・東京地判平成20年10月23日〔「絵でわかるかんたんかんじ」事件〕  原告ら(東京都武蔵野市の帰国・外国人教育相談室教材開発グループに所属)および被 告E(被告東京外大の多言語・多文化教育研究センターにおいて勤務していた者)は、 「絵でわかる かんたんかんじ80」(原告教材80)、「絵でわかる かんたんかんじ 160」(原告教材160)および「絵でわかる かんたんかんじ200」(原告教材2 00)を作成した(厳密には、原告教材80および同200は、原告ら、F、G、H及び 被告Eが、同160は、原告ら、F、G、H、I及び被告Eが、それぞれ共同で創作した 共同著作物である)。  被告らは、被告教材試作品を作成して、平成19年1月ころ、東京外大公式サイトに掲 載するとともに、被告教材を作成して、平成19年4月1日に、東京外大公式サイトに掲 載した。  原告らは、被告らにおいて作成した「Meu Amigo Kanji 80 Kan jis」(被告教材80)、「Meu Amigo Kanji 160 Kanjis」 (被告教材160)および「Meu Amigo Kanji 200 Kanjis」 (被告教材200)と題する外国人児童向け漢字教材、ならびに被告教材の試作品である 「Gosto Muito de Kanji かん字80」(被告教材試作品80)お よび「Gosto Muito de Kanji かん字160」(被告教材試作品1 60)が、原告教材にそれぞれ改変を加えたものであり、被告らにおいて、被告教材を作 成して東京外国語大学公式サイトに掲載した行為は、原告らが原告教材につき有する著作 権(翻案権)および著作者人格権(同一性保持権)を侵害するものであり、被告教材試作 品を作成して東京外大公式サイトに掲載した行為は、原告らが原告教材につき有する著作 者人格権(同一性保持権)を侵害すると主張して、被告らに対し、著作権侵害および著作 者人格権侵害の不法行為に基づく損害賠償ならびに著作者人格権侵害に基づく謝罪広告等 を求めた。 ■争 点 (1)著作権侵害及び著作者人格権侵害の有無 (2)差止請求の可否 (3)謝罪広告請求の可否 (4)故意・過失の有無 (5)損害額 ■判決文 第4 当裁判所の判断 1 争点(1)(著作権侵害及び著作者人格権侵害の有無)について (1)原告らは、原告教材と被告教材及び被告教材試作品とは、別紙対照表(1)ないし (8)の「原告が主張する類似点」欄記載のとおり、個々の表現において類似しており、 被告らによる被告教材及び被告教材試作品の作成は、原告教材について原告らが有する翻 案権及び同一性保持権を侵害するものである、と主張する。  著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本 質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思 想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本 質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作 権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法2条1項1 号)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実 若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分について、既存 の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、既存の著作物の翻案に当たらないと解す るのが相当である(最高裁判所平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号8 37頁参照)。  このように、翻案に該当するためには、既存の著作物とこれに依拠して作成された著作 物との間において同一性を有する部分が、思想又は感情の表現であり、かつ、その表現が 創作的であること(著作権法2条1項1号)が必要である。  そこで、原告らが原告教材と被告教材及び被告教材試作品との間で類似すると指摘する 各個所につき、翻案に当たるか否かを個別に検討する。 (2)原告教材80 ア 別表1について  別表1(1)の記述と同1(2)の記述は、いずれも、各教材の目次の部分であり、両 者は、〔1〕教材を構成する課の数を20としている点、〔2〕教材で学習するすべての 漢字が1頁以内に収められている点、〔3〕同一の課で学習する漢字の組合せとして、 「一 二 三 四 五」、「六 七 八 九 十」、「上 下 中」、「山 川 水 火」、 「大きい 小さい 貝 犬」、「玉 金 百 千 円」(「玉 お金 百 千 十 円」)、 「町 車 人 村」及び「天 気 雨 音」(「天気 雨 音」)という組合せを採用し ている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記のうち、〔1〕及び 〔2〕の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通するにすぎない というべきである。また、上記〔3〕の漢字の組合せは、平凡かつありふれたものであっ て、記述者の個性が現れているとみることはできない。別表1(2)の記述は、同1(1) の記述と、著作権法によって保護されない、表現それ自体でない部分や表現上の創作性が ない部分において同一性が認められるにすぎない。 イ 別表2について  別表2(1)の記述と同2(2)の記述とは、〔1〕「上」、「中」及び「下」という 抽象的な概念を表現するのに、机の上部平面、机の中、机の下部の床面にそれぞれ物が置 かれているイラストを使用している点、〔2〕イラストと「上」、「中」及び「下」の漢 字とを線で結び付ける出題形式を採用している点、〔3〕上記〔1〕のイラストと〔2〕 の出題形式とを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら、 上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通するにすぎないと いうべきである。別表2(2)の記述は、同2(1)の記述と、表現それ自体でない部分 において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表2(2)のイラストは、同2(1)のイラストと机に置かれている物自 体や机の表現方法が異なっていることから、同2(2)のイラストから、同2(1)のイ ラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用 することができない。 ウ 別表3について  別表3(1)の記述と同3(2)の記述とは、〔1〕「山」、「火」、「川」及び「水」 を表す絵が含まれる1枚のイラストを使用している点、〔2〕例文中において、外国人児 童にとって難読であると思われる漢字を用いずにその漢字が表す絵に置き換えている点、 〔3〕上記〔1〕のイラストと〔2〕の例文とを組み合わせている点において同一性があ ると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデ アが共通しているにすぎないというべきである。別表3(2)の記述は、同3(1)の記 述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記〔1〕について、イラストの表現それ自体についても同一性が認められ ると主張する。しかしながら、別表3(2)のイラストは、同3(1)のイラストと山、 火、川及び水の表現方法が相当異なっており、同3(2)のイラストから、同3(1)の イラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採 用することができない。 エ 別表4及び同19について  別表4(1)(原告教材80)の記述と同4(2)(被告教材試作品80)の記述とは、 〔1〕例文の題材として「わに」、「さる」、「うさぎ」及び「ねこ」という動物の組合 せを選択している点、〔2〕上記〔1〕の動物の体を使って「耳」、「目」、「口」及び 「手」の漢字を学習させる出題形式を採用している点、〔3〕上記〔1〕の動物の組合せ と〔2〕の出題形式とを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかし ながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎ ないというべきである。別表4(2)の記述は、同4(1)の記述と、表現それ自体でな い部分において同一性が認められるにすぎない。  別表19(1)(同4(1)と同じ)の記述と同19(2)(被告教材80)の記述と は、〔1〕例文の題材として「わに」、「さる」、「うさぎ」及び「ねこ」という動物の 組合せを選択している点、〔2〕上記〔1〕の動物の体を使って「耳」、「目」、「口」 及び「手」の漢字を学習させる出題形式を採用している点、〔3〕「さるの手」、「わに の口」、「うさぎの耳」及び「ねこの目」という例文の表現それ自体、〔4〕上記〔1〕 ないし〔3〕を組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら、 上記の点のうち、〔3〕については、その例文の表現自体が短文である上、平凡かつあり ふれたものであって、記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。また、 〔1〕、〔2〕及び〔4〕については、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共 通しているにすぎないというべきである。別表19(2)の記述は、同19(1)の記述 と、表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分において同一性が認められるに すぎない。 オ 別表5及び同20について  別表5(1)(原告教材80)の記述と同5(2)(被告教材試作品80)の記述、同 20(1)(同5(1)と同じ)の記述と同20(2)(被告教材80)の記述とは、い ずれも、〔1〕「石」及び「虫」という漢字を学習させるために石の下に虫がいる様子を 表したイラストを使用している点、〔2〕「石の下に虫」という文章の表現それ自体、 〔3〕上記〔1〕のイラストと〔2〕の文章とを組み合わせている点において同一性があ ると認められる。しかしながら、上記の点のうち、〔2〕については、その文章の表現自 体が短文である上、平凡かつありふれたものであって、記述者の何らかの個性が現れたも のと認めることはできない。また、〔1〕及び〔3〕については、いずれも、表現それ自 体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表5(2)及び同 20(2)の各記述は、同5(1)及び同20(1)の記述と、表現上の創作性がない部 分や表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記〔1〕について、イラストの表現それ自体についても同一性が認められ ると主張する。しかしながら、別表5(2)及び同20(2)の各イラストは、同5(1) 及び同20(1)のイラストと石や虫の表現方法が異なっており、同5(2)及び同20 (2)の各イラストから、同5(1)及び同20(1)のイラストの表現上の本質的な特 徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 カ 別表6及び同21について  別表6(1)(原告教材80)の記述と同6(2)(被告教材試作品80)の記述、同 21(1)(同6(1)と同じ)の記述と同21(2)(被告教材80)の記述とは、い ずれも、「町」、「村」及び「人」という漢字を学習させるために村や町を表すイラスト 又は写真に「ここは( )です。」との例文を付した出題形式を採用している点において 同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデ アが共通しているにすぎないというべきである。別表6(2)及び同21(2)の各記述 は、同6(1)及び同21(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認 められるにすぎない。 キ 別表7及び同22について  別表7(1)(原告教材80)の記述と同7(2)(被告教材試作品80)の記述、同 22(1)(同7(1)と同じ)の記述と同22(2)(被告教材160)の記述とは、 いずれも、複数の漢字の中から、その読みが特定のひらがなから始まる漢字を選び、指定 された場所に分類させるという出題形式を採用している点において同一性があると認めら れる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにす ぎないというべきである。別表7(2)及び同22(2)の各記述は、同7(1)及び同 22(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 ク 別表8及び同23について  別表8(1)(原告教材80)の記述と同8(2)(被告教材試作品80)の記述、同 23(1)(同8(1)と同じ)の記述と同23(2)(被告教材80)の記述とは、い ずれも、「赤」、「青」及び「白」の漢字の具体例として苺、空及び牛乳を選択した出題 形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、 表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別 表8(2)及び同23(2)の各記述は、同8(1)及び同23(1)の記述と、表現そ れ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 ケ 別表9及び同24について  別表9(1)(原告教材80)の記述と同9(2)(被告教材試作品80)の記述、同 24(1)(同9(1)と同じ)の記述と同24(2)(被告教材80)の記述とは、い ずれも、迷路を用いて「上」、「下」、「左」及び「右」の漢字を学習させるという出題 形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、 表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別 表9(2)及び同24(2)の各記述は、同9(1)及び同24(1)の記述と、表現そ れ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 コ 別表10及び同25について  別表10(1)(原告教材80)の記述と同10(2)(被告教材試作品80)の記述、 同25(1)(同10(1)と同じ)の記述と同25(2)(被告教材80)の記述とは、 いずれも、枠の中に複数の漢字等を配置し、その枠の中で一定の関連性を有するものを線 で結ばせるという出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかし ながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎない というべきである。別表10(2)及び同25(2)の各記述は、同10(1)及び同2 5(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 サ 別表11及び同26について  別表11(1)(原告教材80)の記述と同11(2)(被告教材試作品80)の記述、 同26(1)(同11(1)と同じ)の記述と同26(2)(被告教材80)の記述とは、 いずれも、〔1〕「1年生」という漢字を学習させるために児童が新しいランドセルを背 負っているイラストを使用している点、〔2〕「先生」という漢字を学習させるために小 学校の先生が黒板を指し示しているイラストを使用している点、〔3〕上記〔1〕及び 〔2〕のイラストと「一年生」及び「先生」を結び付けさせる出題形式を採用している点 において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自 体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表11(2) 及び同26(2)の各記述は、同11(1)及び同26(1)の記述と、表現それ自体で ない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記〔1〕及び〔2〕について、イラストの表現それ自体についても同一性 が認められると主張する。しかしながら、別表11(2)及び同26(2)の各イラスト は、同11(1)及び同26(1)のイラストと、児童や先生、背景等についての表現方 法が相当程度異なっており、同11(2)及び同26(2)の各イラストから、同11 (1)及び同26(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできな い。原告らの上記主張は採用することができない。 シ 別表12について  別表12(1)の記述と同12(2)の記述とは、〔1〕「右」及び「左」という漢字 を学習させるために視力検査の際に使用される記号(ランドルト環)を用いたイラストを 使用している点、〔2〕ランドルト環を上下に並べ、その左側に視力検査を受けている児 童のイラストを配置している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記 〔1〕の「右」及び「左」を表現するために視力検査で左右の方向を示すのに使用される ランドルト環を用いることはアイデアであり、このアイデアを表現する方法は極めて限ら れているから、ランドルト環のイラストの表現につき記述者の個性が現れたものと認める ことはできず、創作性があるということはできない。また、〔2〕の点については、ラン ドルト環の近くに視力検査を受けている児童のイラストを配置するというアイデアにおい て共通しているにすぎないというべきである。別表12(2)の記述は、同12(1)の 記述と、表現上の創作性がない部分や表現それ自体でない部分において同一性が認められ るにすぎない。 ス 別表13及び同29について  別表13(1)(原告教材80)の記述と同13(2)(被告教材試作品80)の記述、 同29(1)(同13(1)と同じ)の記述と同29(2)(被告教材80)の記述とは、 いずれも、「出ます」及び「入ります」という表現を学習させるためにトンネルに児童又 は電車が出入りする様子のイラストを使用している点において同一性があると認められる。 しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎない というべきである。別表13(2)及び同29(2)の各記述は、同13(1)及び同2 9(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表13(2)及び同29(2)の各イラストは、同13(1)及び同29 (1)のイラストと、トンネルに出入りするものが電車であるという点で異なっている上、 山の形も異なっていることから、同13(1)及び同29(1)のイラストの表現上の本 質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 セ 別表14及び同30について  別表14(1)(原告教材80)の記述と同14(2)(被告教材試作品80)の記述、 同30(1)(同14(1)と同じ)の記述と同30(2)(被告教材80)の記述とは、 いずれも、「あさ」及び「夕」の概念を学習させるために時間の経過を太陽の移動で表現 したイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記 の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきで ある。別表14(2)及び同30(2)の各記述は、同14(1)及び同30(1)の記 述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表14(2)及び同30(2)の各イラストは、同14(1)及び同30 (1)のイラストと、人物や太陽の表現方法や、朝、夕方及び夜を表すイラストがある点 において異なっていることから、同14(1)及び同30(1)のイラストの表現上の本 質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ソ 別表15及び同28について  別表15(1)(原告教材80)の記述と同15(2)(被告教材試作品80)の記述、 同28(1)(同15(1)と同じ)の記述と同28(2)(被告教材80)の記述とは、 いずれも、「力」という漢字を学習させるためにダンベルを持ち上げる人間のイラストを 使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現そ れ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表15 (2)及び同28(2)の各記述は、同15(1)及び同28(1)の記述と、表現それ 自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表15(2)及び同28(2)の各イラストは、同15(1)及び同28 (1)のイラストと、ダンベルやこれを持ち上げる人物の表現方法が相当程度異なってい ることから、同15(1)及び同28(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感 得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 タ 別表16及び同31について  別表16(1)(原告教材80)の記述と同16(2)(被告教材試作品80)の記述、 同31(1)(同16(1)と同じ)の記述と同31(2)(被告教材80)の記述とは、 いずれも、各課において学習する漢字が、イラスト及び読みがなとともに、漢字、イラス ト、読みがなの順に掲載されている点において同一性があると認められる。しかしながら、 上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通するにすぎないというべきで ある。別表16(2)及び同31(2)の各記述は、同16(1)及び同31(1)の記 述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 チ 別表17について  別表17(1)(同1(1)と同じ)の記述と同17(2)の記述は、いずれも、各教 材の目次の部分であり、両者は、〔1〕教材を構成する課の数を20としている点、〔2〕 教材で学習するすべての漢字が1頁以内に収められている点、〔3〕同一の課で学習する 漢字の組合せとして、「一 二 三 四 五」、「六 七 八 九 十」、「上 下 中」、 「山 川 水 火」、「玉 金 百 千 円」(「玉 お金 百 千 十 円」)、「町  車 人 村」及び「天 気 雨」(「天気 雨」)という組合せを採用している点、 〔4〕「入ります」、「出ます」及び「立ちます」というように漢字を動詞で表記する場 合にその表記を「ます」止めに統一している点において同一性があると認められる。しか しながら、上記のうち、〔1〕及び〔2〕の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにお いて共通しているにすぎないというべきである。また、上記〔3〕の漢字の組合せ及び 〔4〕の動詞を「ます」止めに統一していることは、いずれも、平凡かつありふれたもの であって、記述者の個性が現れているとみることはできない。別表17(2)の記述は、 同17(1)の記述と、表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分において同 一性が認められるにすぎない。  ツ 別表18について  別表18(1)(同3(1)と同じ)の記述と同18(2)の記述とは、「山」、「火」、 「川」及び「水」を表す絵が含まれる1枚のイラストを使用している点において同一性が あると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおい て共通するにすぎないというべきである。別表18(2)の記述は、同18(1)の記述 と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表18(2)のイラストは、同18(1)のイラストと山、火、川及び水 の表現方法が相当程度異なっていることから、同18(1)のイラストの表現上の本質的 な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 テ 別表27について  別表27(1)(同12(1)と同じ)の記述と同27(2)の記述とは、「右」及び 「左」という漢字を学習させるために視力検査の際に使用される記号(ランドルト環)を 用いたイラストが使用されている点において同一性があると認められる。しかしながら、 上記の「右」及び「左」を表現するために視力検査で左右の方向を示すのに使用されるラ ンドルト環を用いることはアイデアであり、このアイデアを表現する方法は一つしかない から、ランドルト環のイラストの表現につき記述者の個性が現れたものと認めることはで きず、創作性があるということはできない。別表27(2)の記述は、同27(1)の記 述と、表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 (3)原告教材160 ア 別表32について  別表32(1)の記述と同32(2)の記述は、いずれも、各教材の目次の部分であり、 両者は、〔1〕教材を構成する課の数が前者の33に対し、後者が34とほぼ同数である 点、〔2〕教材で学習するすべての漢字が見開き1頁以内に収められている点、〔3〕同 一の課で学習する漢字の組合せとして、「星 晴れ 雪 雲」、「春 夏 秋 冬」、 「父 母 姉 兄 妹 弟」、「頭 体 首 顔 毛」及び「算数 国語 理科 社会」 という組合せを採用している点、〔4〕漢字を動詞で表記する場合にその表記を「ます」 止めに統一している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記のうち、 〔1〕及び〔2〕の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通するにすぎ ないというべきである。また、上記〔3〕の漢字の組合せ及び〔4〕の動詞を「ます」止 めに統一していることは、いずれも、平凡かつありふれたものであって、記述者の個性が 現れているとみることはできない。別表32(2)の記述は、同32(1)の記述と、表 現それ自体でない部分や表現上の創作性が認められない部分において同一性が認められる にすぎない。 イ 別表33及び同44について  別表33(1)(原告教材160)の記述と同33(2)(被告教材試作品160)の 記述、同44(1)(同33(1)と同じ)の記述と同44(2)(被告教材160)の 記述とは、いずれも、〔1〕太陽と数直線を用いて12時の前と後とを区切ることにより 「午前」と「午後」を表現したイラストを使用している点、〔2〕上記〔1〕のイラスト と「午前」及び「午後」の語とを結び付ける出題形式を採用している点において同一性が あると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイ デアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表33(2)及び同44(2) の各記述は、同33(1)及び同44(1)の記述と、表現それ自体でない部分において 同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記〔1〕のイラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張 する。しかしながら、別表33(2)及び同44(2)の各イラストは、同33(1)及 び同44(1)のイラストと数直線による「午前」と「午後」の区切り方等の表現方法が 異なっていることから、同33(1)及び同44(1)のイラストの表現上の本質的な特 徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ウ 別表34及び同43について  別表34(1)(原告教材160)の記述と同34(2)(被告教材試作品160)の 記述、同43(1)(同34(1)と同じ)の記述と同43(2)(被告教材160)の 記述とは、いずれも、〔1〕「何回」という漢字を表すために児童が縄跳びをしているイ ラストを使用している点、〔2〕「何台」という漢字を表すために複数の自動車のイラス トを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、い ずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。 別表34(2)及び同43(2)の各記述は、同34(1)及び同43(1)の記述と、 表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記〔1〕及び〔2〕の各イラストの表現それ自体についても同一性が認め られると主張する。しかしながら、別表34(2)及び同43(2)の各イラストは、同 34(1)及び同43(1)のイラストと、縄跳びをしている児童や自動車の表現方法が 異なっていることから、同34(1)及び同43(1)のイラストの表現上の本質的な特 徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 エ 別表35及び同45について  別表35(1)(原告教材160)の記述と同35(2)(被告教材試作品160)の 記述、同45(1)(同35(1)と同じ)の記述と同45(2)(被告教材160)の 記述とは、いずれも、「信号が赤のときは止まる」、「信号が青のときは歩く」及び「い っしょうけんめい走る」との文章の表現それ自体において同一性があると認められる。し かしながら、上記同一性を有する部分は、その文章の表現自体が短文である上、平凡かつ ありふれたものであり、記述者の何らかの個性が現れたものとは認められない。別表35 (2)及び同45(2)の各記述は、同35(1)及び同45(1)の記述と、表現上の 創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 オ 別表36について  別表36(1)の記述と同36(2)の記述とは、人の動作に関するイラストの内容に 従ってその動作を表す文章を作成させる出題形式を採用している点において同一性がある と認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共 通するにすぎないというべきである。別表36(2)の記述は、同36(1)の記述と、 表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 カ 別表37及び同46について  別表37(1)(原告教材160)の記述と同37(2)(被告教材試作品160)の 記述、同46(1)(同37(1)と同じ)の記述と同46(2)(被告教材160)の 記述とは、いずれも、〔1〕「矢」という漢字を学習させるためにウィリアム・テルがり んごに向けて矢を放ち、矢がりんごに当たった旨の文章を例文として使用している点、 〔2〕「刀をもっています」との文章の表現それ自体において同一性があると認められる。 しかしながら、上記〔1〕の「矢」という漢字を学習させるためにウィリアム・テルが矢 をりんごに当てた旨の文章を用いることはアイデアであり、このアイデアを表現する方法 は制約されていて選択の余地に乏しい。別紙37(1)及び同46(1)の文章は、上記 アイデアを一般的な形で表現したものにすぎず、記述者の個性が現れたものと認めること はできない。また、上記〔2〕の点についても、その文章の表現自体が短文である上、平 凡かつありふれたものであり、記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできな い。別表37(2)及び同46(2)の各記述は、同37(1)及び同46(1)の記述 と、表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 キ 別表38及び同47について  別表38(1)(原告教材160)の記述と同38(2)(被告教材試作品160)の 記述、同47(1)(同38(1)と同じ)の記述と同47(2)(被告教材160)の 記述とは、いずれも、〔1〕物の特徴に関する文章を読み、その特徴を有する物を表す漢 字を回答するという出題形式を採用している点、〔2〕「田でつくります。」及び「ごは んになります。」という文章の表現それ自体において同一性があると認められる。しかし ながら、上記〔1〕の点については、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているに すぎないというべきである。また、上記〔2〕については、その文章の表現自体が短文で あり、平凡かつありふれたものであって、記述者の何らかの個性が現れたものと認めるこ とはできない。別表38(2)及び同47(2)の各記述は、同38(1)及び同47 (1)の記述と、表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分において同一性が 認められるにすぎない。 ク 別表39について  別表39(1)の記述と同39(2)の記述とは、「野」及び「里」という漢字を学習 させるために「春が来た」の歌を選択した点において同一性があると認められる。しかし ながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないという べきである。別表39(2)の記述は、同39(1)の記述と、表現それ自体でない部分 において同一性が認められるにすぎない。 ケ 別表40及び同48について  別表40(1)(原告教材160)の記述と同40(2)(被告教材試作品160)の 記述、同48(1)(同40(1)と同じ)の記述と同48(2)(被告教材160)の 記述とは、いずれも、複数の語句又は文章を「午前」と「午後」に分類させるという出題 形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、 表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表40 (2)及び同48(2)の各記述は、同40(1)及び同48(1)の記述と、表現それ 自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 コ 別表41及び同49について  別表41(1)(原告教材160)の記述と同41(2)(被告教材試作品160)の 記述、同49(1)(同41(1)と同じ)の記述と同49(2)(被告教材160)の 記述とは、いずれも、時間割表を用いた出題形式を採用している点において同一性がある と認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通して いるにすぎないというべきである。別表41(2)及び同49(2)の各記述は、同41 (1)及び同49(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められる にすぎない。 サ 別表42について  別表42(1)(同32(1)と同じ)の記述と同42(2)の記述は、いずれも、各 教材の目次の部分であり、両者は、〔1〕教材を構成する課の数が前者の33に対し、後 者が34とほぼ同数である点、〔2〕教材で学習するすべての漢字が見開き1頁以内に収 められている点、〔3〕同一の課で学習する漢字の組合せとして、「星 晴れ 雪 雲」、 「春 夏 秋 冬」、「お父さん お母さん お姉さん お兄さん 妹 弟」、「頭 体  首 顔 毛」、「音楽 体いく 生活 図工」及び「算数 国語 理科 社会」という 組合せを採用している点、〔4〕漢字を動詞で表記する場合にその表記を「ます」止めに 統一している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記のうち、〔1〕 及び〔2〕の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通するにすぎないと いうべきである。また、上記〔3〕の漢字の組合せ及び〔4〕の動詞を「ます」止めに統 一していることは、いずれも、平凡かつありふれたものであって、記述者の個性が現れて いるとみることはできない。別表42(2)の記述は、同42(1)の記述と、表現それ 自体でない部分や表現上の創作性が認められない部分において同一性が認められるにすぎ ない。 シ 別表50について  別表50(1)(原告教材160)の記述と同50(2)(被告教材160)の記述と は、各課ごとに学習する漢字が、イラスト及び読みがなとともに、漢字、イラスト、読み がなの順に掲載されている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の 点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別 表50(2)の記述は、同50(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性 が認められるにすぎない。 (4)原告教材200 ア 別表51について  別表51(1)の記述と同51(2)の記述は、いずれも、各教材の目次の部分であり、 学習する漢字及び熟語すべてが見開き1頁以内に収められている点において同一性がある と認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通して いるにすぎないというべきである。別表51(2)の記述は、同51(1)の記述と、表 現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 イ 別表52について  別表52(1)の記述と同52(2)の記述とは、「悲しい」という漢字を学習させる ために涙を流して悲しい表情をしている少年のイラストを使用している点において同一性 があると認められる。しかしながら、上記同一性を有する部分は、表現それ自体ではなく、 アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表52(2)の記述は、同52 (1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表52(2)のイラストは、同52(1)のイラストと児童や背景等の表 現方法が相当程度異なっていることから、同52(1)のイラストの表現上の本質的な特 徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ウ 別表53について  別表53(1)の記述と同53(2)の記述とは、「決める」という漢字を学習させる ために、食べ物又はメニューを指で差している様子のイラストを使用している点において 同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデ アが共通しているにすぎないというべきである。別表53(2)の記述は、同53(1) の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表53(1)のイラストでは、人物が描かれ、メニューを指で差している 様子が描かれているのに対し、同53(2)のイラストでは、人物が描かれておらず、手 首から先の部分で食べ物を指で差している様子が描かれている。このように、別表53 (2)のイラストは、同53(1)のイラストと表現それ自体が相当程度異なっているこ とから、同53(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。 原告らの上記主張は採用することができない。 エ 別表54について  別表54(1)の記述と同54(2)の記述とは、「申す」という漢字を学習させるた めに、王様又は皇帝と思われる者とその前にひざまづいて自分の名前を名乗っている者の イラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点 は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表 54(2)の記述は、同54(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が 認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表54(1)のイラストでは、王様と思われる者が描かれているのに対し、 同54(2)のイラストでは、皇帝と思われる者が描かれており、また、それらの者の前 にひざまづいている者の顔や服装の表現方法も異なっている。このように、別表54(2) のイラストは、同54(1)のイラストと表現それ自体が相当程度異なっていることから、 同54(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告ら の上記主張は採用することができない。 オ 別表55について  別表55(1)の記述と同55(2)の記述とは、「放す」という漢字を学習させるた めに、鳥が空に放たれる様子のイラストを使用している点において同一性があると認めら れる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにす ぎないというべきである。別表55(2)の記述は、同55(1)の記述と、表現それ自 体でない部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表55(1)のイラストでは、人物や鳥かごが表現されているのに対し、 同55(2)のイラストでは、これらが表現されておらず、手首から先の部分が描かれて いるという違いがある。このように、別表55(2)のイラストは、同55(1)のイラ ストと表現それ自体が相当程度異なっていることから、同55(1)のイラストの表現上 の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができ ない。 カ 別表56について  別表56(1)の記述と同56(2)の記述とは、「相談」及び「意見」という漢字を 学習させるために、数人がテーブルを囲んで相談し、意見を述べている様子のイラストを 使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現そ れ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表56(2) の記述は、同56(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められる にすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表56(2)のイラストは、同56(1)のイラストとテーブルを囲む複 数の人物や背景等の表現方法が相当程度異なっていることから、同56(1)のイラスト の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用するこ とができない。  キ 別表57について  別表57(1)の記述と同57(2)の記述とは、「昔」という漢字を学習させるため に、古代人ないし原始人のイラストを使用している点において同一性があると認められる。 しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎない というべきである。別表57(2)の記述は、同57(1)の記述と、表現それ自体でな い部分において同一性が認められるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められる と主張する。しかしながら、別表57(2)のイラストは、同57(1)のイラストと古 代人ないし原始人やその背景の表現方法が相当程度異なっていることから、同57(1) のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は 採用することができない。 ク 別表58について  別表58(1)の記述と同58(2)の記述とは、「中央」という漢字を学習させるた めに、スケートリンクの中央にフィギアスケートの選手が立っている様子のイラストを使 用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ 自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表58(2)の 記述は、同58(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるに すぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表58(2)のイラストは、同58(1)のイラストと人物の表現方法や 表現されたスケートリンクの形状が相当程度異なっていることから、同58(1)のイラ ストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用す ることができない。 ケ 別表59について  別表59(1)の記述と同59(2)の記述とは、「深い」という漢字を学習させるた めに深い海のイラストを、「速い」という漢字を学習させるために新幹線のイラストをそ れぞれ使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、 表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表59 (2)の記述は、同59(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認め られるにすぎない。  原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。し かしながら、別表59(2)のイラストは、同59(1)のイラストと、深い海のイラス トについては、人物の表現方法や船や魚の表現の有無等に違いがあり、新幹線のイラスト については、新幹線自体の形状が異なっていることから、同59(1)のイラストの表現 上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することがで きない。 コ 別表60及び同61について  別表60(1)(原告教材200)の記述と同60(2)(被告教材試作品80)の記 述、同61(1)(同60(1)と同じ)の記述と同61(2)(被告教材80)の記述 とは、いずれも、漢字の学習にしりとりを用いた出題形式を採用している点において同一 性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが 共通しているにすぎないというべきである。別表60(2)及び同61(2)の記述は、 同60(1)及び同61(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認め られるにすぎない。 サ 別表62について  別表62(1)の記述と同62(2)の記述とは、「様」という漢字を学習させるため に封筒の書き方を題材とした問題を作成している点において同一性があると認められる。 しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎない というべきである。別表62(2)の記述は、同62(1)の記述と、表現それ自体でな い部分において同一性が認められるにすぎない。 シ 別表63について  別表63(1)の記述と同63(2)の記述とは、「油」という漢字を学習させるため に、〔1〕目玉焼きの作り方に関する文章の表現それ自体、〔2〕フライパンに入れるも のを「油」を含む複数の漢字から選択させる出題形式を採用している点、〔3〕上記文章 の横にフライパンのイラストを配置している点において同一性があると認められる。しか しながら、上記〔1〕の点については、別表63(1)(原告教材200)の「目玉やき を作ります。フライパンに油を入れます。それからたまごを入れます。」という文章の表 現それ自体は、平凡かつありふれたものであり、記述者の何らかの個性が現れたものと認 めることはできない。また、上記〔2〕及び〔3〕の点については、いずれも、表現それ 自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表63(2)の 記述は、同63(1)の記述と、表現上の創作性がない部分や表現それ自体でない部分に おいて同一性が認められるにすぎない。 ス 別表64について  別表64(1)の記述と同64(2)の記述とは、野球場で野球をしている様子のイラ ストを用いて「打つ」、「投げる」、「走る」及び「受ける」という漢字を学習させると ともに、野球をする上で必須のランナー、バッター、ピッチャー、キャッチャーの語の意 味を学習させるようにした出題形式を採用している点において同一性があると認められる。 しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎない というべきである。別表64(2)の記述は、同64(1)の記述と、表現それ自体でな い部分において同一性が認められるにすぎない。 (5)まとめ  以上によれば、原告教材と被告教材又は被告教材試作品とは、いずれも、著作権法によ って保護されない、表現それ自体でないアイデア又は表現上の創作性がない部分において 同一性が認められるにすぎず、被告教材又は被告教材試作品を作成し、東京外大公式サイ トに掲載する行為が、原告教材について原告らが有する翻案権及び同一性保持権を侵害す るということはできない。 2 結論  よって、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、 いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条、65条1項本文を 適用して、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第47部 裁判長裁判官 阿部 正幸    裁判官 平田 直人    裁判官 瀬田 浩久