プラモデル 上野達弘
「またやってしまった……。」
学者をやっていると、複数の原稿を抱え、そのいくつかは〆切を超過し、ときには
大幅な遅滞に陥っている、そんな事態は珍しくない。恐ろしいのは、そんな渦中にあ
りながら、新たな執筆依頼が来ると、つい引き受けてしまうことである。その結果、
当然のことながら、多重的な債務不履行状態に陥る。昨今のギリシアではないが、い
わばデフォルトである。
しかし不思議なことに、そのような窮地に喘ぐ学者に接しても、悲壮感が感じられな
いことが多い。「いやあ、〆切とっくに過ぎているのに、一文字も書けてない」など
とボヤいている姿は、どことなく楽しそうにさえ見えるかも知れない。それは、本人
がギリシア人に似たメンタリティだからではなく、また、出版社や編集者を困らせて
楽しんでいるわけではもちろんなく、やはり自分の“作品”を書いて発表するのが好
きだからだろう。
昼夜を問わず、また曜日にかかわらず原稿執筆に勤しむ学者は多い。私も、(その
是非はともかく)8号館に最も長時間暮らしている一人である。「え?今から研究室
に戻るんですか?」とか「日曜の朝8時から研究室にいるんですか?」と驚かれるこ
とも少なくない。私はそのようなとき、「まあそれは深夜に帰宅したサラリーマンが、
難解なプラモデルを組み立てたり、模型を塗装したりしているのと同じですよ」など
と説明している。好きなことであり、しかも成果を他人から評価されるとなれば疲れ
ないし、むしろ「明日は朝早いから今夜はもう寝なければ」とか、「明日は休日だか
らやっと続きを作れるなあ」などと思うものである。
ただ、好きなことであれば無条件に楽しいかというとそうでもない。こんな話があ
る。映画の世界がたまらなく好きで、とにかく映画に関わる仕事がしたいと考えてス
タッフの一人になったものの、撮影はいつも深夜に及び、27時(午前3時)になっ
ても、「撮り直し!」という監督の声が響く。まだ帰れないのかと落胆すると共に、
この時間になっても疲れの色を見せない監督の気力と体力が信じられない。そう思っ
た本人が数十年後に監督になったとき、27時になっても「撮り直し!」と叫んでい
たというのだ。
つまり、仕事の内容が好きなことや、成果を他人から評価されることも重要だが、
やるかどうかを自分が決定できるかどうかということもかなり大きいのだ。大好きな
プラモデル作りも、人にやらされるなら楽しめないはずだし、逆に、人にやらされた
ら苦役に他ならない肉体労働も、自分でやると決めたボランティア活動なら苦痛でな
い。どんな仕事であれ、それを人生の一部として楽しむためには、主体的な自己決定
が重要なのだろう。
学者というのは、原稿執筆や講演など、やるかどうか自分で決定できることの多い
仕事だ。ただ、自分で決定できるために、つい無計画かつ無責任に仕事を引き受けて
しまいがちである。かくいう私も、複数の未完成原稿に頭を抱え、かといって適当な
ところで脱稿することもできないままデフォルト寸前であるにもかかわらず、新たに
興味ある依頼が来ると、どう考えても無理だと承知しながら、つい引き受けてしまう
ことが少なくない。これではだめだ。今後は限られたリソースをわきまえて、きちん
と仕事をコントロールしなければ、と自分に言い聞かせたはずの矢先、本コラムの執
筆依頼メールが届いた。海外出張中を口実に返事を先延ばしにしていたが、帰国翌日
に執筆依頼書を手に待つK女史の笑顔につい引き受けてしまった後、私の口から出た
のが冒頭の言葉である。
「またこんなプラモデル買ってきたの!? まだ完成してない模型が3つもあるじゃ
ないの!」と叱られる子供…そんな心境である。誰か助けて!