。  また、前記2(2)サ(ウ)及び(エ)のとおり、原告は被告東亜に対し、その退職に 際して自己が撮影した写真のフィルムを返還するよう要求しており、他方被告東亜も、原 告に対し、原告が退職した後に、原告が被告東亜に就職する前に撮影して、被告東亜に預 けた写真のフィルムのうち、本件原写真18以外の写真のフィルムを返還したものであっ たし、前記2(2)サ(エ)のとおり、被告東亜が原告に対して本件原写真18のフィル ムを返還しなかったのは、被告東亜の従業員が本件原写真18の撮影年月を誤ってマウン トに記載したために、被告東亜において原告が被告東亜に就職した後に撮影したものと誤 って理解されていたことに基づくものにすぎなかった。  そうすると、原告が被告東亜を退職する際に自己が撮影した写真のフィルムを引き取ら なかったとは必ずしもいえず、上記フィルムを引き取らなかったことを根拠とする被告ら の前記アの主張は前提を欠くものである。また、フィルムの返還に係る上記各事情にかん がみれば、原告が被告東亜から本件原写真18のフィルムの交付を受けていないことから、 原告が被告東亜に対し、本件原写真18のフィルムの所有権を放棄したとか、本件原写真 18の複製等を許諾したとみることも困難である。  そして、前記イのほかに、上記結論を左右するに足りる被告らの主張及び立証はいずれ も存せず、被告らの前記アの主張を採用することはできない。 (5)小括  以上のとおり、原告が被告東亜との間で、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」 の改訂版に掲載するべく、被告東亜に対し、本件原写真18を複製等することを許諾した ということも、上記改訂版につき氏名表示権を行使しない旨を合意したことも、いずれも あったとはいえないから、被告東亜が本件原写真18を複製して本件写真集を制作したこ とは、原告に無断でされたものであるといわざるを得ず、原告の本件原写真18の複製権、 譲渡権(以下まとめて「複製権等」ということがある。)及び氏名表示権を侵害するもの というべきである。 6 被告らの過失の有無(争点6)について (1)前記2(2)サ(エ)のとおり、被告東亜の従業員の手違いで本件原写真18のマ ウントの撮影年月が誤って記載され、被告において原告が被告東亜に就職した後に撮影し たものと誤解されたため、被告東亜は原告から本件原写真18の複製等の許諾を得ること なく、本件原写真18を複製して本件写真集を制作し、被告財団に対して本件原写真が複 製された本件写真集を販売(譲渡)したものであって、その結果、原告の本件原写真18 に係る複製権等を侵害したものであった。  そうすると、被告東亜には、原告の本件原写真18に係る複製権等の侵害につき、少な くとも過失があったというべきである。 (2)そして、被告財団も、本件写真集に掲載する写真の著作者及び著作権の帰属につき 確認すべき注意義務を負っているところ、被告財団の主張によっても、被告財団の担当者 は、被告東亜に対して制作の発注をしたり、被告東亜の担当者との間で打合せ協議を行っ たのみで、本件原写真18の著作者等を何ら確認していないものであった。  他方、被告財団において、被告東亜の担当者の説明等を信頼して、本件原写真18の著 作者等の確認作業を省略したことがやむを得なかったと評価すべき事情は存しない。  そうすると、本件写真集を発行した被告財団にも、原告の本件原写真18に係る複製権 等の侵害につき、少なくとも過失があったというべきである。 (3)以上のとおり、被告らには原告の本件原写真18に係る複製権等の侵害につき、少 なくとも過失があり、原告に対して本件原写真18に係る複製権等の侵害の不法行為に基 づく責任を負うが、被告らは共同して本件写真集の発行に関与したものとみうるから、被 告らの共同不法行為と評価すべきものであって、被告らの原告に対する損害賠償義務は不 真正連帯債務になる。 7 過失相殺(争点7)について  被告財団は、原告には、被告東亜に在職時又は退職時に、自己が撮影した写真の取扱い につき被告東亜との間で取決めをすることを怠った過失があるから、原告の損害賠償請求 につき過失相殺すべきである旨を主張する。  確かに、原告は、退職及び退任の後に、被告東亜の業務に生じる悪影響を回避するため、 遅くとも退職及び退任の際ころまでに、被告東亜との間で既に被告東亜において使用され た写真の著作権の取扱いにつき、書面を作成して合意しておく方が、その道義上も相当で あったともいい得る。  しかしながら、上記のような合意をしてその後の悪影響を排除すべきであるのは、被告 東亜であって、原告が上記のような合意がないことによる不利益を甘受すべきいわれはな いというべきである。  そうすると、本件原写真18の取扱いにつき仮に原告に何らかの落ち度があったと評価 し得る余地があるとしても、原告の損害賠償請求につき過失相殺の根拠となり得る過失と 評価すべきであるとまではいうことができない。  したがって、被告財団の上記主張は失当である。 8 損害の有無及び額(争点8)について (1)証拠(甲20の1)によれば、被告東亜のフォトライブラリーにおいては、写真を 貸し出す際、その用途によって異なる金額の使用料を徴求しており、書籍や雑誌等の記事 にカラー写真を使用する場合の使用料を1点当たり2万5000円以上、パンフレット、 カタログやPR誌にカラー写真を使用する場合の使用料を1点当たり3万5000円以上 (ただし、表紙や見開きページ以外に使用する場合)と設定していることが認められる。  ここで、前記2(2)コのとおり、本件第3版には当初座喜味城跡の航空写真を使用す る予定であったところ、当時本件第3版の制作作業を担当していた原告が、被告財団の担 当者と協議しながら、掲載する写真を本件原写真18にしたものであって、原告は、本件 第3版の制作当時ないし退職前の時点において、本件第3版以降の写真集「写真で見る首 里城」の改訂版にも引き続き本件原写真18が掲載されることを意欲していたとも推認す ることができることにかんがみると、被告東亜における上記使用料の水準を超えて、原告 の損害の金額を推定することは相当でない。  したがって、原告の複製権等の侵害による損害について著作権法114条3項を適用し て損害額を推定する場合の、同項にいう「著作権(中略)の行使につき受けるべき金銭の 額」は、本件写真集が公の団体である被告財団から発注を受けた、首里城を紹介する趣旨 の写真集であって営利性が必ずしも高いとはいえないこと、本件原写真18は沖縄県内の 他の世界遺産を紹介する頁に掲載された、8点の写真のうちの1つにすぎないことにもか んがみれば、2万5000円をもって相当と認められる。 (2)また、本件原写真18が、原告自身もその制作に関与した本件第3版に引き続いて 本件写真集にも掲載されたことや、本件原写真18の掲載の方法等にかんがみれば、被告 らによる、原告の本件原写真18に係る氏名表示権の侵害によって受けるべき慰謝料の金 額は10万円をもって相当と認められる。 (3)そして、前記(1)及び(2)の損害の認容額、本件訴訟の難易等にかんがみると、 被告らによる、原告の本件原写真18に係る複製権等及び氏名表示権の侵害の不法行為と 相当因果関係のある原告の弁護士費用の金額は、合計2万5000円をもって相当と認め られる。 (4)したがって、原告の被告らに対する本件損害賠償請求は合計15万円の限度で理由 があり、その余は理由がない。 9 謝罪広告の必要性(争点9)について  本件原写真18は、本件写真集の最終頁である沖縄県内の他の世界遺産を紹介する頁に 掲載された、9点の写真のうちの1つにすぎず、その掲載部分の大きさは縦4cm、横5 cm程度と頁全体の大きさに比して極小さく、本件写真集の全体がB5版95頁、掲載し た写真の点数延べ177点(イラスト等3点を含む。)であるのに比して、極小さい割合 を占めているにすぎないものである。  他方で、本件写真集に本件原写真18が掲載されたのは、単に本件第3版の内容を維持 したからにすぎず、本件第3版の制作には原告自身も担当者として深く関与していたもの であった。  また、前記2(2)コのとおり、本件第3版には当初座喜味城跡の航空写真を使用する 予定であったところ、当時本件第3版の制作作業を担当していた原告が、被告財団の担当 者と協議しながら、掲載する写真を本件原写真18にしたものであって、原告は、本件第 3版の制作当時ないし退職前の時点において、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里 城」の改訂版にも引き続き本件原写真18が掲載されることを意欲していたとも推認する ことができるものである。  そうすると、原告が本件原写真18の著作者であることを確保し、原告の名誉及び声望 を回復するためには、被告らから前記8の損害の賠償を受ければ十分であって、この損害 賠償を超えて、さらに別紙のとおりの謝罪広告の掲載まで必要であるとはいうことができ ない。  したがって、原告の被告らに対する謝罪広告の掲載請求はいずれも理由がない。 10 結論  以上の次第で、原告の被告らに対する損害賠償請求は主文掲記の限度で理由があるが、 その余は理由がなく、原告の被告らに対する謝罪広告の掲載請求はいずれも理由がない。  他方、本件において著作権等の侵害となる写真は受注先である被告東亜の元従業員たる 原告が撮影した1点のみで(しかも、原告が本件の訴えを提起するまで、前記9のとおり、 被告東亜は本件原写真18を、原告が職務上撮影したものと誤解していた。)、前記8の とおり、原告に生じる損害の金額は極少額である一方、同請求を認めるときは、被告らに おいて、既に多額の資本を投下して発行済みの本件写真集を販売等することができなくな るという重大な不利益が生じることになる。  ここで、前記9のとおり、本件原写真18は、本件写真集の最終頁である沖縄県内の他 の世界遺産を紹介する頁に掲載された、9点の写真のうちの1つにすぎず、その掲載部分 の大きさは縦4cm、横5cm程度と頁全体の大きさに比して極小さく、本件写真集の全 体がB5版95頁、掲載した写真の点数延べ177点(イラスト等3点を含む。)である のに比して、極小さい割合を占めているにすぎないものである。  加えて、本件写真集に本件原写真18が掲載されたのは、単に本件第3版の内容を維持 したからにすぎず、本件第3版の制作には原告も担当者として深く関与していたものであ る。  また、前記2(2)コのとおり、本件第3版には当初座喜味城跡の航空写真を使用する 予定であったところ、当時本件第3版の制作作業を担当していた原告が、被告財団の担当 者と協議しながら、掲載する写真を本件原写真18にしたものであって、原告は、本件第 3版の制作当時ないし退職前の時点において、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里 城」の改訂版にも引き続き本件原写真18が掲載されることを意欲していたとも推認する ことができるものである。  そうすると、本件初版、本件第2版及び本件第3版がいずれも増刷されておらず(弁論 の全趣旨)、本件写真集がさらに出版される可能性が小さいことも併せ考えれば、原告の 被告らに対する前記差止め請求は、権利の濫用であって許されないというべきである。  よって、主文のとおり判決する。 那覇地方裁判所民事第2部 裁判官 田邉 実 (別紙) 書籍目録 書籍名 写真で見る首里城(第4版) 発行所 財団法人海洋博覧会記念公園管理財団 首里城公園管理センター 編集制作 株式会社東亜フォトニクス 発行年月日 平成17年6月30日 ※ 削除写真目録(70頁〜77頁)添付省略 (別紙) 謝罪広告目録1 1 広告文(ただし、空欄となっている日付は広告掲載の日とする。) 謝罪広告  当社が編集制作した「写真で見る首里城第4版」に、貴殿が撮影し著作権を有する写真 が掲載されているのに、撮影者として貴殿の氏名の表示が欠けておりました。当社は、貴 殿の著作者人格権を侵害したことを認め、ここに深くお詫び申し上げます。 平成 年 月 日 株式会社東亜フォトニクス 代表取締役 B 2 掲載条件 (1)紙面の大きさ 縦2段、横10cm (2)活字の大きさ 上記紙面に見出し及び本文が掲載し得る範囲で最大の活字 (別紙) 謝罪広告目録2 1 広告文(ただし、空欄となっている日付は広告掲載の日とする。) 謝罪広告  当財団が発行した「写真で見る首里城第4版」に、貴殿が撮影し著作権を有する写真が 掲載されているのに、撮影者として貴殿の氏名の表示が欠けておりました。当財団は、貴 殿の著作者人格権を侵害したことを認め、ここに深くお詫び申し上げます。 平成 年 月 日 財団法人海洋博覧会記念公園管理財団 代表者理事長 C 2 掲載条件 (1)紙面の大きさ 縦2段、横10cm (2)活字の大きさ 上記紙面に見出し及び本文が掲載し得る範囲で最大の活字 (別紙) ※ 著作物目録(80頁〜86頁)添付省略 | 原写真 | 複製物等|                          | |―――――|―――――|――――――――――――――――――――――――――| |本件各原写|削除写真目|原写真の標題 |原写真の撮影年月|マウントの表題  | |真の番号 |録中の写真|       |        |         | |     |の番号  |       |        |         | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| |  1  |  1  |右掖門    |平成13年10月|同左       | |     |―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| |     | 14  |                          | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| |  3  |  4  |日影台    |平成12年4月 |同左       | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| |  4  |  5  |広福門 正面 |平成12年4月 |広福門      | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| |  5  |  6  |広福門 全景 |平成12年5月 |広福門前広場   | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| |  6  |  7  |首里森御嶽  |        |         | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| |  7  |  8  |下之御庭 全景|平成11年4月 |(奉神門)下之御庭| |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| | 10  | 11  |御庭 全景− |平成12年9月 |首里城公園    | |     |     |航空写真   |20日     |         | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| | 11  | 12  |北殿 内部  |        |同左       | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| | 13  | 15  |今帰仁城跡  |平成11年9月 |同左       | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| | 14  | 17  |園比屋武御  |平成11年11月|同左       | |     |     |嶽石門    |        |         | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| | 15  | 18  |勝連城跡   |平成11年9月 |同左       | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| | 17  | 20  |斎場御嶽   |平成11年10月|同左       | |―――――|―――――|―――――――|――――――――|―――――――――| | 18  | 21  |座喜味城跡  |平成13年6月 |同左       | (注)撮影年月は、マウントの記載によっているので、誤りがあるものがある。