バレーボール部によせて
それは私が立教大学に赴任して間もない頃のことだった。たしか夜22時頃だったのでは
ないかと思う。研究室にいた私がノックの音とともに迎えたのは、私と同様、夜な夜な研
究室に生息していることで知られるA教授だった。
「いい話があるんだけど。」
いたずらっぽい笑みを湛えながらこの珍しい客人は話し始めた。それがバレー部長になる
きっかけだった。
そういえばA教授は、映画のモデルにもなった立教・相撲部の部長を長く務めていた。し
かし私は、自分が伝統あるバレー部長に就くなど想像できなかった。それでも断り切れな
いタイプの私は、ぐずぐずしているうちに「じゃあそういうことでよろしく」というセリ
フを残して去るA教授の背中を見送ることになったのである。
2005年4月、私が部長に就任したことがやがて学内に知られるに至り、ちょうどその
頃組織された「体育会活性化特別委員会」の委員に私も就任することになった。翌年この
委員会は、1971年以降に廃止されたままになっていたスポーツ推薦入試の復活と体育
会に対する経済支援を提言する答申をまとめた。これらはいずれもその後、2008年度
の「アスリート入試」および「体育会活動奨励金」という形で実現することになる。
われわれバレー部も大きな恩恵を被った。川合武司教授にコーチをお願いできるという幸
運にも恵まれたのもこの頃である。部員もいつの間にか20名を超えていた。
結果も伴った。6部から5部昇格、5部から4部昇格。周知のような快進撃の凱歌は、し
かしまだ始まったばかりなのかも知れない。
私は偶然いい時期に部長になった、そう思うこともある。しかし私は決して忘れない。選
手が5人にまで減り、一時は8部にまで降格したあのときでさえ、決して腐らず懸命に白
球を追う選手の姿があったことを。また、マネージャーや主務の献身的な貢献があり、そ
して何より、どんな苦境にあってもOBの方々の厳しくも暖かい眼差しが常にあったこと
を。
今後の道のりも、もちろんいいことばかりとは限らない。しかし、立教バレー部がいつの
時代も試練を乗り越え、歴史を作ってきたことを誇りに、いつまでも強く進むことを心か
ら期待したい。
気がついたら、私も部長になってから3年半がたっていた。
A教授が言っていた「いい話」というのは、まだこれからも続きそうだ。
部長:上野達弘(法学部准教授)
(2009年バレーボール部OB会会報)